第23話 祭壇


 軽やかに鈴を転がしたような音が、木々の隙間からこぼれてくる。


「…アカショウビンかな」


 月日と共に姿を変える山々には、訪れる客も変わっていく。

 四季を旅するように彼らは山に顔を出し、洋々と歌声を響かせてはまた次の地へと流れていく。


 踏み出す足を、するりと這い出た新芽がなぜた。ほんの数日でぐんぐんとその背を伸ばしていく夏の緑は、昨晩の雨粒を俺の足に弾けさせながら、その香りを俺のつま先に乗せてくる。


 遠くに響く沢の音にわずかな涼をひろいながら、まつ毛に乗った汗をふり払う。ここの所の騒がしくも楽しい山での日々で、なんだか少し体力がついたような気がする。

 腿裏から伝わる力は、やわらかい土をぐんと掴んで身体を前へと運ぶ。


 背負った鞄の側面には熊を撃退するための道具が入れられている。先日の一件から、何が来てもおかしくはないと思って持ち歩くようになった。ブノにも護身用として持たせてある。


 使う予定もなく、押入れで埃をかぶっていたこいつを、肌身離さず持つ日がくるなど思ってもいなかった。


「けどなぁ…どういう基準で移動しているんだろう」


 ブノにしてもディオセモネンテにしても、共通することはあちらの生物であることくらいだ。〈裂け目〉が開き続けているのであれば、あちらの小動物、トカゲや兎のようなモノだって来てておかしくはないはずなのだが、そういった生き物を俺もブノも見かけた試しがない。


「ある一定以上の大きさが必要…」うーん裂け目だというのに、大きい方が通りやすいだなんて違和感しかない。


「いや…、大きい生物しか行き来する事象に耐えられない…?」


 ブノもディオセモネンテもとても頑強だ。生き物として単純に強い。その法則であれば、小動物や虫などが通ってきていないことにもある程度納得は出来る。


 夜明けと共にブノは来たと言っていた。つまり常に開いているわけじゃない…。呼吸するように閉じたり開いたりしているのか?


「それとも…裂け目の上に、一定時間以上居なければ移動が完了できない…?」


 創作物で見る物体の時空移動。

 ゆっくりと粒子になっていく動植物、その描写を頭に浮かべる。夜明けというのも時間帯よりも、その対象となる動物が一定時間以上そこに留まること…。


から完遂出来たって可能性もあるのか…」


 答えの出ない問答は、山を歩いている時ほど深く潜れる。

 そうして少ない事例からどうにか希望の糸をたぐっていこうと模索する。どれだけの猶予があるのかも分からない。


「俺はもっと焦るべきなんじゃないか…?」


 見つめている光は本当の光なのか…。

 思考に吸い取られたように乾いた喉を潤そうと水筒を取り出す。

 そんなことをしていると、カツ―ンという甲高い音が山道の先から聞こえてきた。いつの間にやら到着していたようだ。



 ♢



「へぇ、こりゃすごいな…」


 長さや太さを揃えた枝木が、円を描くように交差させながら立てかけられ、縄張りのような領土のような空間を作っている。


 ブノはその円内で太い枯れ木の形を整え、台座のようなものを組んでいる所だった。ブノは俺の声に気づくと、ぱっとこちらを向いて、輪に一つだけ開いた入口のような場所から走り出てくる。


「一日でここまで出来たのか、凄いな」

「木、いっぱい、集まった!」


 額から玉のような汗を流しながら、いつものように快活な返事がほころんだ口から返ってくる。


「いやー暑かっただろう。ほら麦茶、まだよく冷えてるぞ」

「感謝!」


 俺から受け取った水筒を、もう手慣れた動作で受け口にそそぐと、ゴクゴクと麦茶は消えるように喉へと吸い込まれていく。


「はぁーー!」まるで一瞬で全身へと涼が回ったように、ぱんとブノの表情が弾ける。


 俺は祭壇の外にブノの上着に包まれて置かれた木彫りの像に目を向ける。

 一昨日ブノは俺の家であれをずっと彫っており、その最中俺はまるでわんこそばのように、休憩と称しておやつを出していた。


 三時間で三度目のおやつを出したとき、さすがに何かを思ったのか、「けんじぃ…私は巨人、違う」と温度を感じない目で見つめられた。

 俺の〈ブノの胃袋で冷蔵庫スッキリ大作戦〉は道半ばで頓挫した……かに思えたが、置いといたら全部食べた。


「あれも出来たんだな」

「うん!」

「これがブノ達の地神なんだなぁ…」


 俺は若草色の上着に乗せられた木彫りの像へと歩み寄ると、屈んでそれをしげしげと眺める。


 楕円の頭部に瞳と思われるものが縦に三つ綺麗に並んでおり、左のこめかみから三又の枝木が伸びていた。角と思しきそれの先端は木の皮が剥がされ、ブノの血を使ったのか赤黒く染められている。


