第4話 ブノとおかえし


「うぁーん…? わしゃそんなこと言ったかい?」


「そりゃないよ爺ちゃん!」


 齢90を迎える爺様に、「20年以上前にした話を憶えていろ」という方が酷な話かもしれない。だが結構印象的な話だ。出来れば憶えていてほしかった。


 いつから現役なのかも分からない黒電話の、白く曇ったカドを指先でコツコツと叩く。振り出しに戻ってしまった。

 どうしたものかと思案していると、爺ちゃんが、唸り声ともため息とも分からない音を受話器に漏らしながら、突然大きな声を出した。


「あぁ! 賢坊、日記が残っちょうぞ」


「日記?」


「婆ちゃんがいってからよ? 物忘れが多くなっちまっての、随分前からつけよるのよ」


 婆ちゃんが逝ったのは俺が小学生の時だ。

 もしかしたら俺に話したことから紐づけて、流れてくるモノに関しても、日記に残していてくれるかもしれない。


「爺ちゃん。すまないんだけどその日記しばらく貸してもらってもええかい?」


「そりゃええけどもよ? そぉなこと調べてどうするんよ」


 どうにか切れかけた糸を繋ぎとめられたかもしれない。俺はほっと一息をつく。


「賢坊。おまえまたぁ本さ書き始めたんかい?」


 ちくりと胸に痛みがはしった。


「ううん、書いちゃおらんよ。仕事でちょっと役に立つかなって思っただけだから」


「ほうかい……、わしゃお前の本好きじゃったからの、そうなら嬉しいと思うたんよ」


 段ボールの中にしまい込んだ、捨てるという程の覚悟もない数冊の本の事を思いだし、口元に少し力が入る。


「今はこの生活が楽しいからさ」


 そのあといくつか他愛もない話題で少し湿っぽくなった空気を誤魔化すと、俺は受話器を置いた。


「切り替えられたと、思ってたんだけどな」


 受話器を置いたときの甲高い音が、耳鳴りのように頭に残って離れなかった。



 ♢



 埃をかぶった納屋には、板目の隙間から昼間の光が差し込み、舞い散る塵で階段をつくっている。


「あー…どこにしまってあったかなぁ…」


 納屋には錆びたノコギリの刃やクワなどが立てかけられ、古く使わなくなった農具などに麻布がかぶされている。カビた木の匂いと鉄の匂いが入り混じり、子供の頃に入った体育館倉庫を思い出す。


 肩から下げていた濡れたタオルを、口に当てながら納屋の中を確かめる。すっかりと使わなくなってしまったが、まだ充分に使えるはずだ。


 すらりと鉈を一太刀手に取り、少し錆びたそれを、重さを確認するように軽く手の中で躍らせる。


「うん。少し研げばいけるな。女の子には重いかもしれないけれど、あの子なら問題ないだろ」


 山での暮らしに欠かせないものの一つに刃物がある。魚をさばくにしても薪を作るにしても、刃物は必需品だ。

 

