第19話 代償

「追え!! 逃すなぁ!!」


 時刻は11時35分。 

 場所は観光区中央南通。

 追跡者が示した指の先には深手を負った一人の少年。殴りつけるような号令とともに次々と強者どもが駆け出し、白と黒の行進をこのダンジョン都市に演出する。

 白煉瓦の街並みに屋根伝いに移動する者達に、大通りの住民は足を止め、非日常的な刺激が面白いのか、皆揃って屋上に目線を集めている。

 しかし、先頭を走る少年にサービス代わりに手を振ってやる余裕などない。

 隣を走る獣人は心配げに横目で伺うが、それにすらコウが気づくことはなかった。


「やばいな……。」


 不意に溢してしまった呟きは目を背けたくなるような敵の数、身に降りかかる終わりなき魔法の乱撃に絶望を感じたからではない。

 ただコウは自らの行いの代償とその重さを渋々と嘆いていた。

 荒れ始めた息遣いと予想外の発汗。

 前後左右問わず、数多の俊足と鬼火の如き煉気を纏った者達がコウとザックに襲い掛かる。

 統率の取れた動きと千差万別の攻撃が踊り狂い、確実に目標者を詰めていく最中、コウの肉体は万全とは言い難い状況だった。

 

(腕の……左手の感覚がない。)


 その代償は幼少の頃より、わかりきっていた事だ。

 動かない。ピクリとも動かない。

 感じない。痛みすらも感じない。

 まるでコウの左手は秋風に吹かれる枯れ葉のように右は左へ垂れ下がるだけだった。

 本来あるべき褐色を失い、魔力の流動を感じず、力が入らない。

『練魔戦術』は一歩間違えれば自壊の一撃となる。決して使わないというシアとの約束を破り、リスクを犯した代償は、確実にコウを蝕ぶ。

 腕の悲惨さを物語るように、コウの顔色は血の気を失い、痛みがない不自然さが明確な身体への異常を示していた。


魔術発動ルーン・オン


「キリないなほんとっ!!」


 魔法反応!! 

 コウは痛みに意識を向ける暇もなく、研ぎ澄まされた魔力領域が、空間になぞられた自己構築術式を察知した。

 夥しいほどの数、おそらく出待ちされていたのだろう。

 『研魔』はそれほど便利なものではない。人間が意識・集中できる時間というのは決まっている。呼吸が乱れ、身体の疲労、長時間の展開は精神を乱し、魔力の揺らぎを生む。

 故に、今のコウに先ほどまでの切れはない。攻撃の察知が一瞬遅れてしまうのは必然であった。


(下位は無視でいい。でも中位は避けるか受けきるか対処しないと魔力が剥がされる!)


 研魔領域を解き、常時発動中の魔力をより放出したコウは、鎧のように纏われた魔力を強化し、身体をより活性化させる。

 やがて識認できるほどの蜃気楼の靄がコウを包み、粘度を帯びた大火の如く、魔力が燃え上がった。

 

「乗り切るよザック!」

「うっす。」


 コウの思考とザックの戦闘経験は包囲網の強行突破を選んだ。

 一気に加速するコウ。その速さに付随するザック。

 発射された魔術は既存式かつ、詠唱不要の元素魔術。コウが確認できた魔術は、


「『火の砲弾を放つ魔術イグナリーズ』」


「『北風を吹かす魔術ファルファスノウン』」


「『水の鎖を操る魔術アグアス・テイル』」


 計三つの術式。

 火・水の魔術速度は申し分ないが、予測と偏差で放たれたことで、急速には対応できず後方へ散った。

 風魔術にいたっては無視でいい。この程度で魔力の鎧が貫かれることはない。

 前方に掲げた腕に魔力を集中させるコウ。

 圧倒的な魔力総量の暴力は、風魔術を一切ものともせず。


「なっ!!」

「速すぎだろ!!」

「ではこれなら!」


「『大地の波を引き起こす魔術ソドム・ラーク』」


 前方を塞ぐように次々と地面から、幾重にも折り重なった歪な土壁が構成されるが、


「ふっ!!」


 コウは土壁を踏み台に、何なく跳躍してみせる。それが敵の狙いであるとも知らずに。


「!? コウさん!!」


 危機迫るザックの声と同時にコウはミスに気づく。

 研魔領域分の魔力を防御に回せば、索敵・魔術分析能力が格段に落ちる。精々自身の周り数メートル程度と、目視できる範囲での解読しか出来ない。故に、飛び跳ねた獲物を仕留めんとする狙撃手の存在には、到底気づかなかった。


「『戦術発動アーツ・オン』」


(回避、いや無理だ。)


 弓に流れる魔力、付与された構築式から上位クラスであるとコウは推測する。

 弓本体に施された強化魔術に加え、陽属性を有した神聖術。

 その二つが技能アクトへ上乗せされるのだ。

 その威力は容易にコウを射貫くだろう。

 空中につき回避は不可。

 コウは腕に魔力を集中するも、焦るあまり負傷した左手に流し込んでしまう。

 その瞬間………。


「gふっ!!」


 筋肉繊維が千切れるような痛み。焼き切れた回路を無理やり動かそうとした代償だ。


「は〜い終了、お疲れさん。」


 狙撃手は苦痛に顔を歪め、注意を散漫させた獲物を逃さない。


「『光輝なる神の射手弓アルグ・レインズ』」

 

 射手使いが放った三条の黄金。

 いずれ三つは矢と姿を変え、渦を巻きながら一条の光となってコウへ迫る。


(やばいこれ死……)


