第7話 湯あたり事件

 ここはリアリス地方、ダンジョン都市エルレリア。

 異文化の共生が街を賑わせ、ダンジョンが恵みをもたらす大都市である。帝国領に属してからのエルレリア発展は素晴らしく、インフラの整備から防壁の建設、帝都行きの汽車が開通し、街の賑わいはうなぎのぼりである。

 帝国の天を突く鉄塔の摩天楼、旧王国領時代の美しき白煉瓦の街並み。双方が織りなす対の芸術は容易に人を魅了する。

 エルレリアに旅人が尽きることはなく、人は飽くなき刺激のままに、娯楽と休息をこの地に求め訪れるのだ。聖地巡礼を基に独創的な街並みを堪能し、ふと目に着く小物に興味を惹かれ、愉快な祭り騒ぎが人の心を踊らせる。

 楽しみ方は人それぞれ、十二の動物を模した造形、十二支石を探す者もいれば、世界一の花園、アリエルの花畑に足を運ぶ者もいる。特に多いのは、やはり英雄マードック兄弟の墓場、終戦の鐘だろうか。

 しかし、エルレリアに住む一人の少年はこう言った。

 この街で最も美しい物は、芸術でも、花畑でも、墓場でもない。エルレリアを一望出来る、この眺めこそが至高のひと時であると。

 このエルレリアを一眼に見渡せる場所など限られている。それは丘に悠然と聳える豪邸、マードック本邸に他ならない。

 だが、この景色を独り占めする輩に腹を立てるものなど一人としていない。なぜなら、あの頂上に住まうは正真正銘、英雄の末裔なのだから。

 今もなおマードック一族はこの丘から美しき街を見守っている。

 そしてマードックの少年もまた、この地が平和であることを願い、丘よりエルレリアを眺め続ける。おそらくこれが最後になるであろう本邸の露天風呂につかりながら……。



ーーーーー



 明日は波乱の日になるだろう。いつもながら贅沢なエルレリアの景色に喉を鳴らすコウは、湯に浸かることで明日の鋭気を養おうとしていた。養おうとしていたのだが……。

 あまりの緊張、そして羞恥心に心臓が爆発し、早々と頭に熱がこもり始める。


「あの姉様。」


 その原因は……。


「なんで僕たち……。一緒に風呂入ってるんですか?」

「ん? そんなの姉弟だからに決まっているでしょう?」

 

 そう、今コウの隣にはミシェルがいるのだ。

 ルべライトの髪を後ろでまとめたことで、普段見せないうなじが顕となっている。そこから漂う大人の魅惑と雪のような肌。例え実の姉といえど、その色香には誰もが赤面せざるをえないだろう。

 幼い頃はよく一緒に風呂に入っていたが、すでにコウは十五歳の男児。年頃には色々とまずいものがある。

 一方、コウがこの様だというのに、ミシェルは至って余裕げで。

 首を傾げては質問に坦々たる様である。


「あの。ほんとこいつ何言ってんだ、みたいな顔でこっち見ないでください。」

「なるほど。理解しました。どうやらコウ君は事の重大さを分かっていないようですね。」

「何ですか重大さって。この状況を誰かに見られることより、不味いことがあるんですか?」


 コウは熱気にやられかけている頭をフル回転させるが、蒸気と共に悉く無に帰してゆく。

 羞恥に耐えるこの現状に姉の理解不能な発言、そして湯船の火照り。これらはコウの頭をカオス化させるには十分すぎる要因であった。


「そう。これはある王族の兄妹の話です。」


 前触れもなしに始まるどこぞの兄妹話。

 ミシェルは間髪入れず、コウの頭を振り回し、考える隙も与えてはくれない。

 しかし、気づけたことが一つある。

 いつも冷静で父の厳格さすら感じさせるミシェルがまさかの無駄話に興じているのだ。

 コウは今までの経験からある答えを捻り出した。


(珍しい。姉様凄いはしゃいでるな〜)


