第26話 Sun shower


 歳を経るたびに、月日の流れる早さは恐ろしい程に加速していく。それは心が成長するよりもずっと早く、気づけば自分の心の歳よりもずっと年齢を重ねてしまっている。


 大人などというものの大半は、大人のフリを必死にしているにすぎない。そうやって身近な大人や、憧れている人の形態を模している内に、その振る舞いに慣れていく。そんなものだと俺は思う。


「読んだよぉ~島居君、いいじゃない! 女の子書くの上手くなったね!」

「あぁ…ありがとうございます」


 電話先から鼻声気味の声が響く。

 相変わらず胡散臭い雰囲気が声からでも伝わる。


 三年も音信不通だったので、電話に出てもらえるかどうかも怪しかったが、とりあえず弾丸タマがあるなら路傍の石でも拾うよという気軽さは変わってないようだった。


「相変わらず冒険小説だけど、女性が主人公だから話持っていきやすいかな、一応上に通してみるよ」

「あ、本当ですか」

「うんうん、まぁあんまり期待されすぎても困るけどさ、勝算は二割くらいで思っててね」

「いやいや、充分っす。もともと自費ででも出そうかなって思ってたくらいのやつなんで」

「へぇ、そっかそっか」


 編集者の誉め言葉は話半分で聞かなくてはいけない。

 けれど対応してもらえるだけでありがたかった。「今度飯でも行こうよ」という杓子定規な誘いを軽く受け止めながら、感謝の言葉を重ねて通話を終えた。


「ふー…やっぱいくつになっても苦手だな、こういう電話」


 あれから気づけば一年という月日が経っていた。

 俺は日常にぽっかりと空いてしまった穴を文字で埋めるように、懲りもせず本を書いた。


 物語の内容は無邪気で屈託のない、狩猟と食べることが大好きな少女が、様々な冒険をするという冒険小説だ。


 言ってしまえばブノから聞いた世界の、日常や文化、狩りなどの話を冒険小説風にまとめたもので、物語というより記録文学に近いのだが、それを信じる人など誰もいないだろう。


 彼女から聞いた話は、その都度それなりに書き留めていた。それでも、目に焼き付いた彼女の躍動する姿や、一緒に尋常ならざる者を相手に狩りをした時の、胸のしびれるような思いを忘れぬうちに、何かの形にして残しておきたいと思った。


 なにより、向こうの世界で家族や友人に囲まれ、溌剌と活躍する彼女を描くのは非常に心が躍るものだった。

 いつになく感嘆詞のついた担当編集の対応は、欲目なくそれらを描写しようとしたのが良かったのかもしれない。


「うくぅぅ~~っ」


 居間にごろりと転がり思い切り伸びをする。

 畑の手入れと山の見回り、それらに加えて収入源となる仕事に、本づくり、この一年は久方ぶりにみっちりと頭と体が働き続ける毎日だった。くたくたになる日もしばしばだったが、今の俺にはそれが丁度良かった。



 ♢



「おっ、綺麗なの見っけ」


 ゴツゴツと波打つような肌を持つナラの木陰に、ツヤのある鮮やかな赤色がぽこんと顔を出している。実りの季節の先陣を切って現れるタマゴダケだ。


 じいちゃんに教えてもらった美味いキノコの中でも、間違えず安心して採ることのできるモノの一つで。汁物に炒め物に様々な料理に合う。


 原稿の受け渡しも済んで、久しぶりに何か色々と作って食卓を飾ろうと、俺は山の見回りをするついでに今日の晩酌のアテを探してうろうろとしていた。

 昨年に比べて何者かがこの山に現れるという緊張感は薄れてきている。再び訪れた夏もひと月がとうに過ぎ、その中で不思議な出来事などは全く起こらなかったからだ。


 まるであの夏の出来事など揺らめく蜃気楼であったかのように、見知った場所に戻った山を練り歩いていく。ここへ入る頻度も、もう以前に戻していいかもしれないなと思いつつも、俺は気づくとここへ足を運んでいた。


