第5話 家出計画 ④

「餞別?」


 餞別とは一体何のことだろうか。どこか活気づくミシェルへ、コウはそのまま聞き返す。


「そう餞別です。頑張ったコウ君へのご褒美ですよ。」


 そう言って、ミシェルは立ち上がると、扉の向こう側にいる者へ合図を出す。


「シア!! あれを持ってきて。それとリア。貴方はいつまで盗み聞きをしているのかしら?」


(リアはそこにいるのは分かってたけど、まさかシアさんもそこに!?)


 そのある物とは一体…。

 未だ驚きを消化しきれないコウを置いて、ミシェルはメイド長のシアにある指示を通し、ついでとばかりにリアの名を口にした。

 名前に呼応したと同時に、閉じた扉がビクリと音を立てる。コウは扉越しに耳を澄ませる妹の姿が容易に浮かんだ。

 申し訳なさそうに開く扉の先にはやはりリアの姿が。

 バレバレだったことの不服さが顔に滲み出ている。


「…いつからですか?」


 いつからバレていたのかと、盗み聞きの事実を確認するも……。


「当然最初からですよ。部屋を出てすぐに盗聴魔術を使いましたね。その歳で十分すぎる魔術です。流石は私の妹ですね。」

「えっ! ありがとう、ございます……。」


 突然の褒め言葉にリアは照れ隠しのつもりで斜め下を向くが、逆に赤くなった耳がよく見える。

 ミシェルに褒められたことが余程嬉しいらしい。確かにコウも同じ立場であれば嬉しさにもがいてしまうだろう。

 何せあの『銀氷ぎんひょう』からお褒めの言葉を頂いたのだ。気持ちが盛り上がってしまってもおかしくない。


「十三点といったところでしょうか。次は魔力の鼓動を抑えるように心がけなさい。四十点ぐらいにはなるでしょう。」


(十三っ!! 流石にそれは可哀そうじゃ。)


 かなり厳しめのダメ出し。ミシェルはどちらかというと上げて下げるタイプなのだ。

 案の定、コウの想像は予想なもので。リアの顔は片方が風船のように膨らみ、目は零れ落ちそうなほど潤っていた。


「ミシェル様、それは過小評価かと。低俗な輩であればリア様の魔術は実践レベル、歳も考慮するなら、そうですね……。十五点が妥当かと。」


(十五っ!? シアさんそれは流石にオーバーキルですよ! というかいつからそこに?)


 当然のように話に入り込んできたメイド長のシアだった。相変わらず気配すら感じさせない身のこなしは天晴の一言。

 突如姿を現したかと思えば、エルフ耳のメイドはここぞとばかりの毒舌で、リアを撃墜させた。本人は真面目にフォローしているつもりだが、言葉下手が過ぎる。


「十三……、十五……。」


 世界から一人だけ色を失ったかのようにリアはぶつぶつと何やら数字をつぶやいている。コウは見るまでもなく、リアの傷が目に浮かんだ。


「えっとリア。大丈夫!! 僕は魔法のことなんて気づきもしなかったし、その…リアはとっても優秀だよ!」 

「……ほんとですか。十五点でも私…優秀ですか?」

「うん! リアは僕なんかよりずっとすごいよ! だからそう落ち込まないで。」


 正直、リアの存在には気づいていたものの、魔術に勘付けなかったのは事実。だから決して嘘ではない。嘘をつくのは慣れないが、傷心のリアにはひとまずばれないだろう。

 リアはちょこんとコウの袖を掴むと、鼻水を一啜り。コウは自前のハンカチで手伝っている間、既にミシェルは準備を終えていた。


「二人とも戯れは後にしなさい。シア、例の物をここに。」

「はい。こちらに御座います。」


 シアの手によって、仰々しく差し出されたのは、何の変哲もない小さな箱。だがたった一見の内に、コウはその箱に込められた術式の存在に目を丸くする。

 

(なんて封印術だ。一体中に何が入って…)


「凄いですね。こんなに厳重な封印術式は初めて見ました。」

「当然です。だってこれは御母様が組んだ物なのですから。」

「えっ! じゃあこれって…。」


 ポンコツ呼ばわりされているリアだが、その賢明さはミシェルにも劣らない。だが時同じくして、コウもまたその箱の正体に勘づき始める。

 ミシェルはテーブルに木箱を置くと、両手で挟み込むように魔力を流し、こう告げた。

 

「『夢の北橋 星夜の小川』」


 美しき開封の呪文が唱えられる。

 小箱が込められた術式が浮かび上がり、ミシェルの魔力によって光が灯る。

 そしてひとりでに木箱は口を開いた。

 

「さて…。」


 ミシェルによって開かれた木箱から取り出されのは、龍の刻印が施された金印だった。


「姉様、これは一体?」


 恐らくこれが、母アリエルが残してくれた物であるとは予想できたが、コウは未だその金印の用途が掴めず、ミシェルへ答えを求める。

 

「御母様はね。私たちに遺産を残してくださったの。」


(遺産ってことはつまり…。)


 その時、ついにコウのなかで点と点が結ばった。


「御母様の言伝を履行し、十五となるコウ君にこの金印を渡します。これは銀行の鍵、差し詰め遺産相続の証でもあります。」


 一気に話が大きくなってきた。整理するためコウは一旦頭を落ち着かせる。

 まとめると、この金印は銀行から遺産を引き落とすための物。おそらく御母様が眠りにつく前から、ひそかに貯金していてくれたのだろう。

 今年コウが十五を迎えたことで、ミシェルは伝言に従って、遺産相続の話を持ってきたのだ。


(今のタイミングで遺産の話。ということは。)


 コウは淡い期待を抱かずにいられなかった。


「御父様が見張っている以上、残念ながら家からの援助は難しい。当然私達からも。しかし、御母様が残した遺産ならば、これはコウ君のものです。」

「ということは…」

「お金、必要なんでしょう? 使いなさい。御父様のことは私が何とかしますから。」


 コウは嬉しさに浸り、感謝の言葉すらも忘れてしまう。


(あぁヤバい、泣きそうだ…。)


 今まで辛くて、苦しくて、泣きそうになったことは沢山あった。その度に歯をくいしばり、負けないようにと涙腺を堪えては、感情を抑え込んでいた。

 しかし、今日その全てを遥かに超えて、コウの涙腺は崩壊する。


「あれ……おかしいな。全然止まってくれないや。」


 気づけばコウは、積もり積もった激情に身を任せていた。嬉しさで涙が出るなんて、自分とは無縁なものだと思っていた。

 たとえ否定しようとも、それでも背中を押してくれる存在がいる。

 そこにはコウが飢え、欲し、求め続けたものが確かにあったのだ。

 気づけば、乾いた心が涙の雨で溺れていく。ミシェルは何も言わず、ハンカチで拭ってくれた。

一粒、一粒、丁寧に。一滴も取りこぼさないように。


「ごめぇ、んなざい…。これ…止まらなくて、」

「今まで良く一人で頑張りましたね。大丈夫、私達がついてますから。」


(ああ、姉様には本当に敵わないな…。)


 嬉し涙の後に、悲しみはなかった。

 子供の頃、一人部屋に篭って泣いた後のあの寂しさが、コウは嫌いだった。しかし今は違う。涙が止まる頃には、自然とコウは輪郭を上げていたのだから。

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