第24話 彼方の夏祭り


「これはどう置いたら良いんだ?」

「ここ…並べる」

「よしきた」


 円形に打ち立てられた枝木に囲まれた四畳半ほどの広場。その真ん中に作られた祭壇は、二段造りになっており一段目には角を構えた地神が鎮座しており、葉や花を編み込んだ飾りに囲まれている。


 二段目には大き目のびわの葉や柿の葉が綺麗に洗われ敷き詰められ、端にはシダ系の植物が垂れ下げらている。それはどことなく日本の神棚に近いものを感じさせた。


 俺は二段目に丸々と大きな胸肉を燻製にしたものや、猪肉を塩漬けにしたもの、瓶に注いだ琥珀色の梅酒などを木皿に乗せてドサドサと置いていく。「よかったらこいつも食って下さいよ」と俺の作った野菜もいっぱい置いた。


 祭壇は、赤・緑・紫と色鮮やかになっていき、まさしく宴の雰囲気が出てきた。収穫祭や豊穣祭といった感じで実に楽しげだ。


 祭られた地神は若干不安を煽る容姿であったはずなのだが、何故だか今日は不思議と厳かな空気をまとっているような気がする。


「良い! とても綺麗! 精霊、神、きっと喜ぶ!」

「そうか? よかった」


 祭りの準備というのは、どうあれ気分を高揚させるものらしい。

 学生時代の学祭のように、作られていく過程が祭をより楽しみなものにさせるのだ。


 いつもより少し昂っている雰囲気のブノは、その出で立ちも普段とは違う。

 上着を脱ぎ、手首足首には草花で作った腕輪のような装飾具をつけている。見えている肌には何か石から溶かし出したのか顔料のようなもので描かれた、白くうねる蔦のような紋様がその肌に映えていた。


 異国の儀式を執り行う巫女のようだ。

 なにか魔力を秘めている感じすらする。


「その恰好、似合ってるな」

「……本当?」

「ん? 本当だよ。嘘なんかつかないさ」

「そう」


 目の前のブノはそっけない返事をすると、うつむいて少し大きく息をはいた。緊張感がそこに潜んでいるのが伝わる。


 ブノは地神の前で踊ると言っていた。

 もしかしたら、この祭儀であの恰好をするのも、踊るのもブノは初めての経験なのかもしれない。


「ああ、そうだ」

「ん?」

「少しでもそれっぽくなるかと思って、これを借りてきたんだ」


 そう言って俺は担いできた荷物の中から、集落の爺様に仕事で調べものをしているとかいう、微妙な嘘をついて借りてきた小太鼓を取り出す。


「楽器?」

「そう。ブノの世界のモノとはちょっと響きが違うかもしれないけど、手拍子よりかは本格的になるかなって思って」

「けんじぃ、出来る?」

「……頑張ります」


 眉間に力が入る。

 なんだか緊張してきてしまった。

「タタンタタン」とバチで張りのある音を響かせてみる。


「とても、いい音」

「だろ?」


 ブノに手拍子で示されたリズムを真似て、何度か試しに叩いてみる。素人仕事なので、衆目にさらせるようなモノではないが、手拍子よりもずっと音楽を感じさせる響きだ。


「大丈夫そうかな?」

「うん!」


 ブノの余白のない頷きが俺に勇気をくれる。

 胸の中の鼓動も少しづつ刻む力を強めている。

 うん、なんか祭りって感じがしてきた。



 ♢



 小さな広場の入り口の両脇に、焚き火がパチパチと炎をはじけさせている。


 ブノはその前に陣取り、炎に照らされた両肩を力を抜くようにゆったりと上下させている。伏し目がちに落としていた視線が、心の調律が終わったように前を見据え俺の瞳を射抜いた。


 彼女のわずかな頷きに同調するように俺はあごを引くと、頭に刻んだ拍子リズムを喉元に巡らせながらバチを持った手首をかえす。


 ブノから教わった拍子リズムは二種類、少しゆったりと跳ねるようなモノと、駆け足のような強いものだ。

 俺は背筋から一本の糸が通ったような立ち姿のブノを見つめながら、ゆったりと太鼓を打ち鳴らしていく。


 サワサワと風に揺れる葉のおもてを、ぱんと叩くように太鼓が震える。その響きに身体を目覚めたかの如くブノの腕がドクンと波打ってくる。


 太鼓の音の上をすべるようにブノは肢体をしならせる。地面から何かを沸き立たせるように上半身を深く上下に折り、艶めく銀髪に炎の橙を流し込んでいく。


 つま先が跳ね、描く弧が大きくなる。

 大地から燃え上がった炎が大きく揺らめき立ち昇るように腕がわななく。


 膝がぐんと沈む。

 彼女は高々と飛び上がった。

 青空で翼を広げるようにブノが舞う。

 合図だ!