 ポカンと、今にも湯船に溶けてしまいそうなコウを置いて、ミシェルは感情のままに劇場の役になりきり、拍をかけ始めた。


「二人は仲が良かった。それはそれは一緒に背中を流し合うほどに…。しかし! ある日を境に兄は妹を拒絶した。妹は悲しみに暮れ、それはいずれ歪んだ感情に……。」

「へ〜どうなったんですか?」

「国が滅んだわ。」

「あーそれはたいへ……えどゆこと?」

「国が滅んだのよ。」


 まさかの急展開に、コウの思考が停止する。

 まるで酒に酔ったかのようなミシェルの言動。尊敬の念も一瞬消し飛んで、素のままに反応してしまった。


「なので姉とのスキンシップは大切なのです♪」

「いやさっきの話はどう考えても嘘でしょう?」

「ええ。勿論ただの嘘っぱちですよ。」


 何がそんなに面白いのか、ミシェルは口の開いたままのコウの様をクスクスと笑っていた。


(あーこれダメだ。クラクラしてきた。さっさと湯から出ないと。)


 立ち上る湯気に頭がフワフワし始めたコウは、既に半分以上のぼせ状態である。

 もう充分だろうと、早々と湯船の縁に手をかけた。


「すみません。のぼせそうなんで、先に出ますね。」


 湯あたりする前に口実を作って、若干恥じらいながらも、ミシェルを背に風呂を後にしようとしたが…。


「待だ駄目。長生きしたいのなら、もっとお姉ちゃんを構う事です。」


 直後、手首から柔らかな感触が伝わってきた。

 恐る恐る視線をずらすと……そこにはミシェルの細い手。

 柔らかな弾力と透き通るような肌。

 コウは緊張のあまり氷塊のように静止する。逃げれないことを即座に理解し、身を隠すようににごり湯へ身体を沈める。


「はぁ〜〜。やはり弟との露天風呂は格別ですね。つい私も羽目を外してしまいそうです。」

「そうですね、少し外し過ぎな気もしますが。」


 ミシェルの扱いにコウは若干困惑気味だが、そのお茶目っけが嫌というわけではない。

 次期当主としての威厳は確かにある。だが幼い頃の面影は消えないもの。その一面が懐かしくもありながら、交流が途絶えるにつれどう話せば良いか分からないことに虚しさを感じていた。

 ミシェルが王国に就いてからというもの、本邸に顔を出す機会などかなり久しい。王都とエルレリアの距離も一つの理由だが、ミシェルが現在、王家直属の護衛を務めていることが大きい。四六時中の護衛ともなれば、やはり多忙を極めるのだろう。


(そっか。もし家を出たら、ますます姉様とは会えなくなるな。)


 ミシェルが多忙な上、コウが家を出るなら、会うのは皆無に等しいだろう。許可なくしてそう易々と王女の付人に会えるはずもなく、今後ミシェルとこうして戯れる時間はないかもしれないのだ。


(うん…。駄目だ。我慢だ。)


 コウはふやけそうな身体に喝を入れ、出たい気持ちを抑えこんだ。今度はコウから話題を切り出した。


「覚えてますか姉様。リアが木に登って降りれ……ん?」


 とりあえず昔話に花を咲かせようと試みるが、なにやらミシェルが一口、また一口と嗜んでいる。


「姉様、何飲んでるんですか?」


 盃の滴が喉に通ると、思わずミシェルは嘆息を漏らし、その度に頬が緩んでいる。

 湯気でよく見えないが僅かに顔が赤い。今までにない上機嫌な姿といい、コウは聞くまでもなくその液体を察した。


「これですか? お酒ですよ。コウ君も飲みますか?」


 そう言って、ミシェルが突き出したのは竜殺しと呼ばれる東和の名酒だ。名前の由来はその名の通り、竜に関係がある。曰く、この酒で酔わせたところを首を落としたのだとか。竜を酔わせるなど、実に嘘くさい話ではあるが、口にすればどんな酒豪であろうとも一日中酔いつぶれることで有名らしい。

