第22話 怪奇現象


 平日の昼下がり、炎天下のあぜ道を車で走る。

 地面からはゆらめくような熱気が立ち昇り、目に映る家も畑も、暑さに顔を垂れているひまわりも、熱湯にひたされたようにその姿をにじませていた。


 地面には蝉が転がりはじめ、例年ほかの地の猛暑より幾分マシなここらの里山でさえ、蚊すら働くのを放棄するような日々が続いていた。


 俺の名は島居賢治、さえない中年の男だ。

 仕事は突然近所の顔見知りの家に訪問して、肉を投げつける仕事をしている。マッチ売りの少女ならぬ、肉投げのおっさんだ。


 今時マッチを買ってくれる人などいないが、肉をタダであげると大体喜んでもらえる。訪問肉投げおじさんでも歓迎してもらえるのはとてもありがたい。


 何故俺がこんな仕事に身をやつしているか…それはバスケットゴール位の高さのバカでかい恐竜鳥を勢い余って狩ってしまったからである。


 鳥みたいな見た目のくせに牛肉みたいな味のする、謎の生物の肉を配っている男なんて怖すぎる。そう思うだろう。


 もちろんそんな肉をご近所さんに配るわけにはいかない。

 というかそんなことしたら何の肉か絶対聞かれる。

 ここの人のほとんどは鹿も猪も、鳩も鴨も食った事がある人達ばかりなのだ。鳥肌の牛肉味の物体なんか渡したらひと騒動あるに決まっている。どこぞの美食家みたいに「この肉は何の肉だ!」とお勝手口からいきなり突入されるかもしれない。


 軽トラの助手席には銀色の鞄が置かれ、保冷剤をこんもりと入れたその中には猪の肉がどっさりと入っている。配っているのは猪肉だ。


 我が家の冷蔵庫は一人暮らしにはもったいない程立派な物ではあるが、それだって入る量には限度がある。

 現在うちの家には、総重量百キロを超える肉が存在している。

 そう、食肉業者だ。俺は今食肉業者になっている。


 短期間なら焼肉屋が開ける。焼き鳥屋も開ける。

 そんな量保存できるか!


 という訳で俺はくたびれた赤い半そでを身に纏い肉投げのおっさんに転身したのである。



 ♢



「いいんかい、こんなにもらってぇ」

「いやぁ、一人暮らしじゃとてもじゃないけど食べきれなくて」

「でも丁度よかったわ。来週ひ孫くっからよ? 食べさせてやるわ。婆ちゃん、何かえる? モノ無いかち言われとったからの」


「賢治くんもあーいうんやっとるん?」と流行りの写真を投稿して交流するようなモノの名を、まるでお経のようにむにゃむにゃと言葉にする。魔除けの効果でもありそうな響きだ。