 雄大な鳥が降り立ったように地面に両足が着く。

 それと同時に俺は野を駆ける獣の足音のように、「タタタタッタタタタッ」強く速く太鼓を打ち鳴らし始める。


 一気にブノの動きが激しくなる。

 突き出した手も足も、空を、大地を撃ち抜かんするように大きく弾ける。


 ブノの熱に呼応するように、バチを振る腕に力がこもっていく。

 俺が手元を覗き込む一瞬のうちに、ブノは鳥に魚に、大地を踏み鳴らす獣のように動きを変えていく。


 地面を伝わって、山に生きる命がブノの中を駆け巡っていくようだ。


 俺は腕がどんどんと重くなるのも構わず太鼓を響かせる。気づけば蝉の声も風の音も遠くなり、響く太鼓の音も鼓動だけが地鳴りのように鼓膜を震わせている。


 その高鳴りが最高潮になったとき、ブノは中空でぐるりと一回転するとそのまま大地に両手を伏せるように着地し、静まった。


 俺は持っていたバチを地面に転がすと、棒のようになって思うように動かない両手を精いっぱい打ちつけ拍手する。


 ブノは流れる大粒の汗に炎を宿しながら立ち上がり、花が咲いたように笑った。



 ♢



「凄かったぞブノ! ブノの生きてる山に迷い込んだ気分だ!」

「ふふふっ」


 俺は合間合間でブノに乗りうつるように現れる動物達がどんな姿かを答え合わせをした。最初に舞い降りた鳥はやはりディオセモネンテだった。


 立ち昇る焚火の火が絶えないように枝木を足すと、俺達は宴を始める事にする。


 肉や野菜、酒などをブノが祈りを捧げたあと持って来てくれる。入口に火を灯した後に円の中に入っていいのは、踊り子だけだそうだ。


 ブノ達一族はそうやって踊り子から肉や魚、酒などをうやうやしく受け取り宴が進んでいくらしい。これは沢山の人数がいたらきっと踊り子は大忙しで、自分が食べる暇などないだろう。


 今この時に限っては囲む者が俺一人で良かったなぁと、持ちだした塊肉に瞳が釘付けのブノを見て笑う。さっきまでの姿はどこへやら、そこにはもはや慣れ親しんだ腹ペコな彼女がいた。


 枝木で簡単に組み立てられた座卓の上に、木皿に盛られた食べ物たちが豪快にならんでいく。


「いただきます!」

「いただきまぁす!」


 削ぎ切った猪を玉レタスに包んで、果肉をみっちりと蓄えたかぼすを絞りかける。丸めたそれを口の中に爽やかな香りごと放り込む。


 その肉の旨味が口に余韻を残す間に小さな盃に入った梅酒をあおる。身体は火が入ったように温かくなり、心地いい弛緩がゆるやかにおとづれる。


「あー…いいわコレ」

「私も、飲む!」

「あ、えっと…おしきた!」


 頬に肉を詰めながら杯をブノが差し出す。

 そこへトロリと熟成した梅酒をそそいでいく。

 それをブノはすいと飲み干しうっとりと目をつぶった。


「甘い……」


 ブノの世界にも果実酒は存在するそうだが、これほどの甘さを持つ酒は存在しないだろう。


「とても甘いけど、弱い酒ってワケじゃあないから気をつけてくれよ?」

「うん!」


 そこからは飲めや歌えやのまさしく宴となった。

 ブノは一度ハナ歌を俺に盗み聞かれたことがある程度で、俺の前で歌ったことなど一度たりともないのだが、それでも酒の力かいつのまにやら楽しそうに俺には分からぬ言葉で歌い始めた。


『山に住む私達を知っているか』

『力強く駆けるこの足を、強く輝くこの瞳を』

『風に舞う鳥達よ知っているか』

『嵐にも負けぬこの心を、大地の様に強い体を』

『山の民はここに生きる。生命と共に』


 目を細めながら歌うブノにまた拍手を送る。

 草を食み、肉を噛みしめ、酒をあおった。

 何かの遊びをするわけでもない、それでも絶え間なく笑い合う。


 ブノはおかずだけでは寂しいかもと、朝に俺がこさえてきたおにぎりを手に取った。今日に限っては節米解禁である。


「おにぎり、好き!」

「はははっ、最初にあげたのがおにぎりでよかったよ」

「ふふふっ」


 気付けばブノが来てから三週間もの時が過ぎていた。


「色々一緒に食ったよなぁ…」酒の揺らめきに、身体をまかせるように瞳をとじ、嵐のように過ぎて行った日々を思い返す。でも食べたものよりもブノの笑顔ばかりが頭に浮かんだ。