 しかし、酒豪の話ですらミシェルを見ていると嘘に聞こえてしまう。既に空となった一升瓶が一本、二本、三本……。

 湯気を伝って登ってくる鼻を突くようなアルコールの匂いだけでも、コウは体が退きそうになる。そもそも、コウの舌はまだ未発達なもので酒を窘めるほどではない。

 当然答えはノー。両手で身体が受け付けないと、コウは全力で止めに入った。


「遠慮しときます。そもそも年齢的にアウトですよ。」

「つれませんね。まさか私のお酌を断る男児がいるとは驚きです。」

「いや何言ってるんですか。男児に飲ませちゃダメですよ。」

「ふふっ、確かにそうですね。」


 ……時の隔たりなど、この兄弟の前ではいつしか消えていた。

 冗談で笑いあい、王都での出来事に胸が躍り、思い出話を募り合う。二人は大人の会話を交えながら、時間の余す限りに語らいあった。

 だがそろそろ時間だ。ついに身体に限界が訪れる。


(姉様には申し訳ないけどそろそろやばい。もう頭回らない…。早く出ないと……。)


 倦怠感が身体を襲い、熱気でやられては視界が宙を回す。コウはフラフラになりながらも、湯船の端に手をかけ体を持ち上げるが……。


「あ、待って下さい!!」


 コウが出ようとしたことにミシェルは焦るように呼び止めた。


「コウ君。『ダレイン冒険譚』を…覚えていますか?」

「ダレイン、ですか? え〜と、たしかあれですよね…。」


 ダレイン、それはある男の名だ。

 頭が痛い。フラフラする。でもコウは確かに聞き覚えのあるその物語を思い出す。

 蘇るのは幼き日の自分。隣には母の膝で眠るリア、母の傍にいるだけで嬉しそうなミシェル、まだ見ぬ物語に昂るアラン。子供たちの中心にはいつもアリエルがいた。

 手には一冊の本、綴られるは冒険。

 語り手は赤髪の美女アリエル。

 コウは胸を弾ませながら、まだ見ぬ世界の話を聴いていた。


「王族の跡目争いに巻き込まれて、流刑で世界に放りだされる話でしたよね?」

「そう。少年が王の身分を捨て、世界の広さに感動していく物語。私好きなの。」


(意外だな、姉様があの話を好きになるなんて。)


 コウが記憶する限り、ミシェルの好みと言えば、もっぱら恋愛小説などだ。今まで、英雄譚や偉人伝などを嗜んでいるところは見たことがない。

 昔、何故読まないのかと、コウは聞いたことがあった。その素朴な問いにミシェルはたった一言告げた理由、それは……。


「でもダレインの最後って。ハッピーエンドじゃないですよね?」


 ミシェルは本の結末を重視する。冒険譚や英雄譚は最後の結末が生死で分けられることが多い。コウの記憶では、ダレインの最後も悲しいものだと記憶しているのだが…。


「姉様は最後を飾らない話は嫌いだと思ってました。」

「そう…ですね。確かにダレインは幸せにはならなかった。最も信頼していた姉に裏切られてしまうから。」

「んっ? じゃあなんで好きなんですか、『ダレイン冒険譚』?」

「えっと…そのですね。あの物語の道中が好きなんですよ。ほら、あの場面とか、に向かうために水辺を渡るシーンとか。」


(海蛇か…。そんな場面あったかな?)

