第4話 家出計画 ③

「いいですかコウ君。この約束事は次期当主の言葉として、肝に銘じておきなさい。」

「はい。承知しています。」


 コウに緊張が走ったのは言わずもがな。

 次期当主候補であるミシェルの言を深く受け止めたコウは、約束を違えまいと拳に力を入れた。


「まず初めに。コウ君は今十五歳、帝都における成人は十八歳です。もしコウ君が成人するまでに帝都魔術学院に入学できなければ、その夢は諦めてもらいます。」


(成人までの挑戦となると、来年受験するとしたら…。)


 コウの頭の片隅に浮かんだのは、帝都魔術学院の入学制度についてだった。

 帝都魔術学院の受験者は王国、東和、神聖国も含めダントツの一番である。毎年、名高い名門校と比較しても二倍近くの学徒が受験に足を運ぶ。では何故、そこまで受験者が多いのか。

 その理由は試験の制度にある。帝都魔術学院は毎年受験できるわけでなく、二年に一度しか受験のチャンスは回ってこない。コウの成人までを考えると、受験する事が叶うのは来年と三年後となるだろう。

 つまりはチャンスは二回。それが一つ目の条件ということだ。


「そしてコウ君はマードック家の人間です。アランの言った通り、家名を汚しかねない行為は次期当主として見過ごせません。帝都では仮身分を使いなさい。当然、入学時にマードック名を振りかざす行為も一切認めません。」

「はい。元よりそのつもりです。」


 これはコウが前提として挙げていたものだ。元からマードックの名を捨てる気で受験するつもりだったのだ。仮の身分も既に確保しているため、コウは何ら痛手に思うことなくその条件を呑んだ。


「後は…うん…そう。これが最も重要なことです。」


 最後の条件を前にして、今まで流暢だったミシェルの口が篭りを見せる。加えて、最も重要などと言う前置きまでされたのだ。無理難題の予感を察して、身構えたコウであったがここまで来たらもう後に引くことはできない。

 どこかモジモジと体を揺らすミシェルに、コウは真正面から受けにいく。


「それって一体…?」


 コウの催促から暫くして。

 気を引き締め治したミシェルは、今までの下した条件の時よりもより真剣な顔つきで、コウの目を見ながらこう言った。


「あなたの婚約についてです。」

「……へっ? 婚約ですか??」 


 あまりにも意外な条件に、コウは首を傾げずにはいられない。

 正直な話、婚約の件など眼中にすらなかったコウは、変に身構え過ぎてしまったと肩の力を抜いた。


「成人までの入学問わず、コウ君の婚約者は私がふさわしいと判断した人に限ります。もし成人までの入学が叶わない場合、私が相手を見繕いますのでその相手と結婚すること。後はその…お、お付き合いしたい人ができた時は、必ず先にお姉ちゃんに報告すること。」

「はぁ…。」


 この一件に関してはミシェルの意図が全く掴ず、コウはただ流されるように相槌を打った。

 でも考えてみれば、貴族ならこの歳頃で縁談の話も上がってくるのかもしれないと、コウは疎く拙い知識でそう憶測してみたが、真偽の程は定かではないと考えるのをやめた。


「いいですか。これは確定事項です。異論は認めません。」


 何故自己報告しなければいけないのかと疑問に思ったコウであったが、なんだか面倒くさくなりそうな予感がして、口を塞ぐことにする。

 とりあえず、これで家出の条件は出揃った。


一 チャンスは二回、成人するまで。

二 帝都での姓を隠しての生活、受験の際も同様。

三 そして婚約のお約束??


 一番は自身が無理を通したがための要求として、呑まざるを得ない。

 二番は元からそのつもりなのでどうということはない。

 三番は然程生活に支障はない…のか? 

 

「約束は以上です。それと勘違いしないように言っておきますが、無論私は入学に反対です。」


 ミシェルの条件はコウの賛成を促すものではない。コウの意思を尊重して許しはするが、認めてはいないというのがミシェルの本音だった。

 コウは課された条件の重みを改め、姿勢と態度で示す。


「あなたは魔術師ではなく、騎士になるべきだという考えも変えるつもりはありません。」

「ええ。わかっています。」

「それと何度も言うようですが、御母様が眠りについたのは貴方のせいではありません。確かに遺志を継ぎ、背中を追うことは素晴らしいことです。ですが決して、そこに罪悪感を重ねてはいけません。」

「うっ……わかってますよ。」


 言葉とは裏腹にコウは表情が浮かばない。そんな弟にミシェルはため息をおとしながらも、慰めるようと腰を上げた。


「貴方の気持ちは分かっているつもりです。確かに御母様はコウ君のについて調べていた矢先、何者かの呪いを受けてしまった。自分のせいで眠り続ける母のためにも魔術師にならねばと思う気持ちも理解してるつもりです。」


