第3話 オタガーイサマ


「なるほど…ブノはセネクデゥという国の北の山から来たのか…」


 若草色の上着を羽織り、尖った耳をわずかに動かしながらブノは静かにうなずいた。やはり聞いたこともない国の名だ。


 互いに分からないことを一つ一つ確認していく。ゆっくりと焦らずに。


 彼女は家族と一緒にこことは違う山に住んでいたそうだ。けれど三日前に突然この山の中で目覚め、見慣れぬ地を散策してみたが、自分以外がここに来た痕跡は見つけられなかったらしい。


「私…別の種族 話したこと、ちょっと…」


 俺や集落に住む人々に話しかけようと思ったがどういう対応をされるか分からず、この山で野営をしていたそうだ。


 俺は一呼吸いれてから一番の問題について切り出すことにした。


「ブノ…元いた場所に戻る方法に、心当たりは無いのか?」


「……ない」


 彼女は俺の言葉をかみ砕くようにゆっくりと呑みこむと、悲しそうに首を振った。


 俺のほうとて見当もつかない。何か慰めになる言葉を口にしようとするが、どれも浮わついた言葉ばかりで目を伏せる。


「……そうだ! 不思議に思ってたんだが、ブノはどうして俺達の言葉が分かるんだ…?」


 沈んだ空気を変えようと質問を彼女に投げかける。


 彼女の国も名前の響きからも、日本と同じ言語が使われているとは思えなかった。


「山 精霊、言葉 教えて…くれる。精霊 ケンジィ 山の主…教えてくれた」


「精霊…」


 にわかには信じがたいが、どうやら彼女と俺の会話を、この山の精霊というものが間をとりもって、翻訳してくれているらしい。

 単語をぽつぽつと並べ会話をするのは、どうやら単語一つ一つではないと、精霊が教えてくれた音を拾うことが難しいからのようだ。


 どんな国の言葉でも、文章となると難しいのは同じだよな。


「ここ…精霊、とても 穏やか。私とても、助かった」


「長く爺ちゃんが手入れをしてくれていたからな…今も昔もこの山は豊かだし…、そういう事が関係あるのかもな…」


「…精霊、先代 感謝してる…。」


「そっか。ふふふ、爺ちゃんに今度そう伝えとくよ」


 なんだか自分の事のように嬉しくなって、心が暖かくなってくる。


「ふふっ…」


 喜ぶ俺を見て、ブノが初めて笑ってくれた。



 ♢



「動物、狩り…駄目…。魚、良い…」


「うん…。ここは人の国だから、人の約束事が色々あるんだ」


 ブノは俺の狩りに関する説明を理解してくれたようだが、すこし困ったような顔をしてうつむいてしまう。


「うん…魚と木の実だけじゃ大変だよな…」


 ブノから聞いた彼女の種族の生活形態は狩猟民族だ。いくらこの山が豊かだといっても、川魚と植物だけでは腹を満たす量の食事を安定させるのは相当難しいだろう。


「全てというわけにはいかないだろうけど、俺も力を貸すよ。」


 俺の家に彼女を迎えようかとも考えた。しかし全く知らない人種と、いきなり寝食を共にするというのはそう簡単なことではない。

 ましてや俺は異性だ。今日会ったばかりの彼女を家に呼ぶという行為が、築きはじめたばかりの彼女との信頼を崩しかねない。


「ありぃがとう」


 ブノは両手のひらをこちらに見せるようにして重ね、胸の前にかかげてそう言った。彼女の種族の感謝を表すハンドサインなのかもしれない。


「日本にはね。困ったときはお互い様って言葉があるんだよ」


「オタガーイサマ…」


「そ、お互い様!」


 時間を確認すると日没が迫ってきていた。俺は残ったおにぎりを遠慮する彼女に押し付けるように持たせると、明日もここに来るから会おうと約束をして帰路につく。


 俺を見送る彼女は姿が見えなくなるまで、またあのハンドサインをしていた。



 ♢




「理性的な子でよかったぁ~~っ」


 張りつめていたものが一気にゆるみ、へにゃへにゃと膝を折る。

 互いの文化の違いも全く分からない。スマホで検索すれば簡単に予習出来るわけでもない。そんな状態で仲を深めるのは、かなりの緊張感があった。


「あの身体能力で略奪目的でかかってこられたら俺、勝てる気しないもんなぁ…」


 東京にいたころ、他国から来たばかりの人と行動を共にする機会が何度かあった。

 文化の違いは行動基準に大きな差異を生む。何が無礼と感じるか、何に怒りを感じるか、どんな相手に好感を抱くか…本当に人それぞれだ。国も種族も違うとなってはその振れ幅は想像もつかなかった。


「しかし…、最大の問題はやっぱり彼女を元いた場所に帰す方法だよなぁ…」


 こっちの方はもはや考えた所で答えが出るような事とは思えなかった。



 ―― 流れてくる者もんがおったら、やさしくしてやらないかんよ。国を離れてさみしぅ思うからの。



 爺ちゃんの言葉をまた思いだす。

 爺ちゃんは行き場所もなく泥中に沈むようにもがいていた俺に、手を差し伸べて引き上げてくれた。


「うん…。困ったときはお互い様だよな」


 握りこんだ手に力がこもる。


「ん…? あぁそっか! 爺ちゃんに聞いてみればいいんだ」


 ブノより以前に他の地から流れてきた種族がいたのなら、帰ることが出来たヒトだっていたかもしれない。


 気づくと俺は家へと駆けだしていた。





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