第15話 らっしゃっせぇーい


 冷房からごうごうと吹く少し乱暴な冷気が、〈猪の両耳と尻尾〉を入れた袋をはためかせている。


「はい、はい、大丈夫ですぅ。じゃあ、振込は順々で来月の半ばくらいになると思いますぅ」

「はい。よろしくお願いします」


 頬がピリピリとするような強い日差しの中、俺は畑での仕事を終えると、車を走らせ近くの村役場へ来ていた。

 道路沿いにポツンと急に現れたような役場内には俺以外には数人の来客しかおらず、据え置かれた空調がウンウンと年期の入った声を響かせていた。


 〈猟期以外の鳥獣捕獲〉というのは、作物被害を抑えるためのという枠組みで特定の対象だけが許可されている。そしてそれには国や県から報奨金がもらえる制度があるのだ。


「全部で一万二千円か…、貰える物はもらっておかんとな」


 諸経費を差し引いた残りは全て、ブノのために使うと決めて申請をした。

 これからどんな風に事態が転がるか分からない。

 彼女の力になると決めたのだ。やれることはやっておこう。



 ♢



「おう、賢治くんひさしぶり、台風、大丈夫だったかい」

「なんとか。それてくれて良かったです」


 役場での手続きを済ませたあと俺はついでに一週間ぶりに買い出しをすることにした。肉も野菜も米もたっぷりとあるわけなのだが、調味料や嗜好品の類はやはり個人でこさえるには限界がある。


 醤油の匂いが香るここは、蔵直営で味噌や醤油といった物を売ってくれる、〈藍田屋〉という商店だ。

 他にも品ぞろえが多い量販店もあるのだが、俺はこの店のモノが好きでずっと買っている。


「はい、赤味噌と白みそに醤油…あぁそうだ、コレ作ってたのようやく良くなったんだけど、買ってみないかい」


 少し白髪交じりの頭に、派手なアロハシャツが良く似合う藍田さんがくしゃりとした笑顔をみせる。


床下に手を伸ばし、コトリと手書きのラベルが少し歪んで張られただけの瓶を目の前に置く。中には黒く沈んだ液体がとっぷりと詰まっている。


「これ、醤油ですか?」

「たまり醤油。五年くらいやってみたのよ。おいしいよぉ」

「うわ、いいっすね……でも高いんじゃ…」

「なぁに、俺の道楽でやってるようなモンだからね。サービスしとくよぉ」


 藍田さんは俺のツボを良く心得ているのか、ちょくちょくと好奇心と胃袋を刺激する新商品を提案をしてくる。


「……も、もらいます」

「ひひ、まいどぉ! いやぁ賢治くんの美味しいものに従順な感じ、オレぁ好きよぉ」

「ぐ…なんか藍田さん、最近俺に買わせるために新しいの作ってませんか?」

「そりゃお客さんが欲しがるようなの作るのが店主ってもんでしょぉ」


「ひひひっ、感想教えてくれなぁ」と、してやったりの顔で笑う藍田さんに、敵わないなと頭を掻いて苦笑する。実際藍田さんが勧めてきたモノは軒並み旨いものばかりなので、財布はいくぶん寂しくなれど損をしたという気分になることはない。


 帰り際、「近くで大きな熊が出たらしいから気をつけてなぁ」と言われ、一瞬ブノの顔が思い浮かぶ。

 いやいや、流石にそんな見間違いはあるまいと首を振る。第一ブノは俺の山から出ていないはずだ。


「そうか、もう熊が元気になる時期か」


 ブノにも注意するように言っておかなければいけない。ここら辺は滅多に熊は出ないが居ないという訳でもない。さしものブノも熊には敵わないだろう。


「……敵わないよな?」


 これまで見てきたブノの抜きんでた身のこなしを思い返し、ナタを持って熊の眉間をかち割る彼女の姿が脳裏に描かれる。

 ……いやいやいや。


 藍田屋以外でも麺類だのお酒だのを買った俺は、助手席に買い物袋をドサッと置くと、いそいそと帰路へと着いた。



 ♢



『んっ…んっ……ふぅ』


 けんじぃから借りた、黒くてまるで水に削られたかのような綺麗な形の水筒からまだ冷たい水を飲む。一晩を新しい場所で明かしてみたが、目覚めた場所はけんじぃの山の中だった。


 すこし息を深くはいたけれど、最初に一人で明かした三つの朝よりずっと心は元気だった。


 今日は太陽がとても大きく光を放っている。こまめに水を取らなければ、身体が鈍くなってしまうだろう。


 水筒を石の上に置くと、私はまた踊りの練習を始める。

 花びらが舞い散る中、美しく踊る姉の姿を思い浮かべる。

 生まれてからずっと、狩り以外で姉に勝てたことなど一つもなかった。


――「お前はいつもそう。周りが見えていない。自分がどう見られたいか、どう扱われたいか、それをもっと考えなさい」


 どう見られたいかなんてわからない。どう扱われたいかも…。

 

 流れる汗をふり払うように私は身体をひねり、その場で空中へと跳ねる。強く踏切り過ぎたせいか、足は乱れしゃがみ込むような着地になってしまう。


 「……罠の確認に行かなきゃ」水筒をヒュンと拾い上げると、私は寝床を後にした。


 ここの天候は、私がいた山よりも少し水気が多い気がする。

 けんじぃは、この国は海という塩辛いとてつもなく大きな湖の中に浮く大地だと言っていた。


 また私をからかっているのかと問い詰めると、「見なきゃ流石に信じられないかもなぁ」と一人で納得したように言って、遠くの景色が見れる不思議な板で私に海を見せてくれた。

 やはりけんじぃは魔術師なのかもしれない…。


 それは空のように広く、とてつもない力に満ちていた。

 けんじぃは、「ブノの世界にもきっと海はあるはずだよ」と言っていた。


『ウミ…綺麗だった』


 もし元の世界に戻れたなら、私も北の山を出て海を探しに行ってみようか。そんなことを考えながら私は山道を歩く。

 獲物は一匹とれたけれど、それ以外の罠は生かしてある。見回りの仕事はしっかりとしなくてはいけない。


 木の影で姿勢を低く保つ。視界の遠く先には罠を埋めた場所が見える。


『…!』


 そこには仕掛けは動いていたものの、獲物はかかっておらず罠が地面から顔を出していた。

獣がとっさに足を抜いたのだろう。スタスタと罠へと近づき、詳しく確かめる。


『イノシシ…じゃない』


 先日覚えたイノシシと似てはいるが、少し小さくて蹄の根元にポッコリとした窪みがない。これがシカなのかもしれない。


『こういうときは……どうすればいいのだろう』


 私はギラリと光る仕掛けを掘り出し持ち上げ唇を尖らせた。


 山を下った先、けんじぃの家の周りにヒトがいないかどうかを木陰から確認して、音を消しながら裏口へと取りつく。


 けんじぃには、「用があったら、ここからいつでも入ってきて良いよ」と言われていたが、取っ手を握る手に少し力が入ってしまう。


「けんじぃ、いる?」

「らっしゃっせーい‼」


 少し勢いをつけて開いたその先には、白い布を頭に巻きつけて前掛けをしたけんじぃが、変に力がはいった気味の悪い笑顔で立っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る