第1話 犬と猿


 赤くツヤツヤとしたタマゴタケを洗い、切っていく。

 野で採ったきのこは香りが飛ぶのなんだの言わずにしっかり洗う、柄の部分を触れば中を虫に食われているかどうかも大体分かるが、基本的には必ず半分に割いて確認する。


『ベネフ姉さんっどうしてそんな態度ばかりとるの? けんじぃに失礼だと思わない⁉』

『何をそんなに怒っているのよ全く、そんなにあんな冴えない男が大切だとでも言うの?』

『それは…っ』


 我が家へ迎え入れ居間へと案内した姉妹は、俺にはわからぬ言語で相変わらず姦しいやり取りを続けている。その声を聞きながら俺は自分の家だというのに妙に肩身の狭い心持ちで昼食の準備をしているのだった。


「一体全体…何がどうなってこんな事になっているんだろうか…」


 背中を丸めてタマゴタケを割きながら、思わず俺は独り言をつぶやく。


 ――「まずはあなたの家に、招待して頂戴。ブノが言っていた、夢物語のような話が、本当のことか確かめるから」


 さも当然のことだというように、ブノの姉を名乗る彼女は俺に自宅へと招き入れることを要求してきた。

 俺とブノが結婚するという、藪から棒な話の詳細は未だに不明だが、家へと戻る道中こそりとブノが耳元にささやいた言葉でおおよその話の筋は浮かんだ。


「私、婚約…嫌、逃げてきた」


 ブノの鼻先をかすめる程に振り返る言葉だった。

 その後とぎれとぎれの言伝の、行間を最も分かりやすく補完するならば、ブノはこの一年の間に縁談の話が持ち上がり、それが嫌で嘘をついてウチに逃げ込もうとした…という話のようだった。


「しかしまぁ随分と無茶な行動に出たもんだ…」

「あら、あなたの意見に同意するなんて、思わなかったわ」

「うおっ!」


 気付くと俺の背後にはベネフローアが立っていた。

 姉妹揃って気配を消して背後に立つのが趣味らしい。刃物をつかっているときに驚かすのは本当に勘弁してほしい。


「見たことのない植物ばかりね。本当に食べられるのかしら」

「ベネフ姉さん!」

「ブノの家族に変なものなんか出さないですよ」

「ふーん」


 お膳に置かれた人参を、まるで汚れたものでもつまみあげるように彼女は持ち上げ怪訝な顔で観察している。

 俺は気軽に怒れるような性分の男ではない。

 けれど日々丹精に育てた野菜に対してそういう扱いをするのは我慢ならなかった。


「けんじぃ作る野菜、とても、美味しい‼」

「…ありがとうなブノ」

「妹は食べれれば泥だって美味しいと言うわよ」


 天を仰いで片方の口端を吊り上げる。

 頭に昇っていく血の熱さを眉間に感じながら、深めに息を吐く。

 了解。この喧嘩買ってやる。


 最初に考えていた作る物を頭の中で塗り替えると、俺は振り向いて彼女の手から人参を取り上げて、小さく短冊切りにしていく。次に猟期に貰って冷凍してあったマガモの赤い肉を取り出し細かく切り分けていく。


 羽釜を開ければ水を含んで白く膨らんだ米がさらりと整列している。そこから茶碗半分ほどの水を取り除くと、鴨肉・タマゴタケ・人参をとぷとぷと浮かべ、日本酒と醤油をみりんを加えて釜土に火を入れる。食材から出る旨味が主役で、おかずも作るので味付けはやわらかく優しめだ。


 次に取り出したのは猪肉の背ロースだ。

 晩酌用にと解凍していたものだが、ブノとの久しぶりの食事でもある。この際食卓に全て並べて盛大に歓迎してやろう。


 薄く切り分けたその肉に酒に醤油、新生姜を豪快にすり下ろしていく。根生姜よりも爽やかな香りが台所に立ち昇り、しつこい残暑の不快感をわずかに和らげてくれる。


 さらに半分だけ残っていた梨とニンニクをすり下ろし、ボウルに入れたそれらをしっかりと揉みこむ。


「いい、匂い!」

「はははっ」


 隣に立つブノは、先ほどまでは姉の言動を制止することに懸命であったが、美味い匂いが目の前にあふれ始めてしまえば、そんな役目は頭の外のようだ。


 一年前よりも身なりが綺麗になった彼女ではあったが、台所を覗き込むワクワクとした瞳の輝きは何ひとつ変わっていなかった。俺はそんな姿を見て、胸の中に凍らせておいた何かがゆったりと溶けていくような心地になる。


「料理になれているというのは本当みたいね」


 姉の方はというと、胸元で優雅に肘を抱えこちらを値踏みするような視線をこちらに送っている。

 ……なんというかあれだ、これ…姑にいびられる嫁みたいな構図になってないか…?


 なんだかよく分からない絵面になってきている事に気付き、眉間に皺をよせて困惑する。しかし肘を抱えた彼女にこれ以上ブノのことも自分のことも侮られるのは御免だった。


 香の物として大根の味噌漬けを取り出し切りつけ、お膳へと並べる。ぬか漬けでも良かったが癖の強さにまたぞろ難癖をつけられても困る。


「お腹空いただろう? それでもつまんでいてくれよ」

「味噌の匂い!」

「味噌漬けだからな」

「なんだか腐ったような色合いねぇ…」

「お気に召されないなら、お食べ頂かなくても結構ですよぉ」


 こめかみに青筋が走っていそうな笑顔を彼女に向ける。そんなうすら寒い空気を感じ取ったのか、漬物にうずうずと肩を揺らしていたブノがあわあわとし始めた。まるで姑と嫁の間に挟まり狼狽する夫のようだ。


 巻き込んだのはアナタなんだから、しっかりして頂戴ブノさん。

 俺が少し半目でブノを見つめると、ブノの綺麗な眉毛が八の字になる。


 少し可哀想になってやめようとしたが、下がり眉のままこちらを見つめて漬物をぽりぽりとやり始めたので、よりいっそう目を細めた。


 頃合いだと猪肉と揉みこんだタレ共々、熱した鉄鍋に敷き入れていく。生姜とにんにくそれに梨の甘い香りが合わさり、匂いだけで米がすすむのが分かる。


 こんがりと魅惑的な焼き目がついた猪肉を大皿へと盛りつけ、自慢の完熟トマトも脇に添えた。


「ようやくまともそうな物が出てきたわね」

「それは、よかった」

「ぽり…ぽり…」


 片田舎の端の家で数十年前に終結したとされる、忌まわしき笑顔の腹芸合戦が今また繰り広げられようとしていた。ブノは俺とベネフローアの凍った笑顔の応酬を、まるで真夏の恐怖映画を見つめる子供のように見ながら漬物を食っている。どうあっても食うのはやめない。流石である。もうちょっと擁護や反論の言葉をくれたっていいんだよ?


 しかしながらブノはつまんだ漬物を口に運びながら、今度は焼いた猪肉をうっとりと見つめ始めていた。「軍曹! 援軍は来ません!」と頭の中の小さい自分が敬礼をした。


 羽釜から吹き出した蒸気の匂いが、ぐっと変わり始める。香ばしいような豊かでやわらかい素晴らしい香りだ。ここで加減を間違えると焦げが一気に広がり台無しになってしまう。


 パタパタと台所を抜けて釜土の火を取り除き羽釜の蓋をあける。

 ぶわりと炊き込みご飯の旨そうな香りに包まれる。釜の底からごそりとかき混ぜていくと、黄金色のおこげがぐるりと顔を見せてくれる。うん、良さそうだ。


 おひつを持って来てどんどんと飯を移し入れていく。

 そこへ刻んだインゲン豆と焼きのりを取り出しぱらりと振りかける。


「出来ましたよ。さぁ、ゆうげにしましょう」

「美味しそう!」

「見た事もない料理ね」

「鴨とタマゴタケの炊き込みご飯、大根の味噌漬け、猪肉の生姜焼きです。どれもウチの畑と山で採れたものから作ったモノです」


 お膳に並べられた品々はどれも俺が自信をもって美味いと思えるものばかりだった。

 さて、肘を抱えて相変わらず高い所から見下ろすような態度の彼女の胃袋に一撃食らわせてやろうではないか。


 俺は戦におもむく侍のような心持ちで、ずんと腰を下ろしたのだった。




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