 しかし…そうか、〈夏休み〉か…。

 親の盆休みに準じて田舎に子供達が来ることを忘れていた。


 里山に住む婆様や爺様は行動範囲や規則がとんでもなく一定しているので、ブノが出入りする機会や時間を調整すれば、気付かれる危険は少なかった。


 しかし、時間をもて余した彼らはどんな行動範囲を取るか分からない。おまけにブノを見かけようものなら、早打ちの銃を抜くが如く携帯で動画を撮りだしかねない…。


 この暑さだ、家にこもって携帯をいじっていてくれれば一番良いが、ブノには更に注意喚起をしておかねば。


 そんな算段を頭の中で転がしていたら、目の前の婆様が、「そうだ!」といって立ち上がった。嫌な予感がする。


 こういう風におすそ分けという名の食料配りを近所に行うと時折起こる現象がある。

 食いきれないと配ったはずの野菜だのなんだのが、別の野菜だのなんだのに化けて、お返しと称して持っていった量より多くなって家に帰ることになるという怪奇現象だ。


 俺は既に肉を配った十軒あまりの家から、様々なぬか漬けやら醤油漬けやらを助手席に置けない程にもらっていた。

 お土産と称してブノの胃に流し込むほかない…と姑息なことを考えていると足音が戻ってきた。


 帰ってきた婆様はドスンと赤い蓋の容器を軒先に置いた。


「去年に漬けたやつなんだけどよ、飲み頃だからもっていきなよ」


 透明の容器の中には琥珀色の液体と果実が詰まっている。


「美味しそうに漬かってますねぇ…」

「ウチの梅は良いからねぇ、おいしいよぉ」


 今度は美しい琥珀色の梅酒をもらってしまった。

 けれどこれは祭儀にもってこいかもしれない。

 祭りごとに酒というのは欠かせないものだ。

 なにより常温保存できるのが素晴らしい。

 本当に素晴らしい。

 我が家の冷蔵庫はもう限界ぎりぎりの肉詰め箱と化している。


 ブノ達の儀式というのは祭壇に肉や果実を捧げ、踊りを奉納したあと皆でそれを食べるというのが一連の流れとのことだったので、この土地で採れた果実酒は相応しい気がする。


 感謝の言葉を重ねながら婆様の家を後にしてようやく帰路につくことが出来た。十キロ程の肉を配る事が出来たが、総重量は増えている。何故なんだ…どうしてこうなる。


 俺は目論見を見事に打ち砕かれ、戦に負けた侍のような面持ちで肉投げおじさんを辞職することにした。



 ♢



「ただいまぁ…」

「けんじぃ、何その顔」


 けんじぃは腐った果実を食べたような顔をして帰ってきた。

 とても醜い。肉を配ったというのに喜ばれなかったのだろうか。


「肉を配りに行ったのにお土産貰いすぎて結局持っていった量より食べ物増えちゃったよ…」

「すごい!」

「そうだな…すごいな…へへへ…」


 お腹が痛いのを我慢しているような笑顔でけんじぃは成果を語る。なぜ食べ物がいっぱいあることを喜ばないのだろう。けんじぃはとても贅沢だ。


「どう? 祭壇作りの方は」

「あまり、大きい、作らない。時間、かからない」

「そっか、あ…お土産のぬか漬け食べる?」

「食べる!」


 ヌカヅケは変わった匂いがする。

 豆などを炒ったような匂いとそれらが腐った匂いの中間のような匂い。味はそのまま食べる野菜たちと違い、少しすっぱくてしょっぱくて美味しさが強くなっている。最初は苦手だったが、気づくと一切れまた一切れと食べてしまう不思議な食べ物だ。


 私達の一族にとって塩というのは貴重品だ。

 山から採れる岩塩は多くない。それをけんじぃはとても簡単に使う。このまえ聞いた〈ウミ〉というものがあるから沢山の塩が作れるのだそうだ。沢山の美味しい魚も泳いでいるというウミというものは、豊かな山と一緒で宝の入れ物のようだなと思う。


「ぼりぼりぼりぼり…ぼりぼりぼりぼり」

「ん…ん…はぁ~、やっぱりぬか漬けにはお茶だねぇ~」

「ぼりぼりぼりぼり…ぼりぼりぼり」

「ブノ?」

「ザクザクザクザク…」

「うん、これなら大丈夫そうだな…」


 けんじぃは何か優しい笑顔をして私を見ている。

 けんじぃは私が何かを食べているときは、いつも嬉しそうな顔をしている。それが少し恥ずかしいと思うのだけれど、その嬉しそうな顔が私は好きなので私は我慢している。


 もらってきたヌカヅケはけんじぃが作ったものとは少し違った味がした。けんじぃのモノより少し辛い気がするが美味しい。そのことを聞いたら、これは作る人や漬けるヌカの古さで味が色々と変化するものらしい。ますます不思議な食べ物だ。


 叔母が作る酒と、リンダハウェの父が作る酒の味が違うのと一緒のことなのかもしれない。

 リンダハウェの緑色の綺麗な瞳が目に浮かぶ。

 あの子は元気だろうか、私がいなくなって悲しんでいるだろうか…落ち込んでいるだろうか…。

 私より小さく、少し丸い彼女のやわらかい笑顔をまた見たい…。


 そんなことを考えていたらけんじぃが切って出してくれたヌカヅケはなくなっていた。本当に不思議だ…。


「祭儀なんだけど、もう祭壇が出来次第やってしまおうと思うんだ」

「急ぐ?」

「うん、ここら辺はもう少しすると人が増えそうなんだ。そうなったら目立つようなことがしづらくなると思う」


 けんじぃは顎の下の皮を伸ばしながら、真剣な顔をして何か考えるように喋る。けんじぃは普段いつもふざけているのに、たまにそんな顔をする。私は良い香りのお茶を飲んで、そんなけんじぃを観察する。いつもその顔をしていればいいのに…何故変な顔をすぐするのだろう。


「祭壇はあとどれくらいで出来そう?」

「急ぐ、二晩、出来る」

「よし、それなら夏休みキッズ達の到着前にやれるな」


 大きくうなづく。

 けんじぃはディオセモネンテがこちらに来たことは、私にとって良いことだと言っていた。それは私の山とけんじぃの山を繋ぐ穴が今も開き続けている可能性が高くなるからだそうだ。


 これがうまくいけば私は元来た山へと戻れる。

 母さんや父さん、リンダハウェにまた会える…帰れるかもしれない…。胸がふるえるように温かくなっていく。けれど同時に何か重しのようなものが胸の中にうずくまっている気がする。


『どうしてだろう…』

「ん? なんて?」

「なんでも、ない」


 私は胸の重しを流してしまおうとお茶を飲み干す。

 けれどお茶のわずかな苦みと、変わらない重しが残るだけだった。




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