第6話 罠


 この山里に移住してきたときに、爺ちゃんに猟師免許を取れと言われた。

 けれど俺は、山に銃を持ち込み、それで狩りを行う自分がどうしても想像できなかった。


 話の落とし所として、俺は罠猟の免許を取った。爺ちゃんが俺に免許を取れと言った理由は、山を守るためだ。

 シカやイノシシといった獣の作物被害は、年々増加の一途を辿っている。これらの獣は作物への被害に留まらず、見境なく山も禿げさせてしまうのである。


 誰のための豊かさかと問われてしまえば、難しい話ではあるが、適正に捕食者が存在しなければ、山の命は上手くはめぐってくれない。


「そうはいっても、得意な事とはいえんのよな…」


 爺ちゃんに教わりながら初めて鹿を捕まえ、しをおこなった時の感触と、若い牡鹿の美しい瞳は今も忘れられない。


 俺は納屋へと入り袋に入っている、ずしりと重いくくり罠を手に持つ。


「山を守るのも爺ちゃんとの約束だからな」



 ♢



「けんじぃ、狩り…する?」


「うん、といっても罠猟わなりょうだけどね」


 役場への申請を済ました後、俺は道具を担いでブノのもとへとやって来た。

 じゃらりと鉄の匂いが漂うくくり罠を、彼女に見せる。


「ブノ。よかったら狩りの協力をしてくれないか?」


「私…狩り、して いいのか?」


「ブノには獲物の通り道を見つけて欲しいんだ。狙うのは猪と鹿だ」


「…追う者っ。大丈夫、出来る!」


 追う者、獣の痕跡を追う者ということだろうか。優秀な狩人というのは、山に残る痕跡に聡くなくてはいけない。


 足跡、食痕、ふん。熟練の猟師はそれら僅かな痕跡から、そこをどのように獣が通り、どんな順序で行動したかまで、映像が浮かびたつように見えるらしい。


「でも…けんじぃ、臭い」


「えっ! 臭い⁉」


 朝シャワーを浴びてから来たのだが、やはり歳をとると…いやいやまだ加齢臭は流石にしていないと…。


 ざっくりと心に傷を負いながら、自分の体をにおっていると、ブノがくすくすと笑い始めた。


「獣、人の匂い 警戒。ケンジィ、香り 強すぎ」


「あぁっ、そういうことか。なんだ、よかった…いや良くはないんだけど…」


 野生動物の嗅覚というのは並じゃない。一度人が通った道というのは、匂いが取れるまで数日は使わなくなる。なので罠猟というのは銃猟にくらべて長い時間を使った戦いになる。


