第6話 理由はいらない。
無能と呼ばれた自分の背中を、押してくれる存在がいる。その気持ちに応えたい。もう自分を押し殺したくない。
様々な痛みに耐え続けたコウ。今が逆襲の時だと奮い立つ少年の瞳に、もう涙の雫は流れない。
そんな決意を秘めたコウへ。シアもまた動く。
シアは手探りに時計を取り出し、時間を確認すれば、既に夕暮れが顔を覗かせ、陽光は色を潜め、外の街灯が夜を待ちわびていた。
シアは銀の時計をしまうと、陽に潜む影を味方にする。
魔力のロスを殆ど感じさせず、室内の影が集まるにつれ濃く、深い、影の沼が現れた。
その沼に躊躇なく手を突っ込み、無作為にシアはかき回す。何か重いものを掴んだか、グッと肩が傾いたと思えば、シアは釣り竿のように勢いよく引っこ抜いた。
「コウ様、こちらをお持ちください。」
影の沼から姿を現したのは少し大きめのキャリーケースだった。
体格にそぐわない荷物をシアは軽々と持ち上げ、コウの足元へ。
「誠に勝手ながら、身支度のご用意をさせていただきました。」
流石はマードックのメイド長なだけはある。その仕事ぶりの速さには感嘆が尽きる。
「明日の正午に帝都行きの汽車が出ます。席は既に手配済みです。」
まさか汽車の用意も済ませているとは、本当に恐れ入る。だが全て手配済みとなると、家を出るタイミングは自ずと知れる。
だからこそ、その早すぎる出発に対し、この場の皆が違和感を感じずにはいられなかった。
「明日出発? シア、流石にそれは早すぎはしませんか?」
その違和感へ真っ先に首を突っ込んだのは、ミシェルだった。
「思えば正午過ぎの貴方はあまりに多忙でしたね。」
どうやらご慧眼の姉様は、シアの不可解な行動に目星をつけていたようで…。
多忙な事などメイド長のシアにとっては当たり前のことだが、それを踏まえたとしても、今回の準備の早さには、焦りにも似たものを感じる。
コウと父カリウスとの喧嘩の後、日々の雑務を珍しく部下たちに任せ、早々にシアは家を出ていった。その現場に偶然居合わせたミシェルは、最初こそ疑問はなかった。しかし、普段見せることのないシアの焦りが、此処にきて明晰なミシェルの琴線に引っかかったのだ。
「ミシェル様、どうか私のご無礼をお許しください。」
ミシェルはやはり賢い。悟られている事に勘づいたシアは、もう隠せまいと正直に頭を下げる。そして告げられたのは…。
「申し訳ございませんが、私はコウ様のお力添えをすることはできません。」
結果、その読みは当たる。シアは最大限の敬意をミシェルに称しながら、その秘め事を露にする。
「私はこれより、カリウス様の命においてコウ様の監視の任につきます。期限は婚約時まで、コウ様が許可なく外出された時、強制的に家へ連れて帰るよう命じられております。その際、あらゆる武力行使をいとわないとのことです。」
ミシェルを残し、二人は現状に愕然としていた。
カリウスがコウに出した命令は軟禁。
執行官としてつけられたのはメイド長のシア。この現状が意味することは容易だ。
(なるほど。御父様は僕に何もさせないつもりか。)
「今出払っている執事、メイド達もエルレリアに到着次第、この命令は当家全ての従者に適用されます。」
「つまり王都と帝都の派遣員を最小限に、本邸とエルレリアを固めるということですね。どうやら御父様は思いのほか本気のようです。」
(時間をかけてはいられないということですか。王都のメイド達は問題ないでしょうが、帝都の出張組が戻るのは早い。使いに隼を出せば、今頃帝都。汽車を使えば丸一日でエルレリアに着いてしまいますね。なるほど、なら出発は早いに越したことはないということですか。)
ミシェルは予想の範疇を捉え直し、すぐさま現状の修正に入るが、負の連鎖は止まらず、シアの口より淡々と告げられる。
「そしてリア様、ミシェル様にも外出の際に同伴者をつけることを命じられております。」
「それって同伴じゃなくて、監視の間違いですよね? これじゃコウ兄の助けにも入れないじゃないですか。」
「そうね。今後監視や盗聴もつくと考えるのが妥当かしら。」
(じゃあこの会話も全部聞かれて可能性も……。)
コウの中で広がった懸念は索敵型魔術。
目を閉じて、肺活による精神の安定から、自然のままに魔力を行使する。薄く空気のように広げ、誰にも悟られないように魔力を研ぎ澄ます。
忙しなく行き来するメイド達の衣擦れの音、効率に忠実な執事たちの動きから生じる空気の微細な流れ、その全てを悟られぬままにコウは魔力領域に入るものを知覚する。
しかし五感を鋭くするなか、突然背中の筋をなぞる感触が猫のようにコウの背中を飛び跳ねさせた。
「ね、姉様!? 急にこしょばないでくださいよ!」
「気を張っていたからつい。大丈夫、今までの会話を盗み聞きしようとする無礼者はいないわ。そうでしょうシア?」
「はいご安心を。一人耳を立てることに夢中で、私の存在にすら気づかなかった者を除けばですが。」
「二人とも本当に意地悪です!!」
毎度のこと、コウは拗ねたリアを無造作に撫でるが、今の心境としては妹よりも遥かに余裕がない。急遽迫りくる時間に策を練るが、どう考えても突破は不可能なのだ。
家を出た瞬間に本家に使える従者たちの拘束は始まり、捕まらずしてこのエルレリアを出なければならない。それに加え、マードックに仕える者は手練ればかりだ。最悪、当主のカリウスが出てくることも考えると逃走は絶望的といえる。しかし、それは一人ならばのこと。
(僕一人じゃ、家を出ることなんて到底無理だ。)
コウは考えることをやめた。無論、あきらめたわけではない。ただ一人で考えることをやめたまでだ。
「リア、ミシェル姉様。」
いつも無能な自分を支える人がいてくれた。そんな大切なことに気づけた今だからこそ、コウは姉妹に今一度、頭を下げた。
「お願いです。僕に力を貸してください。」
まだこれだけでは足りない。伝えきれない。
何を成し、何が為に、その道を歩もうとするのか。今一度、コウは自分が向き合うべきものを考える。
「僕は御母様のような、人の為の魔術師になりたい。」
この家出は人生の大きな節目となる。それはこれからの未来すらも大きく変えてしまうほどに。
過去と向き合い、今挑戦し、未来を掴む。
逸らしたくない。めげたくない。諦めることは許されない。
そう。この挑戦はコウがコウを許すための、己の戦なのだ。
(もう自分にだけは負けたくないんだ。)
次こそは必ず、自分を好きだと、そう思えるように…。
「だからどうか、僕に自分と戦うチャンスをください。」
だから、今できる最高の誠心誠意を。
頭を地につける。その判断に迷いはなかった。豪勢な絨毯に両膝は沈み、流れるように両手は落ちる。
そのまま体は…。二人の姉妹に、委ねられていた。
「「助けますよ。だって私は、」」
抱かれた身体を姉妹は優しくも決して放すことはない。メリットなど必要ない。それは家族だからこその、無償のもの。
「コウ君のお姉さんですから。」
「コウ兄の妹ですから!」
「どうして?」の言葉は必要なかった。なぜなら、コウはすでにその無償の正体を知っていたから。
こうして、僕らの家出は幕を開ける。
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