 

 何故か歯切れの悪いミシェル。柄にもなく声量を上げ、ある場面を強調していたが、一向にその場面がコウの記憶の網に引っかからない。

 自分が思い出せないだけか、それともミシェルが思い違いをしているのか。

 しかし、ダレインの物語は冒険譚だ。海蛇の一つや二つ、出てくることもあるだろう。何せ昔に読み聞かせてくれた物語、記憶が曖昧になっても無理はない。

 

(僕もまた機会があったら読んでみようかな。でもそろそろ限界かも…。)


 熱い、熱すぎる…。

 コウは体力の限界を感じ、適当に相槌を打って話を終わらせようとしたが。

 おもむろにどこか心配げなミシェルを目の端で捉えた。それは姉弟だからこそ拾い上げれる些細な変化。

 この感じは……。何か言いたげな時の表情であることを、コウは経験から読み解く。


(もしかして、明日のことか?) 

 

 それはつい先ほどのこと。

 コウ達は明日の算段について、本格的に話し合おうとしたその時だった。

 夥しいほどの視線に、身を竦めさせられたのは。

 まるで隠す気すらないと言わんばかりの、圧倒的な盗聴魔術の数々。

 熟練の猛者による、偵察特化の『技能』の波動。

 圧倒的な数の力を前に、なす術もなく丸裸にされる策略。

 コウ達は敵本陣の真ん中でひそひそ話をしているようなものだった。

 暇さえあれば監視の視線を感じる。たとえそれが自室での一時であっても…。

 臨戦態勢直後となったマードックにおいて、プライベートなどという腑抜けた言葉は存在せず、遠慮など微塵もない。ここで働く者たちは当主の忠誠のままに従うエリート揃いである。無礼者と切り捨てようにも、監視者は本家全ての人間だ。恐らく、今この場での会話すらも聞かれているだろう。

 しかし、この場だからこその強みもある。いくらマードックの従者とは言え、風呂場での監視の目など万死に値する。裸体を晒すこの場での視線だけは決して許されない。

 だからこそ見せたミシェルの表情。

 声だけでは分からないその些細な変化を、コウは見逃さなかった。


「コウ君…。」


(きっとミシェル姉様は何かを伝えようしてくれてる。)


 考えろ、汲み取れ、何か他に……。

 最後の力を振り絞り、すでに沸騰しそうな頭を全開で回したコウ。だがどうやらそれは空回りだったようで…。


「顔真っ赤よ。大丈夫?」

「ふぇっ、?」


 予想に反し、コウは深読みしすぎていた。だが若干期待を裏切られた気分は否めない。

 全力を出し尽くした頭は再起不能オーバーヒート、一気に力が抜けていく。


(あ、やばい。)


 力みが抜けた体は茹蛸のように湯に沈んでいく。直後、砂漠で朽ち果てそうになるほどの喉の渇きが襲い、コウは力なくミシェルに手を伸ばす。

 

「あ、あの。とりあえず、水を……」

「は、はい! 水ですね。えっと、どうしましょう。お湯はさすがに…。あ、これを!」


 ミシェルは自分が浸かる湯に目を運ぶが、髪の水しぶきがこちらに飛ぶほど首を横に振る。

 次に、元素魔術を行使し、湯以外から手に水をかき集める。同時に術式に流れる魔力を集中させ、水を適切な温度まで冷やす芸当を容易く行い、用意していた大きめの盃へ、零れんばかりに注ぎ込んだ。


「ごめんなさい、私、はしゃいでしまって。とりあえず飲んでください。」

「いえ大丈夫ですから。水、いただきますね。」


 渇望するがままに、コウはその盃を食らう勢いですべての水を飲み干した。

 乾ききった口が冷水で潤い、熱気で満たされた喉にオアシスが流れ込む。

 直後……。


「ゴホっ!? オェッ、カハァ!!!」


 喉が焼けるような痛みが襲い、痛みに比例して頭を猛烈に揺らす、殺戮的なまでのアルコール度数がコウを殺しにかかる。心拍の高鳴りともにハイスピードで血液は循環し、無類の速さで酔いが全身に回っていく。間違いない、これは……。


「竜殺…し…。」

「え! コウ君! コウ君!!」

 

 ミシェルの叫びが教会の鐘のように残響したのが最後、コウは意識とともに湯船へ体を委ねた。

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