第8話 台風そうめん
ざんざんと屋根瓦を叩く音が激しくなっていく。窓から見える外の風景は豹変し、いつもなら見通せる場所も白く霞んでしまっている。
「どうしたんだ⁉ 何か怖かったか?」
目の前で涙をポロポロと流すブノに、俺はどうしたものかと情けなくうろたえるばかりだった。
「もう大丈夫。大丈夫だから…な?」
持っていたタオルでブノの頭を拭いてやる。
なんだか大きな子供が出来たみたいな気分だった。
どうにか落ち着いてきたので、身体をしっかりと拭いてもらったあと居間へと通す。
ブノは畳の上に膝を抱えるように座ると、うつむいて黙ってしまう。
「なぁブノ。俺なにか、嫌なことしちゃったかな?」
「…っ」
ブノは勢いよく顔を横に振る。濡れた銀髪が顔にびったんばったんして凄いことになっている。
「わかった。分かったから!」
苦笑しながらブノを制止する。
とりあえずお茶でも入れようと俺は台所へ向かう。暖かい飲み物を飲めば、少しは落ち着くかもしれない。
お茶を二つ用意し、居間のお膳へと置く。
よいしょと腰を落とした瞬間、わずかに眩暈がしてよろめいてしまった。
「…けんじぃ?」
ぱっと顔をあげたブノが、心配するような表情でこちらを覗っている。
「あははっ、大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだから」
今日は夜明け前から畑の台風対策に走り回っていた。
そこまで広くない畑とはいえ、一人で全てこなすのは、かなり骨が折れる。
途中近所の婆様の畑や、家の暴風対策なども手伝った後からの山だったので、正直もう俺の体力は限界に近かった。
握力がなくなりカタカタと震える指先を苦笑しながら見つめる。
「いやー、嵐の準備ってのは大変だね」
から元気を出してブノに笑いかける。
彼女は潤んだ瞳で、少し苦しそうに口をつむぐと、こちらにグイッと膝詰めにしてきた。
「おんっ…どうした?」
びっくりして息をのんでいると、ブノは震えている俺の手を握り、もみ始めた。
「ブノ…?」
「けんじぃ…甘い……っ。凄く、甘い」
筋肉をもみほぐすように指圧してくれる。雨で冷えた指先が血を取り戻すように温かくなっていく。
ブノはまたぞろ涙がこぼれ出しそうな様子だが、口をへの字にして懸命に我慢しているようだった。
「けんじぃ、来て、くれて…すごく、嬉しかった」
顔を伏せながらぽつりぽつりと喋るブノの言葉を、聞き漏らすまいと耳を傾ける。
「私…、怖い…動けなかった…」
ブノは、嵐の野営は初めてで不安だったが、安心したら涙があふれてきてしまったのだそうだ。
顔を伏せたままのブノは決して俺と目を合わせようとしない。
「涙…見せる。とても恥。弱い生き物、思わせる…いけない」
種族としてなのか、家訓のようなものなのか、ブノはそういう教えのもと生きてきたのかもしれない。
けれどそれが、今の彼女にとって守るべき約束事とは思えなかった。
「……そっか。じゃあさ、俺ずっと、どっか向いてるから、好きなだけ泣くといい」
「……っ」
「俺はそれを、恥ずかしいことだなんて絶対に言わないよ」
俺の手を握る細い指がわずかに強く食い込む。指先から震えが伝わってきて、それが俺のモノではないと分かった。
きっとブノはずっと我慢していたのだ。
家族から離れ誰を頼るあてもなく、元の場所へと戻れるかどうかなど分からない。そこで一人、生きねばならない。
それが不安じゃないワケがないのだ。
辛くないわけがないのだ…。
俺は、一人好奇心を沸き立たせていた自分を殴りたくなった。
♢
ボーンという古時計の鐘がなる。「もう五時なのか…」疲労からの眠気に襲われ始めるが、かぶりを振って瞳をまたたかせる。
眉間に力を込めて険しい表情を作る俺の手には、ベージュの布が握られていた。
白目を剥きそうになりながら俺は、母の下着をかかげ、睨みつける…。
俺はざっとシャワーで、泥のついた身体を洗い流したあと、ようやく声に張りの戻ったブノを、半ば強制的に風呂に押し込めた。
濡れ犬の様な彼女を、そのまま布団で寝かせるわけにもいかないからだ。
彼女達の種族は沸かした湯で体を拭くことはあるそうだが、風呂というモノには入ったことがないという。
入り方を説明したのち、いきなり服を脱ごうとするブノを前に、脱兎のごとく退散した。
上着やらなんやらは俺のを貸せばいいとしても、問題は下着である。