「そうだ! 酔ってひたってる場合じゃねぇ!」

「んぅっ⁉」


 声を張った俺にブノがびくりとして顔をしかめる。

 俺は彼女に平謝りをしながら、胸ポケットに入っているものをするりと取り出す。


「これ、完成したんだ。不格好だけど貰ってくれないか?」

「……?」


 黄色や緑に様々な光をキラキラと放つ石に紐をつけた首飾りを手を差し出しブノへと見せる。


「これ、ディオセモネンテの⁉」

「そう、大急ぎで作ったから大した細工なんて出来なかったけどさ」

「……綺麗」


 両手を重ねて受け取った首飾りを、ブノは覗き込むようにみつめている。削るほどに輝きを増していった石はどうやら俺の素人仕事を上回ってくれたようだ。


「もらえない…これ、けんじぃの!」

「……へっへっへ、そうくると思ったぜ」

「?」


 俺は首元へ手を突っ込むと、もう一つの首飾りを取り出した。

 それを見たブノの瞳がひときわ大きくなる。


「俺一人でも、ブノ一人でもアイツは狩れなかった。そうだろう?」


 虚を突かれたように固まってしまったブノをよそに俺は得意気に続ける。


「だからさ俺達はふたりで、ディシィヒローアス‼ って事にしないか?」

「……けんじぃの舌、捻じれて…腐ってる」

「えぇ…?」


 ブノは酷い言葉を俺に浴びせながら、両の手の平を重ねるようにして俺の方へ見せると、くしゃりと優しい笑顔をくれた。





 落ちてきた日が焚き火の明るさをより強調させている。

 赤く燃える薪からのパチパチという音が祭の後の広場に響く。


「じゃあ…、俺は帰るよ」

「……うん」


 寄せてきた波が海に帰っていくように、ブノの様子はすっかりと静かになってしまっていた。

 彼女は胸元に揺れる首飾りを指先に閉じ込め俯いてしまっている。じんわりとこみ上げてくる思いがあるが、俺は肩をすくめて彼女の頭をなでた。


「帰れると…いいな」

「……うん」

「きっとブノの家族も友達もみんな泣いて喜ぶぞ」

「……うん」


 彼女のふんわりとやわらかい銀髪が木々から流れてくる風に揺れる。外の温度がいくぶん下がった気がする。じきに日が落ちる。


 俺は頭から手を離し、後ろに一歩足を引いた。

 その瞬間ブノがぐんと前に踏み出し、俺の胸に飛び込んできた。


「ブノ…?」

「……けんじぃは、けんじぃはっ、寂しい、無いのか⁉」


 ブノは俺の服をひっつかむように捕まえて、額を胸元に押し付けてくる。白い紋様が伝う肩が揺れている。服を掴んだ両手は、痛い程に俺の肌にくいこんでいた。


「……なんだよ、寂しくないわけ…ないだろ」


 喉元が熱い。

 口元を笑顔に変えることは出来る。だがどうにも目は言う事が聞かない。なんとかブノを笑わせたいが、顔を見られるのは嫌だった。今俺はきっと本当に情けない顔をしている。


 ゆっくりとブノの小さな頭を抱きしめた。

 尖る耳を腕がこすると、ぴくりと彼女の肩が跳ねるが、それを避けるようなことはしなかった。震える彼女の背中をトントンと叩いて落ち着くのを待つ。


「ほら、帰れるって決まったワケじゃないんだぞ? こんなんで明日普通に顔合わせてみろ、恥ずかしくて一緒に飯を食うのも大変だ……いててっ」


 抱きしめたブノの手が俺の肌をつねる。

「あははっ」とようやく笑い声がだせた。


 赤く燃える夕日を背に、ようやくブノの頭が俺の胸から持ちあがる。彼女の髪からわずかに香る花の匂いが離れていく。


「じゃあ、……またな!」

「……うん」


 まるで水に沈む花火のように、陽光は瞬間ごとに暗闇に飲まれていく。山を後にする俺をブノは最初に彼女と会って別れた時のように、感謝を表す手の形つくって俺の姿が見えなくなるまで見送っていた…。





 妙な夢を見た気がする。

 昨日も観た夢と同じものだということだけが何故か分かる。

輪郭だけが脳裏にぼんやりと焼き付いていて、それがどんな夢だったかは顔を洗う時にはすっぽりと消えていた。


 昇ったばかりの太陽の光を浴びながら、俺は畑に背を向けて山へと向かう。風に揺れる木々よりも、胸の中がざわざわと音を立てている気がする。


「はぁ…っ、はぁ…っ、水筒を持ってくるのも忘れちまった…何やってるんだ…」


 吹きだす汗が羽織った服をどんどんと重くしていく。

踏み出す足も昨日の酒が残っているのかどうにも鈍い。

途中湧き水をかぶり飲み、どうにか頭を冷やして山道を踏みしめる。


 しばらくして目線の先、上り坂の切れ目から、ひょっこりと祭儀に使った木造りの円が見えてくる。しかし、すでにそこで違和感があった。


 祭壇が無い。

 外枠の木よりも先に見えるはずの地神の頭がまったく顔を出さないのだ。


 俺は耐えきれず駆けだす。

 木々がひらけた広場に飛びだすと、そこには誰の姿も無かった。


 円形の祭儀場の中にはぽっかりとした空間が残るだけで、その隅には俺がブノに貸した寝袋だけが転がっていた。


「ブノーーー! いないのかぁーーー⁉」


 張り上げた声は周りを囲む緑に溶けていき、帰ってくる声は虫と鳥の鳴き声だけだった。うるさいくらいの心臓の音が、呆然と立ちつくす俺の身体を揺らしている。


 その日、ブノは俺の山から姿を消した。





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