 腹を貫かれる。そう覚悟した時だった。


「『戦術発動アーツ・オン 不動の城塞カウヌス・シルド』」


「はっまじかい!!」


 矢は甲高い金属音と共に散り、コウは褐色の腕に包まれる。


「コウさん。もっと頼ってください。」


 一瞬、胸がときめきそうになったことは秘密だ。

 間一髪、飛び上がったザックが空中での一戦を不動の大楯で救う。

 

「ごめん、ありがとう。」


 ザックはコウを片手で抱き上げたまま、逃げ隠れるように郊外の脇道へそれる。

 流石にこの数を凌ぎながら屋上を伝うのは無理がある。

 できる限りこの街を壊したくはない。街ゆく人に被害が被るなどもってのほかだ。その考慮の上で、コウは屋上を走っていたが……。もうそれどころではない。


「どうします。」


 ザックは足を動かしたまま、コウに問う。

 ほんの僅かな休息でコウは息を整え、すぐさま対策を立てる。


「ここからは細道で行こう。ごめん。もう少しだけ担いでて欲しい。また魔力を広げるから。僕が指示する方向に進んで。」


 水蛇の水路まで直進で進んでいたが、ここからは迂回する道を選択する。

 精神が静謐になるほど研魔の精度は上がる。ザックに身を預けることで体力を回復しつつ、索敵に気を回すことが出来る。


「ザック、魔力総量は?」


 生まれて初めての乱戦だが、コウは休む暇もなく懸念を抑えにいった。


「まだいけますけど……。魔力さっきから流しっぱなしなんで。詠唱はまずいです。」


(当然だよな。あんなに固有魔術を行使してるんだ。並の魔術師ならここらでガタがくる。)


 目尻の上がったザックから現状の厳しさを窺える。

 ザックは獣人、生まれつき身体能力に特化しているためか、種族的に魔力総量は多くない傾向にある。

 だがザックは術式持ちだ。種族内では異端の魔力総量を誇るし、人間の魔術師と比較しても平均以上は優にあるだろう。

 しかし、言い換えればその程度だ。

 固有魔術の弱点は魔力消費が激しいこと。

 ザックは術式という有利があるもの、長期戦を維持できるほどではない。

 固有魔術に続き、自己発動型の盾を常時展開できるよう術式を魔力で満たしている状態だ。当然、使用を控えなければ体力の前に魔力が尽きるだろう。

 故に、出来る限り温存しなければならない。無闇矢鱈と魔法を連発することは愚策のはずだが……。

 それを理解した上で、コウはある策を講じる。


「分かった。でも流石にこのままじゃいつか限界が来る。」

「すいません。おれのせいです。」

「違うよ。お願いだからそんなこと言わないで。」

「でもどうすれば。水蛇んとこまでまだありますよ。」

「わかってる。だから……。」

「……コウさん?」


 突然、コウが腕からすり抜けたことに気づき、ザックは足を止め振り返った。


「やっぱりさっきのは無しだ。」


 決意を秘めたその眼差しには迷いなどなく、コウの熱が視線を介して受け継がれる。

 時間はない。今こうしている間にも敵は近づいてくる。だがザックは一人立ち向かんとする少年に今一度敬意をもって相対した。


「ザック。君は僕に昔のことを教えてくれたよね。」

「はい。」

「ありがとう。誰かに自分の心を晒すのって、やっぱり勇気がいることだと思うから。」

「……。」

「だから僕は……。そんな心を見せてくれた君だから、ここまで背中を預けることができたんだ。」


 勢いまかせに感謝の告白をしたコウは、照れ隠し様に少し目線を逸らした。

 思いを言葉にできるだけの記憶を募る。

 ザックは自身が野良であることを明かしてくれた。それがどれほど勇気のいることだったか想像できる。

 獣人の迫害、奴隷擬き。これまで汚い言葉を何度も投げかけられてきたのだろう。そんな目を背けたくなるような過去を……自分ために必死に伝えんとしてくれた。

 ザックは言葉が上手くない。でもそれは言葉を縫い繕うことがないという事でもある。

 ザックは人格に裏表のない本当に良いやつだ。こんな出来損ないの自分を一人の人間として見てくれた。

 心を晒すには十分過ぎるほど、コウはザックから言葉を貰ったのだ。

 気づけば自然と頬は緩み、心の隔たりが溶かし、大好きな姉妹と母へ贈ったあの笑顔がザックの前に転び出る。

 そうしてもう一度、コウは覚悟と願いを口にする。


「だからザック。もう一度だけ僕を信じて欲しい。」

「……うっす。」

「たぶん危険な賭けだと思う。今までやったこともないし、成功するかもわからない。もしかすると、君の命に関わることかもしれない。それでも、僕を信じてほしい。」


 言葉を苦手とするザックでも、コウの心境は掴めた。だが伝えるにはどうすればいいかわからない。自身の頭が良くないことは承知の上だ。

 ならばと、ザックは全身全霊をもって仕える者としての在り方を示すことにした。主人を守る忠犬は片膝を落とし、敬意をもってその身を捧げる。


「仰せのままに。何なりとお申し付けを。」


 コウはただその姿を前にして、言葉を詰まらせる。


「わかった。じゃあ言うよ。」


 時間はない。

 今からする事を簡潔に言葉にするにはどれが適切かと考えるコウ。感覚を言い表すのは難しいものだと苦戦する中、やっとの思いである一つの解を導き出した。

 それは……。

 

「今から僕は! 君と一つになる!!」

「すいません。やっぱり無理です。」

「ほらやるよザック!!」


 即拒絶したザックだったが、それでも作戦は決行されたのだった。

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