第3話 お土産の意味


 朝靄に包まれたようなおぼろげな視界の中で、誰かが俺を呼んでいる声がする。

 かすかな花の香りが鼻先をくすぐり、霧がゆっくりと晴れていくように思考が整理されていく。まだ重くひっついたように閉じた瞼をどうにか引きはがすと、真っ白な世界と共に美しい黄色の瞳が飛び込んできた。


「けんじぃ! 起きて!」

「ぬぁ…ん?」


 薄い肌掛けからとび出した俺の腕を、困り顔で揺り動かす少女が

 傍らに座っていた。どうしてブノが俺の部屋にいるんだろう…。彼女はむこうの世界に帰ったハズなのに、俺はまたこんな虚しい夢を見てるのか…いや。


「おぉ、おぉそうか…ブノ…おはよう」


 ガバりと起きて未だに散乱している意識を集め組み上げる。ブノがまたこちらに現れて昨晩ウチに泊めたことを思い出し、目の前の彼女が幻覚でないことを確認した。


「えっと…どうしたんだ、そんなに焦って…」

「ベネフ姉…っ、いない!」

「…へ?」


 そわそわと手元が落ち着かないブノを後ろに引き連れて家の中をどたばたと検める。居間から土間、納屋に軒先と見て回るが姿形はおろか手荷物一つ見あたらない。お勝手口にあるハズの靴も当然のごとく無くなっていた。


「…どういうことだ…? まさか納得して帰った?」

「ベネフ姉、絶対ない!」

「ですよねぇー」


 そもそもすぐに帰れるワケでもないだろう。

 ウチの山を調べにでも行ったのだろうか。


「とにかくブノは裏山を探してみてくれないか? 俺も畑仕事終わったら山に向かうよ」

「わかった!」


 ブノの頼りなげに宙を泳いでいた指先がグッと拳を作ると、ようやくの瞳に活力が戻る。

 俺はあまり起こってほしくもない事態を頭に浮かべ、うっすらと白目になりそうな自分を律し、お勝手口から裏山へと飛ぶように走っていくブノを見送った。


 畑へと出ると夜中に雨が降ったようで、野菜たちは力強くと茂る葉や実に雨粒を滴らせており、その肌をつやつやと朝日に光らせている。


 真夏より幾分顔ぶれが変わり始めるこの時期は、伸び始めた苗が秋より先の実りの準備を始めているが、残暑きびしい日差しとの戦いはなかなかの死闘の様相を呈していた。


「頑張れよぉ~。時期に涼しくなってくるからなぁ…」


 土を一握りして水の回り具合を確かめながら軽めの水やりをしていく。夏から秋にかけて沢山の実りを分けてくれる野菜達の様子も、痛みなどがないか隈なく見ながら畑を周っていると、緑の隙間からあるものが目に映る。


 いくつもの畑を隔てた先の畦道を、長い黒髪を優雅にたなびかせ小麦色の肌を眩しい太陽の光にさらした女性が歩いている…。


「お……っ、おいおいおいおいっ!」


 どうして堂々と外を歩いてるんだあのお姉さんは!

 水やりの道具を放り投げそうになりなるのを寸での所でとどまり、アワアワと水を止めると畑をすり抜け、彼女の元へと駆けだす。


「はっ…はっ…はっ…、なな何やってんだあのひとは!」


 息を切らして走る俺のことなどまるで視界には入らないように、彼女は何の澱みもなく目の前の家へと踏み入れていってしまう。


「はっ…はっ…はいぃぃ⁉」


 ベフローアが入っていった家はここら辺で最もお喋り好きの洋子さんの家である。あの人に捕まってしまったら最後、彼女の存在はこの集落どころか近くの役場にまで広まってしまう。


 俺は吹き出てきた汗が、暑さからなのか冷や汗なのか判断もつかない程に慌てて洋子さんの家へと膝を振り上げた。



 ♢



 力を持つ〈ヒト族〉の本来の顔を探るならば、面と向かった場だけでは判断はつかない。日常であのヒト族と関わる存在であればその本性を知る糸口を得られるかもしれない。


 布団と呼ばれる寝具で、丸まった獣のように寝息を立てている妹は、起こさぬように配慮する必要もなく、深く夢の世界にくるまっているようだ。


 確かにこの寝床はしっとりと肌に吸い付くように肌触りがよく、埃臭くもないし恐ろしく上質な生地で出来ていて、うっとりとする程だった。


 しかし他種族の家中だというのに、その体には警戒心と呼べるものなど毛ほども感じられない。口元を緩めて酷くだらしない姿をさらしている。全くもって隙の多い妹だ。こんな様相だからズル賢いヒト族に付け入られるのだろう。


「全く…この妹は…」


 口からこぼれる感情を抑え込むと私は部屋から抜け出した。周りの家々よりわずかに高い所に構えられた精巧な家から眺めるその里は、段々と流れるように畑が並んでおり、様々な植物が植えられ育っていた。


「ヒト族の王国のように大きな集落ではないのね。こんな小さな土地を治めているだけで、あのような食事を気安く出せるなんてやっぱり不自然だわ」


 畑を縫うように走る道を、周りを確かめるように歩いていく。

 夜が明けて間もないというのに畑の緑の隙間から仕事を始めている老いたヒト族がそこかしこに目につく。


「あれ…あんたどっから来たん? 見ない顔だねぇ」

「…おはようございます。私先日から、けんじぃさんの所で、宿泊させて頂いているんです」


 私は手の甲に炭で書いた紋が汗で滲んでいないかを確かめると、敵意など一片も浮き立たせない笑顔を作り老人に話しかける。植物で出来たツバの大きな帽子を傾け彼は表情を砕けさせた。


「はぁ~! 賢治君の! そうかそうか!」

「厄介に、なっている身ではありますが、けんじぃさんがココでは、どんなヒトか聞いてみたくて」

「ええ男よ‼」

「あの…はい…?」


 老人はシワだらけの顔により一層深い溝を作りながら、食いつくように男を褒めた。随分と気安く、まるで親族の話でもするような様子で男を語る。


「気が回るしの? マメだし、器用よあの子は!」

「そ…そうですか」

「はぁ~そうかそうか。いやぁ本当に良かった」

「あの…何が良かったと…?」

「あっいやいや、何も何もっ! こっちの話よぉ!」


 どうにも様子が怪しい。

 すでにあの男の伝令が伝わっているのか?