 ミシェルは言い聞かせるように少年の心に寄り添い、その度にコウへ慰めの言葉をかけてきたが、いい加減コウも乗り越えるべきなのだ。

 良心を痛めながらも、それを押し殺してコウの心の溝へ。弟の未来と向き合うことをミシェルは決めたのだ。


「過去が辛いのは分かる。ですがコウ君が苦しみもがく姿なんて、御母様は望んでいません。それぐらい、いい加減わかっているはずです。」


 コウの心にミシェルの言葉が嫌というほど突き刺さった。

 もっと早く、母が苦しみを望んでいないと納得できたのなら、今頃コウは剣を振っていただろう。人のための魔術師ではなく、人のための騎士となり、前者よりも多くの命を救えたはずだ。

 しかし今、少年は魔術師になろうとしている。

 コウは俯き様に姉の声に耳を傾けるなかで、頭に浮かんできたのは、病院の床で伏せる母の側に立つ過去の自分だった。

 思えばあの時から自分が楽になることを許せなくなった。そこから心を閉ざしたかのように周りの言葉を受け入れようとはせず、魔術師という茨の道を一人で選んだのだ。これがせめてもの、歪んだ罪滅ぼしであると知りながら。

 ミシェルは俯き続けるコウに何を思ったのか。慰めることも責め立てることもせず、いつもとは違う相貌でコウを見つめ、一人ある覚悟を決めた。


「だからコウ君。聞いてください。これは私からのお願いです。成人になるまでの三年間、あなたはその罪を乗り越える術を見つけなさい。」


 それは責めの言葉ではなく、ミシェルの願いだった。お叱りの言葉が続くと思っていたコウだったが、失意の中からミシェルの言葉に吸い込まれる。

 伏せたい気持ちに抗い、やっとの思いでコウは重い頭をあげた。


「え……?」

「やっとこっちを向いてくれましたね。」


 死にそうな目をしたコウに元気を注入するため、ミシェルは頭を寄せる。

 そして今、優しく額同士が合わさった。


「いいですか。これから貴方は沢山のことを経験します。その一つ一つが必ず貴方の成長と結びついて、コウ君をより恰好のいい男性にしてくれるでしょう。今は背が小さくて遠くを見渡せないかもしれませんが、成長したコウ君だからこそ見える景色もあるのです。」


 二人を伝う熱は交差し、確かな温かみがそこにある。眼を閉じていても傍にいる確かな存在、それはかつて母がくれた愛情にも似ていて、どこかなつかしい匂いがした。


「大丈夫。コウ君ならきっと乗り越えられる。」


 時期に離れる額を惜しみながら、その願いだけをミシェルがくれた願いと共に心に抱く。


「私の気持ち。伝わりましたか?」


 母が残した遺志と罪のジレンマ。大好きな姉がくれた願いと愛情。その思いに答えるため、拙いながらも自身の気持ちを言葉に変えて…。


 (ありがとう。ミシェル姐様…。)


 コウはついに、下がりきった頭を上げて前を向いた。ミシェルの思いにこたえるために。


「…まだ御母様の事、どう向き合えばいいかは分かりません。でも姉様の気持ちからも逃げたくないです。だから…頑張ってみようと思います。いい加減向き合いたいし、乗り越えたいから。」


 最後に添える言葉は、いや最後に伝えなければならない自分の願いは、もう知っている。

 凄く恥ずかしい。だが止まることはない。そして、コウはありのままの願いを言霊に変えた。


「僕は…こんな自分でも好きだって言えるような自分になりたいです。」


 正直、幼稚で分からないことだらけの曖昧な答えだ。いや答えにすらなっていないのかもしれない。


「そうですか…。」


 それでもミシェルは……。


「成長しましたね、コウ君。流石は私の弟です。」


 ミシェル・マードックではなく、一人のお姉ちゃんとしてコウを迎えた。

 オレンジ色の陽に姉の笑顔が溶け込んでいる。その面影が大好きな母親と重なったような…。そんな気がした。


「うん、ありがとう姉様。大好きです。」


 優しさに満ちたミシェルの心に溶かされ、コウが送ったのは自然と溢れ出た感謝を超えた、愛情の言葉だった。

 差し込んだ茜色に当てられたせいだろうか。ミシェルの頬がやけに紅い。

 先程までの真剣な顔つきは何処へやら。今や視線は斜め下、口元を手で隠すも明らかに締まりがない。

 そして、膝に頬杖をついたミシェルは窓の外を眺める。


「やっぱり…ずるいなぁコウ君は。」


 ミシェルは誰にも聞かれないように、小さな声でそう漏らした。


(そんな事言われたら、応援するしかないじゃないですか。)


 認めてはいけないと、そう決めていたはずなのに…。いつしか、少し見ないうちに成長した弟の背中を押してあげたいと思ってしまっている。

 実際の所、此処にはコウを説得するために来た。だがいつの間にか、納得の嘆息を漏らす自分がいる。

 御母様ならこんな時、どうするだろうか……いや愚問だ。そんなの決まっている。

 目を閉じれば、ミシェルの瞼には浮かんでくるのだ。憧れた母の天真爛漫なあの姿が。


「さてと!!」


 そしてまたミシェルも、悪戯な子供のように笑ったのだ。


「ではそろそろ。独り立ちする弟に、せめてものを渡すとしましょうか!!」


 今も眠り続ける母の真似して、ミシェルは少し遅めの反抗期に突入する。

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