原始的でありながら今もなお使われる道具というのは、それだけ何もない所から、生活の質をぐんと引き上げる代物なのだ。


「ナイフのような物はもっていたけれど大き目の鉈はあった方が絶対に楽だよな」


 薄くすり減った荒砥石で鉈の刃を立てた後、俺は他にもいくつかの物を見つくろって鞄の中に入れると山へと向かった。


 昨日の今日ではあるのだが、山道を歩く足がいくぶん軽く感じる。

 売れない物書きなんぞを長くしていた人間だ。好奇心が胸の中で既に駆けだしているのだろう。

 俺は彼女のことを知ることが楽しみになっていた。


 山道を進み、鮮やかな水場の植物が育つ川の近くへと辿り着く。

 俺は胸ポケットにしまっていた熊避けの鈴を一定の間をあけて三回鳴らす。それが昨日彼女と取り決めた俺が来た時の合図だ。


「ありゃ、いないかな?」


 手に持てば軽く沈むような重さのある真鍮の鈴が、その音を凜と木々にしみ込ませても、彼女が現れる気配はなかった。


 根城となっているのはこの近くのはずだ。もしかしたらまた魚を捕りにいっているのかもしれない。


 ザワリと葉が擦れる音が聞こえる。

何かの気配を感じとっさに上を向くと、「ズンッ」と後方で何か大きなものが落ちた振動がヒザを震わせた。


「うおっ…!」


 俺は身体をびくりと硬直させると、ゆっくりと音のした方へと振り返る。

 幾枚かの葉を散らせながら、ブノがそこにしゃがみ込むように着地していた。


「こにちゃあ、けんじぃ」


「…ふっ」


 虎のような身のこなしで、恐ろしく整った顔から幼子のような言葉を放つブノに、堪えきれず吹き出してしまう。


「何…、おかしい?」


 少し不安そうな顔をするブノに、俺は両手をさわがしく動かしながら否定をすると、山での生活に問題はなかったか等確認していく。


「山…安全。強い 獣いない」


「そっか、でも気を付けてな。山には獣以外にも危ない生き物はいるから」


「あぶない モノ、精霊 教える。でいじょぶだぁ~」


「…っ」


 わざとらしく咳ばらいをしてから、持ってきた荷物をドスンと地面へ下ろす。


 ブノの瞳が見開かれ、何が出てくるのかと期待の光が宿ったのが分かる。

 ふんふんと荒くなった鼻息が聞こえてきそうなブノに、大したものを持ってきたわけじゃないと、慌ててけん制しながら荷物を解いていく。


「まずはこれ、鉈っていうんだ。動物の解体とか、木の皮を剝いだり枝を払ったりするのに役に立つ」


 油を薄く塗り、古新聞にくるんでおいた、緩やかな曲線を描く刃物をブノへと見せる。


「ナタ……」


「貸しておくから好きに使ってくれ。この土地で長く使われてた物だ。使い勝手は良いだろうと思うよ」


 ブノはずしりと重いそれをおずおずと手に取ると軽く振ってみせる。


「ナタ!!」


「うおわっ」


 初めて振るったとは思えない手さばきで、鈍く光る刃がぴゅんと風を切る。

 次にひらりと舞い落ちてきた葉を鋭く見据えると、ブノはしなやかに手首をかえしてそれを両断してしまった。


「いやいやいや…それそんな芸当出来るような業物じゃないって…」


「ナタ…! 良い! 感謝! けんじぃ!」


 今まで聞いた中で一番声が弾んでいる。狩猟を主とする種族だ。見たこともない新しい刃物というのは俺が思っている以上に気分が高揚するものなのかもしれない。


「なぁ、ブノの一族は狩猟をして生活していたんだよな?」


「そう。暑い日、寒い日、色々 狩る」


「一族の中でもブノは、狩りが凄く上手かったりするんじゃないか?」


「…ブノ、得意。女で、一番っ」


「そりゃ凄いな」


「ふふふっ」


 はにかむようにブノは静かに笑う。控え目ではあるけれど、その顔には誇りのようなものを感じた。


「あとは…塩と鍋と…」


 岩の上にトントンと塩の入った瓶や、むかし囲炉裏で使っていたツル付きの鉄鍋を置いていく。


「おぉっ…おおお」


 ブノは並べられていく物を唖然としながら見つめている。


「あとは、俺の作った野菜」


「……けんじぃ」


 あれ? 反応が悪い…。もしかして野菜は嫌いなのか?


「私…何も、返せない…」


 ブノは両手で抱き込むように鉈を持つと、そのままうつむいてしまう。


「え…? いいんだよそんなの。今は使ってない物ばっかりだし。言ったろ? お互い様ってさ」


「…ブノ、けんじぃ 困った時、オタガーイサマ 出来ない」


「…っ大丈夫さ。大丈夫! 今大変なのはブノの方なんだから。大変な時は甘えていいんだよ!」


「……」


 背中を丸くしたブノに、どうしたものかと考えを巡らせる。


「なぁブノ、今日はこれを使ってここで一緒に昼飯を食べてくれないか?」


「…うん」


 どこかまだ申し訳なさそうなブノの顔を見ながら、苦笑する。責任感の強い娘なんだろう。


「…でも肉はないんだ、だから魚を捕ってきてくれるか? 俺にはとても出来そうにはないからさ」


「……! うん! ブノ、魚、捕る!」


 ブノはさらさらと輝く銀髪を揺らして表情を明るくさせると、タンッと弾むように駆け出していく。


「あぁちょっと…! まず野営場所教えてくれブノ!」


「おぉ…っ」


 ぐるんと土埃を舞わせながら反転し戻ってくるブノに俺はまた吹き出してしまうのだった。



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