第20話 ディシィヒローアスの勲章
一年の内、大半を里山で暮らす爺ちゃんの最大の趣味は釣りだった。しかも生半可な趣味ではない。四季ごとにヒマを作っては車を走らせ海まで行っていた。
爺ちゃん曰く、「山の
爺ちゃんの足がまだまだ元気だった頃、俺も何度もそれについていき、鯛やアオリイカ、
俺の舌が肥えたのは爺ちゃんのせいだと、母がよくぼやいていたのを覚えている。
それの最たる結果は、当時の俺の身長ほどもあるクロマグロだった。その時の海を背景に俺とマグロと一緒に撮った写真は、今でも家に飾ってある。
そんな爺ちゃんも足が儘ならなくなって竿を納める事になり、歴戦の竿達は今や押し入れで眠る日々を過ごしていた…。
◇
二百キロにも耐えて大物を釣り上げる糸は、巨大な怪物の首を見事に断ち切ってみせた。
ディオセモネンテの全長は3mに及ぶだろう。それに対して軽トラは2mもない。
下り坂で数百キロはあるであろうこの巨体を、時速80キロ以上で強靭な糸にぶつける。それが俺の考えた無茶な作戦だった。
「…失敗してたら、スプレーを撒いて逃げる手しか残ってなかった……」
上手くいって本当に良かった……。
膝も手も心臓も全て痺れたように震えている。
坂道からぐったりとうなだれるように倒れる〈山の頂〉は、先程までのけたたましさを失った今でも、恐ろしい存在感を放っていた。
俺は、何かあまりに偉大な生き物を手にかけたという、命の重圧のようなものを感じていた…。
立ちつくし赤い川を作るディオセモネンテを見つめていると、横でブノが祈りを捧げている。
はっとなって俺も手を合わせた。
「けんじぃ! すごい! 王、狩った!」
「……う、うぅん…狩って良かったのかなぁ本当に…」
ブノは大物を狩ったという喜びを全面に出している。
これはやはり生きている世界の違いなのかもしれない。
「けんじぃ!」煮え切らない俺に対してブノは両手をかかげこちらに向けてくる。
「狩る者、狩られる、運命、受け入れる。それ普通」
そうか…だからこそブノとこいつは対等なのだ。
「ディシィヒローアス‼」
「ん? なんだ…それ?」
「勇敢、狩る者。ディオセモネンテ狩った者!呼ばれる!」
「称号…みたいなもんか…」
胸にじわりと高鳴るものが湧いてくる。
子供の頃よりずっと馴染み深く、はしゃぐようにずっと隣を駆けていた気持ちだった。
山も、川も、紡いだ物語も、いつもそう。
それと一緒に俺は駆けていたのだ。
いつしか対岸にわずかに見える程度になってしまった感覚が鼓動と共に帰ってくる。
今、俺の目の前に〈冒険〉がある。
焦がれる程に求めた冒険が転がっているのだ。
俺は鼻腔を広げ大きく胸の内に空気を吸い込む。
そうして両手を上げブノの手を叩いた。
『狩り道楽ぅーー‼』
『……やっぱりけんじぃの舌は腐ってる』
叫んだ瞬間じとっとした目つきになったブノを見て、またぞろ俺は酷い言い間違いをしたようだと理解した。
♢
期せずして、圧倒的な勢いで首を失ったディオセモネンテの身体は、理想的な血抜きがなされていた。
「後で道具もってきて掃除しないとなぁここ」
これだけの巨体だその血の量も尋常ではない。
「さぁ! 捌く! けんじぃ!」
「………やっぱり食べるんだ、こいつ」
「当然!」
「で、ですよねぇ~」
興味はある。
恐竜とダチョウの中間のような姿を持つディオセモネンテは、鳥に近い生き物に見える。鳥ならばまずマズいという事にはならないだろう。だがまぁ勇気は必要だ…。
うだうだと考えているヒマは無いと、ブノに促され捌き始める。
まずはその羽根のデカさにぎょっとする。大小あるわけだが大きい部分のモノで俺の腕一本程の長さがある。
空を飛ぶことは出来ないというのに、ダチョウなどに比べて滑空が出来る分こいつの翼は退化しきっていないようだ。
「羽根全て取る…大変、肉、分けて、冷やす」
「だな」
翼、両足、首、というような形でそこの周辺の付け根の部分の羽根だけをむしり取り分けていく。そうしてどうにか解体し、軽トラの荷台に乗せ運ぶ。
動かせるかどうか不安だったが、どうにか積載重量の範囲だったらしい。だが揺れ方が尋常じゃないので慎重に車輪を動かしていく。
「おぉっ…ぉぉっ」先ほどまでは狩りに集中していて何も言う事はなかったが、ブノはあたらめて乗る車に、背筋に鉄板を入れたようになっていた。
「ははっ、怖くないからな」
「私、怖く、ない!」
身体をベルトに固定させる必要もない程ブノはガチガチにかたまって俺の隣で声を張る。どうやら自分が操作できない状況で、動かされるというのが、どうにも恐ろしいらしい。
山道を下り、沢のある近くギリギリに車をつける。
ようやく止まった車にブノは、「…ふふ、跳ぶ、下手」と良く分からない事を言って笑っていた。一体なんの勝負をしているのか…。
えっさほいさと沢へと巨肉を運んでいく。
絵面はもはや密猟者で、俺はワクワクとそわそわの中間みたいな変な気分になっていた。
研究者やら学者やらに見せれば、よだれを垂らして欲しがるであろうそれを、沢にひたして冷やしていく。直接水につけるのは怖かったので、持ってきてあった一番大きな袋に片足ずつ入れた。袋から突き出た足先の、凶悪な鉤爪の存在が異質すぎる。
次に丸々とした百キロはあるであろう胴体の羽毛をとにかく二人でむしっていく。この胴体だけは更に切り分けなければ入る袋など持っていない。まぁこれがとにかく大変だ。
鴨などなら何度となく捌いた経験はあるのだが、あれでさえなかなかに厄介な代物である。
鳥の羽根、羽毛というのは皮膚にみっちりと食い込んでおり、それらを総ざらいで取らねば見慣れた鳥肌は拝めない。
しかし面倒だと雑な仕事をすれば、食べたときに顔を歪めて、羽根元を吐き出すハメになるのだ。それでも人は鳥を食う。…美味いからだ。
抜いた羽根を詰める袋がパンパンの羽毛枕のような様相になる中、どうにか俺達はたたみ一畳はあろうかという鳥肌に辿り着いた。
「こりゃ圧巻だな……」
視界一面に広がるその分厚い皮を切り裂き腹をひらいていく。
形や構造は鳥とほぼ同じだった。違うのは肉の色がとにかく鮮やかな赤色であるということと、肉から不思議な果実臭のようなものがすることだった。
「ディオセモネンテ、果物、好き。よく食べる」
「なるほどね、肉食というより雑食なのかこいつは」
ぎゅっと引き締まった真っ赤な肉は、刃を入れるも弾き返し中々に難儀だがその肉質はきめ細かく、思いの外に美味そうだった。
「これは…一番、高価。ヒト族、欲しがる」
「ん…? それ……砂嚢か…?」
あまりのデカさにどれがどの部位だかすぐには分からない。
砂嚢、
けれど高価というのには首をかしげる他ない。
「ヒト、欲しい、中身」
「中身…? あっ!」
生き物には体の中に〈石〉を持つ者がいる。
俗称でもなんでもなく石そのものである。
それを使って飲みこんだ食物をすり潰すのだ。
〈胃石〉と呼ばれるそれは、飲みこんだ石を専用の器官に貯めて使われる。砂肝とはまさしくその器官である。
ニワトリ程度の大きさのモノであれば砂で事足りる。
しかし恐竜並ともなればそうはいかない。
「すごいな! ほとんど恐竜みたいな奴の胃石か!」
胃石自身も当然、食事と共に中で徐々に削れていく。
そうやってなめらかな肌を持つ石が残されていくのである。
中には宝石のように綺麗な物、ないしは宝石そのものも削られ姿を現している可能性だってある。
「砂肝ガチャやん…」急に俗っぽい話になってきた。
「がっちゃ…?」
「うーん違う世界だろうと人は人だなぁ…」
苦笑いをしながらも、俺はその存在にワクワクしていた。
「ディシィヒローアス、この中の石、身、着ける!」
「はぁー! なるほどなるほど! 勲章ってワケだ!」
そりゃちょっと着けてみたい。
「あける。けんじぃ」
「え? 俺が開けていいのか?」
「当然!」
こんなガチャ、何百万つぎ込んだとしても誰も引けないシロモノだろう。そういったモノにのめり込んだ経験は無いが、何だかすごいドキドキしてくる。
俺はナイフの刃先をわずかに震えさせながら、スイカほどの大きさのそれを切り開いていった……。
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