第2話 ベネフローア


 見慣れた日本家屋であるはずの居間が、なんとも異国情緒にまみれた空間と化している。


 銀髪と黒髪を肩口から流し、力強く大きな瞳は黄色と緑、並ぶ姉妹は美しくあるが色落ちした畳にすらりと長い四肢を楽にして座る彼女達はまるで、枯山水で華美な南国の鳥が足を休めているようだった。


 黒髪を優雅に耳へとかけるベネフローアの前にはナイフとフォーク、それに木の匙が並ぶ。ブノにも同じ様にしようとしたが、彼女は箸で食べると胸を張った。

 

 どうやら彼女がこの国で色々と覚えた事を見せようとしているらしい。


 そんなブノの姿を一瞥もせず、ベネフローアはスンとして前に並ぶ料理を細めた緑色の瞳で見つめている。


 俺はどうにも落ち着かず並ぶ品に手をつけることもなく対面の様子をちらりと伺ってしまう。人に自分の作った料理を振る舞うのはこれまで何度となくしてきたが、試されるような形で作る事など初めてである。


「どうぞ好きにやって下さい。おかわりもありますんで」

「けんじぃ。いただきます?」

「あぁ、それじゃあ…頂きます」

「いただきます‼」


 俺とブノはどちらに合わせるというわけでもなく手を合わせた。ベネフローアはその様子を眺めながら、平淡な声で「いただきます」とだけ言った。



 ♢



 食卓に並んだ料理達を眺める。

 それは私達の一族で言うならば、特別な日に食べる食事と呼べる見た目のものだった。ヒト族の領地を持つ者であればこの程度いつでも出せる。そう言いたいのだろう。なんとも見栄が透けたもてなしだ。


 卓を囲む対面の男は実に頼りなげで、横柄さこそ感じないが美しくも逞しくもない。このヒト族のどこにそんな惹かれる要素があるのか見当もつかなかった。


 並べられた料理の匂いをすいこむ。

 香りは悪くない。

 鼻先をくすぐるそれに臓が自然と動きだすのが分かる。

 隣に座る妹はすでに大口を開けて猛然と食べ始めていた。食事に勤しむその姿には一片の迷いも感じられない。


 相も変わらず心の半分以上を食物に埋められている妹である。


「けんじぃ、炊き込みぃご飯、美味しい!」

「そりゃよかった」


 妹が嬉しそうに手や肩を大げさに動かしながら冴えない男に笑いかける。そこに嘘があるようには思えなかった。


 私は少し深めの息を吐くと、木の匙を手に取り目の前で湯気を立ち昇らせている、ご飯と呼ばれるそれを口へと運んだ。


「……っ」


 ふっくらとした食感のそれは噛みしめるほどに強い旨味が口の中に広がっていく。     

 刻まれた肉とキノコ、それに先程見た橙の野菜から出たであろう味が、ご飯というものにたっぷりと詰まっているように思える。


 その中の焼き目のついた部分は心地いい歯ごたえを持ち、粒一つ一つに閉じ込められた旨味をより濃縮している。降りそそぐ雨のように口の中に豊かな味が弾けているようだ。


「…ふぅん、随分と良いものを、食べているようね」

「けんじぃ、料理上手い、言った!」

「お気に召されたようで良かったです」


 口元を手で押さえた私を、目の前の男はニヤニヤと不気味な笑顔で覗ってくる。なんとも奇妙な男だ。この目の前に据えられた食事が不味ければとっくに男の冴えない顔に投げつけていただろう。


 そんな視線に堪えながら私は次に焼いた肉を刺し取る。

 先程から刺激的で挑発するような香りを放っている肉は、まとった赤く濃い汁に滴る脂が輝き溶けている。


「……んっ」


 濃い…恐ろしいくらいに濃厚だ。

 それでいて爽やかな香りをまとっている。

 何なの…これは。強い満足感が臓を満たしているのに、舌が何かを枯渇したように求めている。


 隣ではすでに一杯目のご飯を食べきり、おかわりをもらった妹が肉を頬張り、急くようにご飯をほおばっているいる。

 瞳を大きく見開いた。あれがこの渇きの答えか!

 私は手元にあるご飯を再び口に運んだ。


『……んぐっ…なんてことを…!』


 やわらかい味付けのご飯は、口に残った濃厚な味と一体となって複雑な味を完成されたモノにする。


 私はこんな料理など食べたことがない…。

 二回三回とその往復を繰り返す。

 まるで魅入られたように口の中が喜びに満ちていた。


『くっ…こんなもの…卑怯だわっ』


 気付くと目の前の肉は後一枚になっていた。

 それを取ろうとしたとき、妹が持つ箸と呼ばれる道具とかち合った。


『ブノあなたはもう充分に食べたでしょう。卑しい子ねこれは私に譲りなさい』

『……姉さんそんなに美味しかったんだ』

『なっ…』


 妹が目を細めて口角を腹立たしい程に持ち上げている。


『そんなことないわよ! 私は自分に出された分を食べているだけでしょう!』

「けんじぃ。姉、我慢できない、美味しい、言ってる」

「言っていないわよそんなこと!」

「ははは、すみませんね。今用意できる猪肉はそれで全部なんだ。また今度作りますよ」

「言ってないっていってるでしょう!」

「じゃあ、この肉、私貰う」


「あっ」という間もなく、するりと肉をせしめたブノはそれをバクりと一口で納めてしまった。なんという食い意地の張った妹だろうか!