結果俺は、修羅のような面持ちで、母がここに来た時に使っている洋服を引き出し、下着を物色するハメになった。
いったい何の地獄なのか…。
どうにか着替えを用意し脱衣所の棚に入れ、それを浴室のブノへと伝える。
そそくさとまた退散しようとすると、水音と共にブノの声が浴室から響く。
「けんじぃ! りんす、ぬるぬる、 気持ち、悪い!」
「それは! 軽く洗って乾かせば! 大丈夫になるから‼」
ブノはひとしきり涙を絞りきったら、ケロリと元気になってしまい、どちらかというと俺の方が満身創痍だった。
「晩飯はもう、そうめんでも茹でて済まそう」
段々と背中が丸まってきた。昔働いていた職場で、「島居くんって、疲れてるのが身体にでるよね」と笑いながら言われたのを思い出す。
末期になると口が開きっぱなしになる。
畑から採ってきてあった薬味ネギとミョウガ、茹でおいてあったオクラにきゅうりを、乱雑にザクザクとみじん切りにしていく。
それらの水気をしっかりと切ってボウルへと入れると、めんつゆにお酢、擦りゴマにごま油、作り置きしてあるニンニクの醤油漬けを刻んでガガっと混ぜれば、ぶっかけダレの出来上がりだ。
料理というのは不思議なもので、つくっている最中にこうしたい、ああして食いたいと思うと、面倒でも調理を始めてしまったりする。
そうめんを茹でて、ネギにめんつゆでいいかと始めたはずなのに、気づくと俺はガチャガチャと台所を食材で埋めてしまっていた。
「さて…これを冷やしておいて…」
『いい匂い…』
「うぉあ!」
口をだらりと開けながら、ほとんど脳死で料理をしていたせいもあるが、またしてもブノはいつの間にか俺の隣に立っていた。
大きめなシャツを一枚着ただけの彼女は、今まで見てきた民族衣装のような服装の時とは違って、妙な生活感があって頭がくらくらする。
「短いズボンも置いてあっただろう?」
「アレ、大きい。脱げる。他は…着た」
そう言うとブノはシャツの裾を持ち上げ、その中を自慢げに見せてくる。
…ありがとう母さん。あなたのおかげで冷静でいられます。
「紐で締めるだけじゃダメだったかぁ…」
「けんじぃ。湯、沸いてる」
「おん」
脳の処理がだいぶ大雑把になってきている。
そうめんをワシっと掴むと、大きな鍋で一気に茹でていく。爺ちゃんと二人で暮らしていた時はこんなに茹でた事はない。
ブノは俺の使っている器具がとにかく気になるのか、好奇心たっぷりに俺の後ろから、ひょこひょこと覗き込むように顔を見せている。
「けんじぃ、凄い! 火…操る!」
「凄いのはこの道具なぁ~」
茹で上がった麺を冷水でしゃっきりと締め、水気をしっかりとザルに押し付けるように切ったら、皿に盛り、冷やしておいたタレをざぱっと回しかけたら完成だ。
「さぁ~、ちゃっちゃと食って今日は休もう。流石に疲れちまった」
結局最後まで隣でしげしげと作業を見ていたブノが、笑顔で頷く。
居間の大きな机に、そうめんと作り置きのいくつかの物をタンタンと置いていく。
「ほいじゃ、いただきまぁす」
「いただっきゃます!」
初めてで箸は難しかろうと、ブノにはフォークを渡してある。
つるつると良く冷えたそうめんを、ジャクジャクと心地いい歯ごたえと共に口の中に流し込んでいく。
うん、うまい。「夏だなぁ~」なんて呆けるようにつぶやいていると、目の前ではブノが猛然とそうめんをすすっていた。
「うんっ…うんっ! 涼しい! うまい!」
「あはは。涼しい、旨いか、その通りだな」
「けんじぃ。これ、名前は?」
「そうめん、だよ」そう答えながら、皿にねじるように盛られたそうめんを見ていると、昨日から何度も天気予報を確認しては溜め息をはいていた、台風のように見えてきた。
俺はそれを綺麗に平らげてしまおうと口いっぱいに頬張っていく。
「ごちすぅうさま!」
見るとブノの皿は、すっきりと空になっていた。相変わらずの健啖家ぶりだ。
外の大雨は、もはや滝つぼへと降りそそぐ水音のように鳴り響いている。
この大変な台風もあの皿のように綺麗に空になってくれると助かるんだがなぁと、俺は笑いながらそうめんをすすった。
―――――――――――――――――――――――――――――
読んで下さりありがとうございます。
気に入っていただけたなら、感想や
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます