第21話 親衛隊隊長 対 副メイド長
「……鐘?」
南観光区路地裏にて。美しい複数の高低音の調和が響き渡った。
午後を告げる終戦の鐘にはまだ早い。ザックは自慢の耳をピクピクと動かす。
異様な気配の正体は振動。
身体の隅々まで探られるような嫌な感覚だ。
「コウさん……。」
ザックは自分の胸元に置かれたコウの手を見る。
かれこれ気配を殺して一分が経つが……。
コウはまるで死んだかのように動く事はなかった。
(まだ……。)
集中はいまだ続く。
胡乱とした意識のなか、全てを忘れて瞑想に浸る。
魔力を研ぎ澄まし、自然と一体化。
いや……それでは足りない。よ研魔の範疇を超え、世界を知覚しなければその先の領域へは辿り着けない。
もはや第六感が相応しいだろう。
一方、ザックは不安に駆られることなく、ただ目覚めるその時を待ち続けるが、近づいてくる複数の足音に、耳が危険を知らせたのだった。
「来る。」
無駄のない足捌きがこちらへ迫ってく事を獣人の耳が察知した。
恐らく先ほどのいざこざとはわけが違う。
コウに声をかけるが、反応はなかった。そもそも声が届いてるかすらも怪しい。
「できる限り、魔力を落ち着かせて潜んで欲しい。」とコウに言われていたが致し方ない。
頭上より魔力反応を察知したザックは、術式に魔力を流し込んだ。
「見つけた。」
宣戦布告の合図なし。
ありふれた日常から訪れた容赦のない不意の一撃。その魔術は武器とは到底言い難い、どこにでもある
「『
詠唱不要の固有魔術。
ザックの謳は当然間に合わないため、動かないコウを抱き寄せ、無詠唱で生み出された大楯を天に掲げた。
増幅された音源と番人の大楯との衝突。
振動に地面はひび割れ、弾かれた音に周囲の窓ガラスは砕け散る。巻き上がった土煙が晴れるころ、両者は視線をついに交わされた。
「流石は
「……うっす。」
ひらりと着地したメイドに先制の謝罪はない。
前。後ろ。屋根上から複数の敵意。
ザックはクレアの手中にあることを理解した。
「貴方に用はありません。」
お前など眼中にないと言わんばかりに、毅然としたメイドは、その懐で隠れるコウへ手を差し伸べた。
「さあコウ様。家で皆が帰りを待っております。どうか抵抗なさらず……コウ様?」
何かがおかしい。無視された訳ではない。
怪訝としたクレアはすぐさま状況を察した。
(気絶していらっしゃるのか?)
既に目標はピクリとも動かない様子。戦闘不能と捉えても無理はない。
目を凝らせば明らかとなる痛々しい傷にあの左腕。骨折では説明がつかないほどの重傷だろう。褐色を失った肌がその悲惨さを物語っている。
「なるほど。すでに重傷のようですね。」
「……。」
「気絶されているのですか? では早くこちらへ。特にその腕、普通ではないでしょう。」
子を守る親犬のように威嚇の眼を剥き出すザックは、黙ったまま答える気配はなかった。
その姿にクレアは嘆息を漏らし、面倒臭そうな顔で指揮棒を前へ突き出した。
「獣人とは余程尻尾を振るのが好きなようですね。」
「……。」
「また黙りですか。では……。」
指揮棒を上へ、合図を出す。
上に三人、下に三人。演奏という名の攻撃は整った。
「最後の警告です。コウ様をこちらへ渡しなさい。そうすれば貴方の席は残すと約束しましょう。私がカリウス様に助言して差し上げます。」
持ち出したのは謀反の庇護。
クレアは獣に天秤を与えたのだった。
右に少年、左に餌。
命の本質とは汚いものだ。特に野良擬の獣であれば尚更のこと。
だが見下すように差し伸べた手を、ザックは無表情で返す。
「さあ。」
違う。その手は……あの人達とは違う。
あの冬の日、血に汚れたゴミ溜めの獣を救ってくれた手の温もりは、どんな毛布よりも暖かかった。
そして今日。この少年と重ねた手に、同じ熱を感じた。
誰かに願われ、頼られる嬉しさ。
人に思いを託し、分かり合える喜びをコウは教えてくれた。
あるどこかで聞いたことがある。
獣人とはなにか。どうあるべきかを。
言葉の上手くないザックはそっくりそのまま記憶を反芻した。
「獣人は受けた恩義を忘れない。俺たちは獣ではない。忠義に生きる人だ。」
「人、ですか。」
ふふっ、と抑えていた声が漏れ出した。
貴婦人のように手で口元を隠し、狐のような切れ目を覗かせながら、クレアは黒い本音を落とした。
「哀れ。」
ついに指揮棒は振られる。
「『
「っ!! 『集え蛮ーー』」
細く壁に挟まれた路地裏にベルの共鳴が轟く。重なり合う音とともに魔術は発動し、共鳴はいつしか共振へ変貌する。
鳴らされる金属音から魔術の発動まで約亜音速。
ザックの魔術は短文詠唱だが、クレアの魔術は超短文詠唱に属する。詠唱終了から楽器が鳴らされるまでの寸瞬のうちに、ザックが魔術を発動し詠唱を終わらせるのは不可能であった。
「かっ……っ……。」
共鳴する鈴の音が聞こえた時にはもう遅い。守りの盾は間に合わず、微細な振動がザックの全身を這いずり回る。
内臓を揺らされ、ザックは筋肉を硬直させる。泡混じりの嗚咽と白眼を剥き、頭と身体の意識を混濁させる。
だが……。
「貴方っ舌を!!」
泡に混じった血液にクレアは怖気を走らせた。
気絶しまいと咄嗟に噛んだ舌から血が流れ出す。その痛みがダウンを防ぎ、意識を口元へ集中させる熱の導となった。
「『ーばんっ族! 鳴らすは砦の唄!』」
「『
だがそれでも、クレアの第二撃の方が早い。たとえ隙を突かれようとも超短文詠唱はそのロスを補完できる。
放たれる鈴の音撃。ザックの魔術の名を告げるよりも早く。
勝った!! クレアはそう確信した。いや確信してしまったのだ。
『
その油断が第三撃の用意を怠る結果に繋がる。
「っ!! 貴様!!」
ザックはいまだダウンしていない。砕けたのは肉体でも、詠唱魔術でもない。
空間に散ったのは魔術師ならば誰でも使える基本魔術の一つ、防御魔術だった。
自身の術式を発動しながら、自己構築式を組むという荒技。実践するに至るまでどれほどの修羅場を超えてきたか。
刻まれた傷跡の数だけザックは強くなってきた。戦士として生き残ってきたその回数が、野生動物の如き生命力を培ったのだ。
そして、ザックは血で満みちた咆哮を上げた。
「『
展開される蛮族の盾が周囲を全てを覆い、ザックとコウを守する領域が展開される。
本日一度目の展開とは少し違う。
相手は音と振動を操る。盾の隙間からでも確実にダメージ与えてくるだろう。
故に、ザックは固有魔術に改竄を加える。
盾となる面積は練度に依存するためそのまま。
手を加えたのは盾の形状だ。
ザックが組み上げたのは、六角形状に造り出された盾の集合体。
まるでカリウスの結界を彷彿させるドーム状の守護領域だった。
「ここへきて……まだ防御ですか。」
魔術の発動を悟り、数歩下がったクレアだったが、呆れたとばかりに戦闘の彷熱が冷める。
「せめて攻撃に転じれば勝機はあったものを。つまらない最後ですね。」
その守りが愚策であると罵り、クレアは受け身の構えを解いた。
「もう終わらせて差し上げます。」
容赦のない攻撃が再び始まった。
果てしない音撃が何度も何度も壁を叩き、その度にザックが補強する。
「……っ…。」
ザックは中心に片膝を落とし、コウの右手を掴んだ。
決してコウを離さない。眠るように動かない少年を信じ、長い長い逆転の数秒を稼ぐことに魔力の全てを捧げると決めた。
猛攻の中、ふと視線をコウに向ける。
そこには一筋の鼻血。恐らくクレアの第二撃によるものだ。
「すいません。コウさん。」
力になると。守り切ると。
そう約束したはずなのに守りきれなかった。
忠義に生きる一人の男はそう呟く。
魔力はいずれ尽きる。
ザックは底の見え始めた魔力を最後の一滴まで絞り出した。
いつしか鼻血が流れ始めた。魔力の使いすぎによる第一症状だ。
体が悲鳴をあげる。だが魔術は解かない。
心臓が軋む。だが魔術は解かない。
魔力が尽きれば人は死ぬ。だが魔術は決して解かない。
五体から熱が消えていく。あの冬の日のように。
寒く 冷たく 虚しく。
走馬灯に意識を委ね、ザックの手が離れかけたその時だった。
『ありがとう。』
ついに握りしめたコウの手が強く握り返されたのだった。
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