 ふつふつと血が沸き上がるのを私が感じていると、目の前の男が突然声をあげて笑い始めた。


「なんですか、そんなに笑って」

「あはははっ、いや、すいませんね。やっぱり似ている姉妹だなと思って」

「似て、ない!」

「似てるわけ、ないでしょう!」


 ブノと私の抗議の声に男は更に笑い声をあげた。

 やはりこのヒト族は気にくわない。

 怖い程に美味な食事を出してくるのも、何かやましい目的があるに決まっている。愚かな妹は騙されたとしても私の目を欺くことなど出来はしない。


 私は眉間に力を入れると目の前の冴えないヒト族を睨みつけるのだった。



 ♢



「さて……。イチから説明してもらおうか。ブノ君よ」

「うぅ…、ごめん、けんじぃ」


 ここにいる間にすっかり堂に入った型を憶えた正座で対面に座る彼女はしゅんとして小さくなってしまう。へにょりと下げた眉につられるように両肩も落とす。


 俺とブノはベネフローアを風呂にどうにか押し込め、このわずかな作戦会議の時間を捻出した。確認しなくてはいけない事が多すぎる。というかブノの無茶な目論見のほとんどは既に見透かされていそうなのだが…。


「寒い季節…過ぎる頃、結婚しろ。言われた」

「やっぱりか…」


 そういった適齢期になると親というのは、一言二言耳に痛い小言が増えるものである。たとえそれが俺達よりもずっと寿命の長い尖った耳の彼女達でも変わらないらしい。


「私、相手…苦手だった。声、体、とても大きい…苦手」

「あー…」


 短い付き合いではあったが、選ばれた相手がブノが苦手とするような男だということはなんとなく察しがついた。


 ブノ達の種族はその数自体が決して多くないため、血を絶やさないためにも家柄や財産、強い肉体を持っているかなどが重要視されるという話は以前に聞いていた。分かりやすく偉丈夫というような相手が現れたのだろう。


 一般的な結婚への道程はもっぱらお見合いらしく、相手の顔を拝む段階に至ってはおおよそ外堀が埋められているという。

 会うという事は両親が互いの条件に納得しているという事であり、そこから断るのは中々に難儀ということだった。


「それで……俺はどういう存在として説明しているの?」

「……あう…う…、ディシィヒローアスの証…くれた相手」

「ん? それって特別な意味があるのか?」

「……っ」


 何やらブノが不服そうに口をすぼめている。

 空気が少し変わって、何故か俺の方が座りが悪くなっていくのを感じる…自分が意図せずやらかしたという確信が背筋を通った。


「それって結婚してくれ…みたいな意味が……その、あったりするんですか…?」

「結婚…じゃない」

「そ、そうか…」

「でも…一番、大切な相手…あげるモノ」

「そっ…そうか」


 あれか。

 俺、祭をやった日に告白した感じになってたんか…。

 マジか。あれ…でも一回受け取り拒否されてたような…。


 混沌とした状況に目を回しそうになる。

 顔が熱くなるのを感じて思わず麦茶をあおった。


「よ…よし、えーと俺は一体どうすればいいんでしょう?」

「……ベネフ姉さん、私達恋人、違う、思ってる」

「そ…そうでしょうなぁ」

「……」

「つ…っ、つまり俺達がちゃんと好き合ってる恋人で、結婚をしようという相手だと信じさせればいいってことかな⁉」

「…そう」


 目頭をおさえる。

 腹の底がくすぐったくなるような熱さが体を駆け巡っている。

 恐ろしく懐かしいその感覚に軽いめまいすら覚えるが、今はそれの形を探っている場合ではない。


 それが一体どんな形であろうと、俺にとってブノは一言では言い表せないほどに大切な存在であることは間違いないからだ。

 だからこそ、彼女が望まぬ結婚を強いられる状況であるならば、それに協力することに迷いなど無かった。


「分かった。自信はないけど、どうにかあのお姉さんを納得させるのに協力するよ」

「‼」


 ようやくブノの表情が明るくなる。

 それを見て俺の心もどうにか軽くなった。


 しかし、随分とえらい事になってしまった…。俺の腹の中は既にくすぐったいというのを通り越して、痙攣しそうな感覚にまで陥っていた。





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