第7話 雨音


 母にヒト族は、「弱くいつも飢えていて、見境がなくモノを奪いにくる」そう教わった。


 一度、山に行商に来た人間を近くで見たことがあったが、

 瞳はギラつき私達から少しでも多くの物を手に入れようという、下心が見え隠れしていて怖かったのを憶えている。


『はふっ…はふっ、おいしい…』


 一緒に山で食事をしたとき、けんじぃはカレーライスに使った野菜以外にも野菜をいくつも置いていってくれた。

 その中の、ジャガイモというものを蒸したものに、わずかに余ったカレーライスをかけて私は食べていた。


『あふっ…ふっ…うぅぅ。おいしいなぁ…』


 けんじぃは、私が知っているヒト族とは、姿も性格も違っていた。

 自分の領地に無断で入ってきた私を、追い払うこともなく、とても美味しい食べ物をくれたり、何も対価を払えない私に色々な物を貸してくれるのだ。


 それが最初は怖かった。母には家族以外からの対価の無いほどこしには裏がある。そう教わっていたから。


 けれど、けんじぃにそういう素振りは中々見えなくて、あるとするならば私の国や種族の話を、やたらと沢山聞きたがるという事くらいだった。


 それも拙いこの国の言葉で伝える話を、けんじぃはワクワクと子供のように瞳を輝かせて聞いているだけなのだ。


『おいしすぎて、心が肥えてしまいそう…』


 この満足感に慣れてしまってはいけない。そう自分を戒める。

 これはあくまで一時的なあの人のやさしさで存在しているものなのだ。

 これが当たり前と思ってしまうのは危険だ。


 木皿についたカレーライスを、名残り惜しむようにすくい取ると、私は立ち上がって仕事をしに行くことにした。


 なにかを返したいという私の思いを見透かして、けんじぃがくれた仕事だ。

 私の一族なら、この程度の仕事をしたところで、せいぜい肉を一握りもらえるかどうかだろう。


『しっかりとやらなきゃ…』


「ふんっ」と気合をいれるように息を吐くと、罠の見回りにいく。

 私達の一族は罠で狩りをすることは少ない。


保存食用の魚を捕るために、川に橋を渡して、仕掛けを作るようなことはあるが、基本は槍と弓で獣を狩る。こんな気長な狩りというのは初めてだった。


 眠っている精霊を起こさないように、山道をあるいていく。彼らの機嫌をそこなうと足をすべらされたり、虫をけしかけられたりしてしまう。


 ここの前の主だったけんじぃの祖父は、とても愛されていたようで、けんじぃの周りを漂う精霊達も彼を守るように動いている。


 よそ者の私に力を貸してくれるのも、けんじぃの祖父がそういう主だったからだそうだ。


『けんじぃはきっと、おじいさんにとても似てるんだろうな…』


 シワくちゃになったけんじぃを想像し、一人クスクスと笑いだしてしまう。ヒトの一生は私たちの半分にも満たないと聞いた。

 けんじぃもすぐにシワくちゃになってしまうのだろうか。

 それは少しさみしいな…。

 そんな仕様もないことを考えていると、一つ目の罠を仕掛けたところを目視できる場所についた。


 罠の側には行かない。余計な気配や匂いを獣道に残すのは、半人前の仕事だ。


 大きな風向きを読んで、たとえ遠くからでも風下から仕掛けを確認する。風上に立ってしまえば、ここからでも彼らは私に気づくだろう。


 私が止めを刺すことは許されていない、もし獲物がかかっていたとしたら、刺激して暴れさせてしまうのは頭の悪いやり方だ。


『…いない』


 かかっているとは思わなかった。

この山は豊かだ。わざわざ敵かもしれないモノの匂いが残る場所で食事をしなくても、他にも食べられるものは沢山ある。


 八つの場所を確認して回ったが、一つもかかってはいなかった。


『獲物はかかって無かったから、伝えには行かなくていいんだ…』


 けんじぃは、「明日は自分の仕事をしなきゃいけないから来れないんだ。ごめんな」そう言って肩をすくめていた。謝るような事は一つもないのに。


 けんじぃがもし、私の世界の〈ヒト〉と生活をしていたら、すぐに騙されて全てを失ってしまっているだろう。けんじぃは、とても甘い。


『…ふふふ』


 姉に『暗い笑い方ね。嫌いよそれ』と言われたコソコソとした笑い方をまたしてしまう。