「今日明日すぐに取れるとは思っていないから大丈夫だよ」


「…わかった。道、わかる。こっち」


「えっ、もう目星がついてるのか。流石だな」


「道、縄張り、知る。大事」


 ブノの雰囲気が今までと違う。表情は引き締まり、瞳の色は澄んで、動きひとつひとつに確かな意思があるように思える。


 狩人としてのブノになった。そう思った。

 素人に毛が生えた程度の俺は、なんだか急に緊張してきてしまう。


 ブノは道すがら何種類かの草を積むと、手の中で揉み始めた。


「効果 少ない でも、やる 良い」


 彼女の細く長い指が、俺の首元へと伸びてきてドキリとする。ブノは、ついこないだ会ったばかりである人間に対してでも、やたらと距離が近い。


 首筋を撫でる指の感触と、ブノの黄色く燃える大きな瞳に、俺は体を硬直させて、なされるがままとなってしまう。

 次いで手首、足首にと草の塊をこすりつけていく。


「うん。少し 臭い なくなった」


「そ…そう。良かった。」


 表情を強張らせる俺をさしおいて、ブノは小気味よく、まるでそう進むべきだと山に言われているように迷いなく山道を進む。

 俺も山歩きには慣れている方ではあるが、ブノは山を生業にしている者という感じだ。


 額から汗が絶え間なく流れる程度に進んだころ、ブノの姿勢がすっと低くなった。つられて足元へと視線を動かす。


 湿った地面の上には、二股に分かれた蹄の跡が刻まれていた。蹄のすぐ下にはうっすらと丸いへこみが出来ている。


「猪だな。この大きさだと成獣かな…」


「これが、イノシシ…」


 ブノは足跡をしっかりと見据え、その形を憶えようとしているようだ。


「二頭、ここ 通る。別々、雄、雌」


「つがいじゃない二頭の猪がこの獣道を使ってるわけか…」


「…二晩前、ここ通ってる。その日以外、何度も、使ってる」


「そこまで詳細に分かるのか。凄いなブノは」


 声は出さず、ブノは口角をわずかに上げる。いつものはにかむような笑顔ではなく、どこか自負を感じさせる笑みだ。


「いいね。じゃあここに一つ仕掛けてみよう」


 俺はスコップで地面を掘り、鞄からくくり罠を一つ取り出す。


 新書程度の大きさの薄い板から、バネが組み込まれたワイヤーが伸びている。

 それを近くの手頃な太さの木の幹に固定する。ギリギリとバネを引き延ばしながら穴に罠を埋めて仕掛ける。


 これを猪が踏み抜くと、板を囲うようにつけられた鉄の輪が弾けて猪の足をとらえるという仕組みだ。


 俺は寄せ餌となる米糠を取り出し、罠の近くに盛っていく。


「これ、美味しい?」


「はははっ、そのまま食べるものじゃあないね。これを使った野菜の漬物はおいしいよ。ぬか漬けっていうんだ」


「ぬかぢゅけ」


「そう。ぬか漬け」


 だんだん不意打ちにもなれてきた。


 最後に罠を固定している木の幹の高い位置に、ここに罠が仕掛けてありますよ。という事故防止の札を取り付けて完了だ。


 山の中を歩き回り、計八つのくくり罠をどうにか仕掛け終わった頃には、夕暮れ間近になってしまっていた。

 獣道への案内をブノがしてくれていなければ、半分も仕掛けられなかったかもしれない。


「ありがとう。ブノのおかげで迷いなく仕掛けられたよ」


「ふふふっ。オタガーイサマ」


「ははは。だな」


 上手くいけばいいけれど、こればっかりは獣の気分次第だ。


「獣、捕まる、おしえる?」


「うん、ブノには見回りも頼みたいんだけれど出来るかな? もちろん獲物は分ける」


 捕えた獲物を長い期間放置するわけにはいかない。足を引きちぎってでも逃げてしまう個体もいるからだ。

 そうなってしまえば、その獣を待つのは苦しみぬいた果ての死だけだ。奪うからには、粗末にはできない。


「獲物…分けて、くれるのか?」


 俺は言葉を間違えないように、しっかりと意味合いを頭の中でかみ砕いてから話し始める。


「これはブノに任せたい仕事なんだ。」


「仕事…」


「狩人がいなくて増えすぎた獣に俺は困ってる。だからそれを減らす手助けを頼みたい。」


 ブノは、過剰なほどこしに戸惑っている。俺としては彼女から得られる話や経験だけで、十分に対価を受け取っている感覚ではあるのだが、そういった不明瞭なものでは、ブノは納得はしてくれないだろう。


「その対価として、ブノがこの場所で生活できる手助けを俺がする。肉を分けるのはその対価の一部だよ」


「……仕事。わかった!」


 ブノの瞳に力強い意思が宿る。


「よかった」


 うん、これで気兼ねなくブノの手助けができる。


 俺はいい取引をしたと一人満足げにしていると、ブノが静かに両手の平を重ねて、こちらに見せながら笑顔になる。


「けんじぃ、甘い」


「え…」


「ふふふっ…。ありぃがとう」


 なんだか恥ずかしくなって頭をがしがしと掻く俺を、ブノはおだやかな笑顔で見つめていた。



 ♢



 トントンと腰を叩く。今日はひさしぶりに随分と歩いた。「まったく…歳はとりたくないね」 一人ため息を吐きながら、PCを起動させる。


 仕事の業務連絡を済ませると、日課となっている天気予報の確認をする。畑を持つ者にとって天候というのは、恐ろしいほど生活に密接した情報だ。


「まじか…」


 自然というものは人の都合になどは合わせてくれない。

 

 予報を眺めながら、俺は頭を抱えることとなった。






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