第9話 『ダレイン冒険譚』

「やっぱり気のせいか。」


 コウは手を枕がわりにだらしの無い寝姿で天井に独り言を投げかけたが、当然返答などしてくれず、気のせいだと自分の頭に言い聞かせる行為でしかなかった。

 風呂場でのミシェルは変だった。何かを訴えんとする最後に見せたあの表情が気がかりで…。

 もしや何か大切なことを伝えようと…、それともただの深読みか。

 もう夜更けにさしかかる。明日のために体を休ませようとベッドに入るが未だ寝れそうにない。


(気持ち悪い…。)


 考え事と同時に襲ってきたのは酒での失態。

 先ほどからコウは頭痛と胸から迫り上がってくるものを抑えるのに必死だ。寝返りざまにうめき声を上げながら、楽な体勢に動かしての繰り返し。

 二日酔いのような不調の原因は竜殺しという酒を誤って飲んでしまったからだ。

 正直、飲んでぶっ倒れた時のことはまったく覚えていない。

 自分がどう風呂から上がったのか。着替えはどうしたのか。部屋まで誰が運んでくれたのかなど、考えたくもない。


「もう寝よ。」


 家出前に黒歴史とは幸先の悪いこと。

 これ以上、考えまいと頭に毛布を被り、早々に寝ようと暗闇に身を任せるが、酔いの倦怠感と風呂での出来事が重なり一向に眠気が訪れる気配はない。

 コウは不鮮明や不完全といった曖昧さを嫌う。直ちに消化・解決しないと頭がいっぱいになってしまうたちなのだ。だから結局のところ、後回しにできないのなら真っ向から問題と対峙するしかない。

 

「……ダメだな。寝れない!!」


 うずく体がついに布団を蹴っ飛ばす。

 枕を背に体を起こし気だるさの抜けない頭にエンジンをかけ始めた。思考を重ねるとつい出てしまう独り言の悪癖にすら気づかないほどコウは没頭し始めた。

 

「一旦整理だ。」


 コウは風呂場での不可解な場所に、焦点を当てることにした。

 ただの深読みだと考えたが、どうにも頭は納得していない。ならば納得するまで考えを叩き込んでやればいい。

 風呂場での出来事を募り、少しでも不審に思ったことを振り分けていく。

 

「まさか姉様の冗談か? いやでもあれは酔ってたし。内容も意味わからなかったし。」

 

 出来事順にあげるなら、よくわからない兄妹の話が浮かぶ。


(何というか…あれは別ジャンルだよな。)


 ミシェルは稀に阿呆になる時がある。と言っても知能や態度はそのままで。例えるなら、束縛を疎む良家のお嬢様が立場や外聞も忘れ、はしゃぎ回る町娘になってしまうといったところだろうか。


「そもそも何で僕たち一緒に風呂入ってたんだよ。」


 元を辿ればやはりそこに行き着いてしまう。理由を聞いても「姉弟だからよ!!」と返されるだけで、全くもって意味不明な回答なのだが、そんな謎のテンプレートでいつも丸め込まれてしまうのだ。あればかりは不思議としか言いようがない。使われると思考力がまとめて吹っ飛ばされ、家族なら別にいいかな、と謎に安堵してしまう。

 素を晒してしまうのはこのせいだろう。

 現に、コウは先ほどミシェルに泣かされたばかりだ。

 思えば、稀に見せる姉の少女化は飾ることのない素の姿なのかもしれない。だから昔のように話がしやすく、馴染みやすいのだろうか。


「素の姿…。」


 飾ることをやめ、稀に見せるミシェルの一面。そこに意味はあるのか。

 もしかすると、あのフレーズはミシェルが素に戻ろうとする心理的な発信なのかもしれない。

 その変化が他者に与える影響は……、一時限りの人柄と印象の操作あたりだろうか。

 ああ見えて、ミシェルは曲者だ。自身を暗示かける一種の社交的仮面ペルソナをもっていてもおかしくない。

 ではどのタイミングで姿を現し、その仮面を外すのか。

 政治的権力の場、それとも華やかな舞踏会? もしくは、愛を求める恋愛遊戯ごっこ

 断じて否。掛け値なしの姿をみせる場所など言うまでもなく決まっている。

 人はありのままを晒すことに不安を抱くものだ。だからこそ、他人との関係を築く上で役者ロールを演じざるをえない。だが、ミシェルはコウの前では偽りの仮面を外し、無邪気な笑みをみせる。それは偏に、彼を信頼し、安堵しているからこそだ。