 不意に現れたギンヤンマが並走するように飛ぶ。口端を少し上げると、競争するようにぐんと大きな石を跨いだ。


 ひとしきり散策し、多くはないが布袋に成果が溜まってきたころ、黄色い布がはためく広場が見えてきた。


「……ん?」


 広場の中央に置かれた石が先日見た時と位置が変わっている気がする。思わず駆け寄りその場へしゃがみ込む。


「風か…獣か?」周辺を見回しそれ以外の痕跡がないかを調べる。息を飲みながら目線を走らせると、石から少し離れた所に足跡が見つかった。だ。


 俺の足跡よりもひと回りも小さい。

 目を見開いて呼吸が止まる。首をしきりに振って辺りをくまなく見つめた。


 鈴を三度鳴らす。

 習慣のようになっていたその行為も、今日は慌てて手から鈴をこぼしそうになった。しかしこれまでと同じように返ってくる声はない。


 そわそわと小走りで木の隙間に目線を投げる。

 思い出したように大きく息を吸う。その瞬間、頬をぱらりと雨粒が打った。反射的に見上げると空は青色に染め上げられており、雨雲は見あたらない。


「……て…天気雨か。ひと雨こなきゃいいけど…」


 浮かんだ言葉を口にすることで、弾ける火花のように広がる思考をどうにか落ち着けようと試みる。


 。それだけが現状俺が断言できることだった。


「誰かいるのかーー⁉」


 少し上ずった声が山に響く。緊張していた。

 やるべき事の順序を考えなければいけないのに、今にも彼女が藪から飛び出してくるのではないかという想像が浮かんできてしまう。


 口元が彼女の名を作ろうとした瞬間、前方から物音がした。

 木陰から浮き出たに、俺は作った形そのままに名前を叫ぼうとする。


『ふぅん…。あなたが…』

「…っ‼」


 つんのめるように口をつむぐ。

 現れたのは彼女とは全く違う容姿の存在だった。


 しっとりとツヤのある黒髪が肩口から流れ落ち、毛先に向かって緩やかに波打っている。肌色はブノよりも随分と明るく、その瞳は緑色に輝きとても美しくはあるが、どこか冷たく厳しい雰囲気を放っている。


 光沢のある深い青色の布で出来た上着をはためかせ、背筋の通った優雅な身のこなしで、彼女はこちらへとゆっくり歩いてくる。

 陽光にさらされ、その輪郭がくっきりとしていく中、黒髪から突き出る長い耳を確認する。


「…こ、言葉は通じる、かな?」


 悠々と警戒する様子もなくこちらへと歩いてくるその存在に、すこし及び腰になりながら声を張る。敵意や殺気のようなものは感じないが、得体のしれない圧迫感があった。


「わかるわよ。なんだか細切れで、面倒な言葉ね」

「……そ、そうか。…よかった」


 わずかな違和感があるが、まるで何年もこの国で暮らしてきたかのような話しぶりである。俺の頭は、目の前から押し寄せてくる情報にますます混濁してきた。


 とにかく落ち着いて会話をしなくては…彼女がどのような状況でここへと来て、どういった精神性の持ち主なのか確かめなくてはいけない。急に混乱して暴れられたらコトだ。


「俺の名前は…」

「けんじぃでしょ、知ってるわよ」

「えっ…」


 気付くと数歩程度の距離まで近づいてきている彼女は、目を細め薄い笑みを浮かべた。瞬間数歩あった距離を一足飛びで詰められる。


「なんっ…!」

「選んでくれるかしら」

「な、何を…」

「ここで死ぬか…別の地で、一生を過ごすか」

「は…⁉」


 釣りあげられた唇が怪しく光ると首元に冷たい感触が走る。視線を首元へと巡らせると、ナイフの刃がアゴ下へと伸びていた。


 喉が膨らまないように浅い呼吸をしながら、彼女の思惑を知ろうと顔色をうかがうが、変わらず美しい顔に薄い笑みを張り付けて、こちらの答えを促すように、首筋に当てた刃先を擦りあげる。


『ベネフ姉さん‼ 今すぐその手をはなして‼』


 後方から耳に届いた声に背筋が伸びる。

 何を言っているかは分からない。

 だが、誰が言っているかは一瞬で分かった。


 後ろから駆け寄ってくる足音に今すぐ振り向きたくなる衝動にかられる。目の前の黒髪の女性は至極つまらなそうに刃をしまうと、ドンと片手で俺の胸を押しのけた。


 よろめいた俺の身体が、後ろから来た存在によって受け止められた。俺はぐるりと目いっぱい振り向く。

 そこには美しい銀髪をなびかせながら、俺を心配そうに見つめる黄色い瞳があった。


「ブノ‼」

「けんじぃ‼」


 こうして俺は一年ぶりに彼女と再会した。



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