第16話 ガキ大将


 料理をする男がある一定以上こじらせると、結構な確率でやり始める事がいくつかある。


 砥石を買って包丁を研ぎ始める。

 魚をマルで買ってきて捌き始める。


 ――ラーメンを本気で作り始める。



 ブノとの焼肉祭をして帰ってきた俺は、猪の骨の使い道に頭をひねっていると、胃袋から天啓を受けたようにある文字が頭に浮かんだ。


「ラーメンだ…ラーメンがあるじゃあないか!」


 ここいらにはラーメン専門店というのは存在しない。

 町まで車を走らせればあるにはあるが、懐かしい感じのラーメン屋さんで、時折発作にかかったように食べたくなる、濃厚な豚骨醤油ラーメンは食べることは出来なかった。


 もう何か月も食べていないソレを思い描いたとき、俺の頭の中はラーメンで埋め尽くされてしまった。

 せっかくとこんなに立派な猪骨がごっそりとあるのだ。濃厚な猪骨スープを作ってみよう。


「出来らあ‼」とばかりに俺は鉈と金槌を取り出し、まるで解体業者のようにバキバキと骨を叩き折り始めた。


 それらを家で一番大きな鍋に放り入れて、釜土でぐつぐつと煮込んでいく。


 薪を放り込みつつ出てきたアクを適度に取る。取り過ぎはしない、取り過ぎると戦闘力が低くなる。これは臭くていい、臭くて良いんだ!


 水を足しつつ鍋底から大きなしゃもじでかき混ぜていく。

 額から流れる汗を手ぬぐいで拭きつつ、大きな気泡を沸き立たせ徐々に動物性の強い匂いと共にスープが白濁してくる。そうして骨の中に詰まる旨味を引き出していく。


 その合間、俺はもう一つ欠かせないものを作り始めた。

 冷蔵庫からズシリと重い塊肉を取り出し、二の腕程の太さに切りタコ糸で縛って一緒に煮込む。


「こういう時にこんだけの塊肉を惜しげもなく使えるのは、わくわくするなぁ!」


「あとは…」納屋に放ってあった、小さな玉ねぎ・ショウガ・ニンニクをざくりと半分に切り入れて香味と甘みを出していく。


 それらが煮立ち、強い個性を持つ猪骨の匂いと合わさると、表情が一気に変わった。


「あぁ、ラーメン屋さんの匂いだぁ」


 むさくるしさは力強い魅力となり、ラーメン屋の前を通った際、鼻先を絡めとる豊かな香りになった。


 次は肉を漬けるタレだ。小鍋に醤油、日本酒、みりんにザラメを加えて煮切っていく。

 タレの粗熱が取れ、肉に火が通ったころ、二つを密閉できる袋に入れる。


「うまっそぉ~っ」


 醤油の深い赤色と、輝く油膜から透け浮くみっちりとした塊肉が恐ろしく蠱惑的だ。


 気付けば外はすっかりと暗くなっており、ヘトヘトになっている自分を思い出す。俺は釜土の火を落とし、その日はそれで終わりにすることにした。


「あした役場に行ったとき、ついでに生麺も買ってこよう…」


 ブノはこれを食べたらどんな顔をするだろう…。

 そんなことを考えながら俺は、大忙しだった一日の灯も落とした。


 ―――翌朝、俺は畑仕事と役場の手続きを済まして家に帰ってくると、ラーメン作りの仕上げに入った。


「せっかくだ、このたまり醤油をラーメンの醤油ダレに使ってみよう」


 小鍋にたまり醤油をそそぐと香しく濃厚な香りが立ってくる。

 そこへチャーシューをつけていたタレを足し、干しシイタケと出汁昆布を浸して火にかける。


「んん~、いいねぇ~…ん?」


 台所前の擦りガラスに白い影が映る。それは音もなくこちらへ近づきお勝手口へと進んでいく。


「ぬはは…勘のいい奴だ」俺は椅子に掛けてあった手ぬぐいを頭に巻くと、腕を組んでそれを待ち構える。


〈ラーメン屋けんじぃ〉開店である。



 ♢



「らっしゃっせーい‼」

「けんじぃ、何? その顔、変」

「…っ変ってぇなぁ随分だねぇ。それよりお客さん注文は⁉」

「ちゅう…もん…?」


 けんじぃは変わらず力んだ笑顔のまま、なんだかいつもより大きな声で話しかけてくる。耳に響くからやめて欲しい。


「私これ、渡しに、来た」

「…あぁくくり罠。空はじきでもしてたの?」

「獲物、うまく、逃げた」


 ようやくいつものけんじぃに戻った。

けんじぃは時折ああやって、誰か別の者を移しこんだようなことをして、私をからかってくる。楽しいときもあるけれど、今日のはなんだか怖いから二度とやらないで欲しい。


「流石にこの茶番は伝わらないか。ちょっと楽しそうだと思ったんだけどな…」

「けんじぃ、は、別の者、なる、無理」

「ひっ…ひどい…少しくらい頑固で妙に怖いラーメン屋店主を楽しんでみたっていいじゃないか…」


 私の分からない事をムガムガとしゃべりながら、なんだか悲しい顔をしている。こういう時のけんじぃはふざけてるだけなので私は気にしたりしない。けんじぃは別の者になる必要なんて無いのだ。


「んっ…いい匂い…する」

「ふふ、お腹空いてるかブノ」

「……うん」


 なんだか私はいつもけんじぃの前でお腹をすかしている気がする。耳が熱くなるのを感じて、隠すように髪を手でとく。


「待ってな」


 けんじぃは沸いた湯に〈そうめん〉に似た黄色く細長い束をパラパラと流し入れて茹でていく。鍋の中で踊るように舞うそれは、めんという食べ物の一つらしい。やはりそうめんの仲間なのだ。


 この国の食べ物はとても手間がかかっていて凄いと思う。


「この国の人は色んなものを美味しく食べるのが上手いんだよ」

「他の、ヒト、料理上手い?」

「あぁ、上手い人なんていっぱいいるよ。俺はせいぜい趣味ってくらいさ」

「私は、けんじぃ、料理、に…好き」

「はははっ、ありがとうな」


 けんじぃは台の上に、大きなすり鉢のような物を二つトンとおいた。そこにとてもいい匂いのする赤い汁を少し入れる。

 次に奥にある大きな鍋からすくい出した白く濁った、動物の匂いと野菜の匂いが混ざった汁をそそいでいく。


「んんっんんっ! そうめん、違う! コレ、とても濃い!」

「へへへ、あいつは兄弟ではあるが、コイツは育ちが全く違うのよ…言うなりゃこっちは麺のガキ大将だ!」

「大将……!」


 赤と白が混ざって、脂がキラリと汁の上に浮いている。

 暑い日の雲のようにぶわぶわとした湯煙が私の鼻を包む。


「混ざる…っ。凄い、美味しそう‼」

「まだまだこれからだ」


 けんじぃは大鍋からめんを取り出すと、籠で湯を落とし汁の中へと泳がせた。「さぁ食べよう」と言うのかと思ったら、赤く色づいた分厚い肉を取り出し乗せはじめた。


「うっ…‼ けんじぃ、また私、駄目に、するのか‼」

「くっくっく、ブノ君。我が国の得意技、の果ての料理を食わせてやるぜ…‼」


 けんじぃが悪い顔をしている! 

 私はまた魔術をかけられたように器から目が離せない。


 分厚く渦を巻いた肉が「ドンドンドン!」と器のふちを埋めていく。そうしてなんと一周してしまった。

 次は真ん中に綺麗な緑の色をした〈ネギ〉というものを盛ると、それでも終わらず、中からトロっと黄色があふれ出す卵を乗せた。


「さぁ出来たぞ! 濃厚猪骨しょう油ラーメンだ‼」

「……ッ」


 私はけんじぃから渡された深い匙で、強く心を跳ねさせる香りを放つ汁を飲む。ギュンと口の中で複雑な強く濃い美味しさが獣のように暴れまわっている。


「んっ…! んんん‼」


 私はおかしくなったように何口もそのとろりと濃い汁を飲みこむ。まただ、また食べる手が止まらない!

 私は自分を抑えられず、分厚く切られた肉を汁に浸してかぶりつく。


「んぐ……んん! むぅぅっ‼」

「うんまっ…たまり醤油使って正解だ! すごいコクがあって香りが良い!」

「汁、凄い‼ 肉、凄い‼」

「うん…猪肉チャーシューも豚肉のより少し硬いけど、味が濃厚で本当においしいな」


 一人満足そうなけんじぃの声を頭の先から聞きながら、私は器に沈む汁のからんだ、めんをすする。

 バチリとあたまが痺れるような気持ちになる。


「んっ…! むぐっ! んん‼ ふぅっ! ふっ!」

「あはは、いい食いっぷりだこと」


 めん、汁、肉、汁、卵とぐるぐると次々と口に運び、私は嵐のような美味しさを飲みこんでいく。止まらない。食べる手が止まらないのだ。


 気付くと器の中には何も残っていなかった…。

 美味しい嵐はあっというまに去っていってしまった。


「ふぅぅ…大将……すごい!」

「うまかったかい⁉ 嬢ちゃん‼」


 また変な力の入った顔をしている。


「凄く…おいしい! けど、そのけんじぃ、嫌い」

「ぐぅ…コッチの大将は大不評だな……あ、そうだ」


 けんじぃは変な笑顔をストンとやめると、何かを調理台で擦りおろし始めた。


「けんじぃ、何してる?」

「やっぱコレもいれなきゃね」

「…! にんにく⁉」

「これを入れるとまた美味いのよ」


 信じられない…! どうしてそれを早く言ってくれなかったのだ‼

 けんじぃは、私が驚いてそれをじっと見ていることに気づくと、口を大きく開けて、まるで巨獣に睨まれた子供のように怯え始めた。


「……少し、こっちも食べる?」

「………食べる」


 にんにくを入れたそれは、荒れ狂う嵐をまた私の口の中に生まれさせた。



 ♢



『らーめん、おいしかった…』


 口の中にまだ脂を含んだおいしさが残っている感じがする。

 私はお腹がいっぱいである幸せを感じながら、ゆっくりと山道を登っていく。


 しばらく川沿いを気持ちの良い風を浴びながら進んでいると、何故だかいつもより山が静かなことに気づいた。


『精霊が…いない?』


 普段であれば木の影や水の中で、潜むように休んでいる精霊達が見あたらない。まるで祭りの後のような静かさに、私は緩んでいた気持ちを切り替える。何か変だ。


 身体を低くして、いつでも走り出せるように辺りを見回す。


『…?』


 ワサワサと草木が壁のように並ぶ場所の一部分が、大きな何かが通ったように不自然に折れている。

 私はそこへとゆっくり寄っていくと、若い枝や葉が落ちている地面へとしゃがむ。


 そこには大きな獣の足跡が残されていた。


『イノシシじゃない……これは』


 足跡の大きさを測るように掌をかざす。

 その時、「ガサッ」という鋭い音がして大きな影が草の中から私の目の前にとび出してきた…。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る