 ならば心は縛りを嫌うはず。物事の戦略性を遂行しようとするのなら、緩みない社交的仮面ペルソナを用いてくるはずだ。

 となると、コウの結論はやはり気のせいという素っ気ないものだった。


「考えすぎかな~。」


 コウは一度、全身をほぐすように両手を頭上に伸ばした。

 わざとらしく口調で身体に言い聞かせてみるも、コウの疼きは止まらない。それは未だ納得できていないことを表し、その答えを望んでいないことは明白だった。

 この不可解な現象の正体。

 コウの心には柄にもない感情論が渦巻いていた。

 理論的に、そして合理的に。どちらも論理に適っている共通点を持ち、数式を愛し、魔術の探求に舌鼓な少年にとって、感情を先行させることは珍しいことだった。

 しかし、不思議と不快ではない。むしろ思考に反した意思を抱きながらもいたって冷静で…、まるで身体がその矛盾を望んでいるかのように。


「やっぱり。何かあるんですよね姉様。」


 コウは緩んだ体を引き締めた。

 やはりミシェルは何かメッセージを残している。そう考えろと、そう信じろと身体が喚いている。


(今夜は眠れそうにないな。)


 コウは頭の中でピースを散りばめ、盤面を作り出す。心理的に読み解くことを捨て、ミシェルに習い弟らしく「姉弟だから!!」という謎理論をこじつけてやった。


「よしっ!」


 コウの思考の方向を切り替え、一気に加速させる。

 最後に見せた何かを訴えんとするミシェル。それは裸体を晒す風呂場ならば、視線だけは躱すことのできるアドバンテージこそのものだ。

 地の利を活かしただけではまだ足りない。

 例えば、酔っていたこと。いつもの声の波長を気取らせないためのカモフラージュと捉えれば……いや、飛躍しすぎかもしれないが、今はそれでいい。

 全てを活かしたミシェルの策と仮定するなら必ず布石を残すはず。


(何かあるはずだ。姉様を信じろ)


 コウは目を閉じる。それは必然ともとれる行動だった。

 イメージするのはたった一人の劇場の映写幕スクリーン。映し出されたのは顔色や抑揚すらも再現した追憶の芸役者達。演じるのは風呂場での出来事だ。

 そして…。コウの頭にあるキーワードが浮かんだ。


「『ダレイン冒険譚』か!」


 たどり着いたのはとある物語。懐かしき母が読み聞かせてくれた本の一冊である。

 すぐに思いつかなかった理由は、のぼせかけ手前での話題のため、半分以上上の空で会話の記憶が飛んでいたからだ。

 内容は王家出身の主人公ダレインが跡目争いに巻き込まれ、旅という名の流刑に処されるというものだ。しかし、自由に憧れた少年はその境涯を愛し、旅路での様々な出会いのなかで成長するダレインの冒険を描いている。話自体はありふれたもので、特に変わったことはない。

 思い当たるのはミシェルがこの物語が好きだと言っていたところだ。


「姉様は昔、あの物語を嫌って母様に泣きついてたはずなんだ。あの物語が好きだなんて嘘だ。」


 それは懐かしき記憶。

 よくコウ達はアリエルの懐に集って本の物語を楽しんでいた。その最中、耳にしたのが『ダレイン冒険譚』だった。

 ダレインの最終幕は花園。約束の花園に至ったダレインは最愛の姉の裏切りによって最後を迎える。

 ミシェルはその物語に何を思ったのか。

 散る花びらと赤く染まる弟に涙を浮かべる裏切りの魔女。

 ダレインの死によって物語は終えることに何故悲しみを隠せなかったのか。当時、畏怖するように泣きじゃくっていたミシェルが、あの物語を好きだと言ったのだ。まったくおかしな話だ。


(嘘だ。あんなに嫌っていたのに、姉様が好きだなんて言うはずがない。それに姉様は冒険譚を好んで嗜まない。)


 監視から盗聴されている以上、突飛よしな話の変化は不自然に思われる。ならば思い出話の流れを作った上で、話を切り出すための嘘のこじ付けとすれば良いと、コウは結論づける。

 