 しかし昨日あの男と接触してから先、どこかへ連絡した隙などありはしなかった。風呂と呼ばれる場所を使っている間も、会話の内容こそ分からなかったが、ブノとずっと話し込んでいたのを精霊より聞き出している。


「そうだ、ちょっと待っとってよ」

「え…あの」


 そう言うと老人は足取りも軽くすぐ近くの家へと引っ込んでいってしまった。疑念が残る部分は多いが、あの男の事を語る様子は実に柔和で気安い。


「フン…」

「ほいほいほい、待たせたの! ほれコレ!」

「これは…?」

「お土産よ。賢治君と一緒にやるといいよぉ」

「……丁重にどうも」


 他も見て回ると言うと老人は高らかに笑って何度も頷き私を見送った。硬く精巧な紙で出来た手さげ袋をぶら下げながら、道を歩いていく。脇目に映る畑で育つ植物達は皆とても生気に満ちており、ひどく熱いこの土地でも力強く育っている。


 あの男も老人も着飾って豪奢な姿をしているわけでもない。

 むしろ質素な雰囲気すら漂っているというのに、様々な物に用いられてる技法はひどく高度なものだと分かる。


 妹に話してみせたこちらの世界の物事はどれも現実味がなく、仕事をさぼり続け放蕩していた言い訳だと初めは思った。

 しかし見るもの味わうものすべてがそれらを本当の話だと裏付けていってしまう。私は唇をわずかに噛むと歩幅を少し大きくした……。


「賢治君? ええ子よぉ。やさしくってねぇ…こないだも」

「あの子は義理堅いねぇ。」

「マメな子よぉ。少し寄合が苦手な所はあるけど、あっはっは」


 語られる男に対する言葉は好意的なものばかりだった。そして皆一様に嬉しそうに私に手土産を渡してくるのだ。これは何かこの土地の風習かなにかなの……⁉


「それでね。ふふふ、賢治君たら何て言ったと思う?」

「…何て言ったんですか?」

「おはようございますぅぅぅぅ‼」

「あら、噂をすればかしら。うふふふっ」

「…チッ」


 玄関からけたたましい挨拶が響きあの男の声がする。思ったより早く嗅ぎつけられたなと眉間に力が入った。結局望んでいた情報は一掴みと得られなかった。いや、望んでいた男の姿など本当は存在しないのかもしれない…。


「…気にくわないわ」


 玄関から迎え入れられる男の声と足音が迫ってくる。戸口から現れた男の顔はにこやかな表情を作っているものの、その声色は明らかに怒りを孕んでいた。


「あら、おはようケンジさん」

「ええ! おはようございますベネフローアさん!」



 ♢



「あのですね…ああいう行動をされると、あなたもブノも大変な目に合う可能性があるんですよ!」

「ふん、大丈夫よ。会ったヒト族達には、私はあなたと同じヒト族に見えてるから」

「……はい?」

「ベネフ姉さん、呪術、得意」

「あっ、呪術か…!」


 彼女達一族の中にはそういった技を使える者がいるという話は聞いていたが、ブノの姉が得意というのは初耳だった。


「本来の姿を既に、知ってしまっているあなたには、効果は薄いけどね」


 勘違いさせたり、認識を阻害したり、そういったものが呪術の得意な分野だそうだ。


「だからといって軽率な行動すぎますよ…。俺達の国の自治能力や技術をあまりナメない方がいい」

「…そうね、あなたの国の技術の高さは、認識したわ」

「姉さん、けんじぃ、私達、心配してる!」

「…っ」


 あくまで敵対的な態度をとるベネフローアに、ブノがしびれを切らしたように憤慨する。ブノが怒る姿を見るのはこれで二度目だ。前回もブノが怒ったのは俺のためだっけ…本当にやさしい娘だ。


「…ふぅ、それで? そのお土産はどういう経緯で貰ったんですか?」

「あら、あなた分からないの? てっきりそういう風習なのかと思ったわ」

「けんじぃ、よく、食べ物貰って…くる」

「いやああいうのは大体手助けしたり、先にこっちがあげた物のお返しとかだよ……」


 何か嫌な予感がする。

 居間に並ぶベネフローアが貰ってきた土産には一種の統一感があった。日本酒に甘酒、黒豆に上等なお茶に海苔…。


 これは、おすそ分けの類の土産ではない…。

 おそらくお祝いの類の贈り物である…。


「けんじぃ、頭抱える、痛い?」

「ああ。恐ろしく痛くなってきたよ…」

「ふん、軟弱な男ね」


 俺は光の速さで集落を駆け巡っているであろう誤解が起こすこれからの事態を思い、白目を剥きながら頭を抱えるのであった。





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ウチの裏山に棲みついた娘が、どうやら人じゃないらしい 郷田地図 @BASTARD-KID

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