 ここには、意地悪な事を言う姉も、いつも厳しい母も、無口な父もいない。


 胸の中がすっと冷えた気がした。


 この山はとても美しいが、私の山ではない。暑くなると咲くアデイラの花の甘ったるい香りも、少しうるさいくらいの緑猿の鳴き声もしない。


 膝をたたみ、寝床でうずくまる。

 重苦しい空模様に引きずられるように、ひゅうひゅうと私の中に冷たい風が吹いている。

 その風は私の中の臓を冷たく撫でつけ、次々と不安にさせていってしまう。


 呼吸を浅くして、風が止むのをじっと待つ。


『……お父さん…お母さん』


 こみ上げてくるものをどうにか抑え込む。今折れてしまえばどこまでも落ちていってしまう気がした。


『……? どうしたの? そんなに動き回って』


 空を舞う精霊が、グルグルと長い尾をたなびかせて回っている。何か様子がおかしい。


 心をそばだてると、〈嵐が来る。強い嵐が来る。ここも流される〉そう旋回しながら囁いていた。


『嵐…、そんな……』


 嵐が来てしまったら、私のちっぽけな仮の寝床など吹き飛んでしまうだろう。

 大樹の上で夜を明かせば大丈夫だろうか…? 身を大樹に固定する縄はどうする? 次々と浮かぶ問題に鼓動が早くなる。嵐の夜の野営などしたこともない…。


『大丈夫……大丈夫……』


 冷たくなった指先を撫でながら、呼吸を整えようと目をつむる。大丈夫…大丈夫…。


 パラパラと葉を叩く音がする。雨がもう降りだしてしまった。少しずつ強くなる雨音が不安を加速させる。


『急がなきゃ…っ』


気持ちばかりが急いて、何をまずやるべきか私は決める事ができない。「私はまだまだ半人前だ」そんな思いが奥歯をかみ締めさせた。


 リィーーーン…リィーーン…リィーーーン。


『!』


「おーーい。ブノー! いるかぁ?」


 慌てて飛び上がり、声の方へと走っていく。


「けんじぃ。どうして?」


「あはは、急にごめんな」


 けんじぃは少し眉を下げて、また何も悪い事などしていないのに謝った。



 ♢



 濁った雲が空を食いつぶしていく。降りだした雨は木々を打ちつけ、いつも美しい山は一気にその表情を変えていた。

 振り向くとブノは、俺の貸した鉈や鍋を持って、いつもより緊張した面持ちでついてきている。


「どうにか本降りになる前に家に着けそうだな。よかった」


 ブノへと投げかけるように言葉を発するが、彼女は頷くだけで固い表情は抜けていない。


 うーん。変な警戒心を持たせちゃったかな。

 そりゃそうか。突然きて、「嵐がくるから避難した方がいい」だもんな。よく信じてくれたもんだ。


 俺は山の入り口の近くまで来ると、少し駆け足で出ていき家の近くに人が来ていないかを確かめる。


 狭い集落だ。一人に見られただけで一瞬で話は広まる。

 住んでいる人たちは皆温厚な人達ばかりだが、国籍もなく人種も違うであろうブノの事が、役場にまで伝わればどんな面倒事になるかも分からない。


「ごめんな裏口からで、さぁどうぞ」


 お勝手口からブノを招き入れる。

 ブノは開かれた扉から、中をきょろきょろと確認しつつ怯えた猫のようにそろりと足を踏み入れる。


 雨粒を光る銀髪から滴らせ、ブノは初めて見るであろう沢山の物に、目を見開いている。


「今、拭くものを持ってくるな」


 ドタバタと家の奥から大きなタオルを二枚持ってくると、片方をブノへと渡し、ガシガシと自分の体を拭き始める。


「台風がここに来るのは明日の夜中らしいんだけどさっ、今日からもう大雨が降るみたいだから、危ないと思って呼びに行ったんだ」


「通り過ぎるまではここで雨宿りをするといい」身体を拭きながら一方的に俺はブノに話しかける。

 どうにか彼女に安心してもらおうと言葉を紡ぐが、なんだか言い訳みたいな響きになってしまって、頭を乱暴に拭く。


「あり…がとう…。けんじぃ」


「え…」


 あまりに突然のことで俺は固まってしまう。


 手にもったタオルを握りしめたまま、ブノは涙を流していた。






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