「どうして姉様はあの冒険譚を話に出したんだ。」


 おそらくここが要だろう。

 なぜミシェルが心を偽ってまで『ダレイン冒険譚』を話題に出したのか。


(ちゃんと思い出せ。何か必ず…)


 会話のなかの些細な情報も、一言一句詳細に……。

  

「水蛇か…。」


 不意にもろび出た水蛇の存在。

 コウは思いついたようにベットから立ちあがり、本棚へ手を伸ばした。

 本棚の上側、その一番左端の方へ……。

 手に取ったのは分厚い本。その表紙に書かれた題名は『ダレイン冒険譚』だ。紙が茶色に日焼けし、年期の入り具合がわかる。

 コウは赤付箋のページをめくり、素早く目を動かす。昔の記憶が蘇る感覚に浸りながら一枚、また一枚と読み進めていく。

 そして、いつしか手は止まっていた


「やっぱり……。」


 ゆっくりと閉じられた本の赤表紙を覗かせながら、小さな謎が解けたかのようにコウは静かに頷いた。


「水蛇なんて登場してない。」


 ミシェルが語るダレインの物語には誤りがある。この冒険に水蛇など存在しない。冒険の旅路が好きだと言うのに、その部分を間違える事があるだろうか。

 まず嘘が故意であったことは間違いない。そして、水蛇から連想できる物はこのエルレリアの地においてある有名な地下水道しかありえない。

 

「おそらくだけど、姉様が伝えたかったのは十二支石のことだ。」


 十二支石とはエルレリアの有名スポットとされる観光の目玉である。

 それぞれ十二種の動物を模した石造りとなっており、水蛇の地下水道は内壁に蛇の模様をもした彫刻が一面に施されている。

 そしてある人はその様をこう表現する。「まるで蛇の腹の中を進んでいるかのようだ」と。


「懐かしいな。シアさんとの鬼ごっこ訓練でミシェル姉様がこの地下水を凍らせて、バカみたいに怒られたっけ。」


 思い返せば苦い過去だ。だがミシェルはそれを利用し、メッセージに繋げるための因子としたのかもしれない。

 本当に恐れいる。これは家族だからこその記憶のだ。

 コウは本をしまうと、ベットの縁に腰を落とす。手のひらに意識を向けて、手を開き、そしてまた閉じる。

 やはり…。疼きは止まっていた。


「これは賭けだな。」


 コウにとって、家出の失敗は夢を終わりを意味している。

 今後二度と外へは出られない。帝都に行けぬまま、婚約は進み、そして中立都市エステリアで何不自由なく暮らすこととなる。

 マードックの名を保持し、見目麗しい才嬢と契りをかわす。美男美女の子だ、きっと可愛らしい子供が産声を上げてくれるだろう。何より、マードックの血を引く子供たちだ。立派な魔術師なれるだろうし、拒むなら中立都市エステリアを任せればいい。

 巨万の富と家訓の栄誉を与り、そして人生の幕を下ろす。

 誰もが羨む未来を約束されながら、それでもコウは名を捨てる道を選んだ。

 覚悟はできている。後は自分で勝利を手繰り寄せるしかない。姉の言葉をどう捉え、どちらを選択するか……。その二択でコウの行く末は決まるだろう。


「汽車のホームは正門から直進で着く。でも、水蛇は裏門が最短だ。」


(追手がつくよな。時間が経てば、展開された従者は左右から取り囲んでくるだろうし、途中からの脱線はありえない。きっと捕まる。読みが外れた時点で負けってことか。)


 疼きは止まった。引っ掛かっていた謎解きも済んだ。それなのに、コウは先よりも頭を抱えていた。


「もし間違えたら僕は、それで終わりか。」


 究極の二択だ。正門を抜けるならホームまで一本道、これが正規ルートだ。当然、簡単ではない。カリウスは動きを見越したうえで、正門側に力を集めるだろう。

 ならば、裏門はどうか。否、ホームを目指すなら論外だ。体力・魔力の消費を考えるなら、時間をかけるほど不利になっていく。水蛇の十二支石には無事たどり着けるだろう。正門に力を回しているだけ、追っ手は少なくなる。しかし、このメッセージが誤りであり、行きついた先に何もなければ…。


「…参ったな、本当に。」

 

 コウは考えた。ある有名な銅像のように頭を抱えながら。

 月は、太陽は、コウを決して待ってはくれない。いつしか夜明けを迎えるその時まで、瞼を閉じるがままに…。

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