 少々失敬な感想が思い浮かぶが、心に仕舞っておく。これなら明日の午後にはブノの言う通り祭儀をすることが出来そうだ。俺の方も準備を急がなくてはいけない。


「休憩にしないか? これだけの作業をしたんだ疲れただろう」

「問題ない!」

「そうか? 弁当を持ってきたんだけど」

「…」


 ブノはくるりと体をひるがえすと、近場で腰かけに使えそうな石が並ぶところへ向かい、トスンと座ってぴしりと背筋を伸ばす。その表情はなんとも真剣で真摯だ。


「……弁当、腐る…よくない」

「そうだな」

「何、笑う!」


 ふふふと堪えきれず頬を震わせ始める俺に、ブノがふくれる。

俺はブノの元へと歩いていくと、荷を下ろして石の上にトントンと半透明の容器をいくつも置いていく。


「おにぎり?」

「いや、今日は違うよ」我が家は今お米節約中である。節米。


 そう、お米を使わず牛肉でも鶏肉でもいい、昼食として成立するようなもの…そんな結構極端な物があるのか、と考えた結果一つ思いついた料理があった。


 ブノは容器の開いた中を見ると不思議な顔をしている。


「野菜、刻んだモノ、肉、刻んだモノ、いい香り…汁?」

「へへへ、そいつをこれに包むのさアミーゴ」


 俺は親指を立てながらこんがりとした焼き目のついた薄い生地をぺらりと手のひらに乗せた。


 ふかふかとしたその生地に木の匙でドサドサと気安くトマトにレタス、スパイスで濃いめの味付けしたゴロゴロ肉を乗せ、香草と柑橘系の香りが涼やかなソースをざばざばとかけていく。


「タコスって言うんだ。美味しいぜ」

「タコス…」


 いわずとしれたメキシコなどで大定番の軽食である。

 生地に出来にやたらとこだわらなければ、割に気安く作れてしまうご機嫌でおいしい食べ物だ。


 ブノは生地からはみ出た具をこぼさないようにワタワタとしながら大きな口をあけバクりと食いついた。その瞬間たっぷりとかけたサルサソースが生地の反対側からこぼれ出る。


「んぅ!」

「ははっ、気にしない気にしない。気前よくやるのが美味いんだ」

「んぅっ、んぅっ!」


 ブノは俺の言葉に頷くと、バクバクと野菜の果汁やソースを口元に弾けさせながらそれにかぶりついていく。


「…っタコス、おいしい!」

「だろ? 旨いよなぁこれ」


 俺も自分の分をさっと作って食いつく。

 爽やかな酸味と肉の力強い旨味が口の中で合わさり、実に爽快で濃厚な味を奏でる。アミーゴこいつは最高の料理だぜ。


「ほらこいつは自分の好きなように具を選んで作っていいんだ。自分の好きなように組み合わせて食べてみなよ」

「自由⁉」


 瞳をくりんと開くとブノは、トルティーヤを手に持ち目の前に置かれた、いくつもの具達を前に指先をワキワキとさせ、何をいれてやろうかと悩み始める。まるで食べ放題の店に初めて来た子供のようだ。


「これ…、これ、これも!」

「やるねぇやるねぇ」

「おぉぉ…」

「……やったねぇ」


 肉山である。肉祭りである。

 何ともわんぱくな仕上がりだ。

 でもそれもいい。それでいい。

 好きにやるのが楽しいのだ。


 ブノは大きな黄色い瞳をキラキラを輝かせながらその山を見つめると、一瞬で獣の目線になって食いついた。うーん肉食獣。


「んふーーーっ」


 口元からボタボタとソースをたらしながらブノは喜色満面だ。

 俺も負けじとドカドカと具を入れて包んで作っていく。

 俺のはみどり鮮やかな青唐辛子ソースをいれた、刺激的なやつだ。


「んんっんっ、ふほーーっ」

「それ…辛いやつ…?」

「…っ、そうだよ?」


 ブノは大変な健啖家ではあるが、辛いものが少しだけ得意ではない。ピリ辛程度であるならば問題ないが、しっかりと辛いものだけは、その猪のような食欲がミドリガメくらいの勢いに減速してしまう。


「無理にこれで食わなくてもいいんだぞ? これは俺が食いたくて作っただけだから」

「……けんじぃの好きな…モノ、美味しい、きっと」

「あはは、信用されたもんだ」


 ブノはキュッと口を一文字に結ぶと、さっきとは打って変わった可愛らしい量のタコスを作って青唐辛子のソースをかけていく。


「………」

「………」

「ふぅあ! 熱い! びりびり! 辛い!」

「あはははっ」

「辛い! うぅぅおいしい! でも、辛い!」

「無理するなよぉ~あはははっ」


 舌をべっと出して目をつむり、「辛い!」と「おいしい!」を何度も叫ぶブノに俺はとうとう腹を抱えて笑いだしてしまう。


 ふと目に入った祭壇を見やる。

 上手くブノが帰れたなら、こんな風にブノと一緒の食事を出来るのも、もうほんの数回しか残っていないのだ。

 家の中にひまわりが咲いたような日々は終わり、また一人の黙々とした日々が戻ってくる…。


「元に戻るだけ…だよな」

「?」

「いや、辛いの少し慣れてきたんじゃないか?」

「うん!」


 俺は口角をぐいと持ち上げると、またご機嫌なタコスをこしらえることにした。




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