第12話 僕らの家出戦争 ②

「さっきの魔力は…。」


 少し時刻は遡り、11時10分頃。

 それはコウが結界へ向かう途中のことだ。

 一言で乱気流がふさわしい。災害級の余波は西の庭園からだ。確かこの時間なら…きっとミシェルは紅茶を嗜んでいるはずだが。

 この魔力の波動はいったい…。

 温厚な彼女には珍しい荒げた感情を察知し、コウは怪訝な面影で息を呑んだ。

 

「仕方ない。」


 時間がないことも承知の上で、コウは足を止める。

 魔力を研ぎ澄ませるには通常の何倍もの集中力を必要とし、長い訓練が必要だ。

 イメージするのは空気との一体化。

 魔力領域はまるで神経のように肌を撫でる。それは微小な空気の流動すらも捉えるほどに。


(まずい! これ以上はっ!!)


 放たれた極寒の冷気が、魔力伝いにコウの身に降り注ぐ。

 コウはすぐさま魔力領域を閉じるが…。時すでに遅し。針で刺されたかのような痛みにコウは眦をあげた。


「相変わらず。すごい魔力だな。」


 荒れ狂う乱流に神経が引き裂かれるような錯覚を覚えてしまう。

 数歩もつれたコウは無意識のうちに鼻血を流していた。


(空気レベルの探知は二次被害受けやすいから気をつけないと。シアさんにもあまり使うなって言われてるし。)


 空間の知覚となると、魔力の波動だけで神経に魔力的影響をもたらしてしまう。

 広域の偵察には便利だが相手が熟練の場合、逆にカウンターを食らう可能性があると、教え手のシアから念を押されていたのだが……反省は後にしよう。

 コウは雑に鼻血を拭う。


(多分だけど…。姉様は僕のために怒ってくれたんだ。)


 嬉しさに耐えかね、思わずむずがゆい顔になってしまう。だがその気の緩みがコウの心に僅かな余裕を作った。

 

「何をしてんだ僕は。」


 まったく馬鹿らしい。

 一人で戦ってるわけじゃない。背中を押してくれた人を信じないでどうする。

 これは賭けなんかじゃない。その選択がどうあれ、コウが失ったことや得たこと、そして、貫いたことにはきっと意味があるのだから。

 たとえここで夢が潰えようとも…悔いはない。

 見上げた空にはコウを縛る結界がそこにある。

 依然として事態は最悪。

 これが武者震いかは分からない。だがコウは言葉にできないこの熱を笑みに変える。

 

「行こう!!」

 

 枷を解き放った少年に迷いなどない。いまだ橙の守りに空が染まろうとも、心臓の高鳴りは止まることなく、結界へ足を走らせた。

 


ーーーーー



 時刻は11時20分。

 コウは正門側の大扉の前で打開を練る。

 大門は出入り自由に堂々と開かれているが、コウにこの門を通ることはできない。

 目の前には隔たる壁がある。それもコウにだけ発動する新種の結界だろう。

 おそらく封印術をベースとして造られたものか。

 考察に合わせ、明確な詳細が欲しい。

 コウはその結界に触れようと一歩、また一歩と脚を進めるが……。

 それと同時に刺すような視線と魔力の鼓動を感じる。


(やっぱ警戒されるよな。)


 渡りの掃除をしているメイド。

 庭の手入れをする執事。

 二階の窓からからこちらを覗く誰か。

 張り詰めた空気とはこういうことを指すのだろう。コウが結界に触れたことで、従者たちの警戒は最高潮を迎える。

 

「この強度は流石に…。反則ですよ、御父様。」


 実際に触れたことで分かるその強度に、感嘆の声が思わず漏れる。

 中型の魔獣程度なら傷一つつか無いだろう。

 コウはより繊細にその構造を読み解くべく、自然単位にまで魔力を薄く広げていく。

 視覚だけを頼りにするのではない。全てを五感に委ね、知覚という領域で全てを把握する。そうすれば、こんなにも世界を美しく感じ取れる。

 次の瞬間、ほんの一部分だけ。感覚の矛先が空間になぞられた術式の残滓を捉えた。

 強度が一流ならそれ以外の穴場を。つまりは術式の弱点を探ればいい。

 術式は不完全であり、必ず欠点が存在する。もし完成を遂げてしまえば、それはもう魔術師の領域ではない。

 コウはカリウスが描いた魔術の軌跡を読むことでその概要を予想する。

 そして…。

 

(怯んでる暇はない。物は試しだ。)

 

 コウは自身の魔力を呼び起こす。呼吸を整え、全身を弛緩させることで呼び起こした魔力をその身に纏う。


「コウ様!! お待ちを!」

「お離れ下さい!!」


 後ろからの従者の声には目もくれず。

 沸き起こる高揚感、そして肉体の覚醒。それを意図的に引き起こす。

 推しはかる程度なら、魔力出力は三割程度でいいだろう。


技能発動アクト・オン


技能アクト』とは、己の肉体と技のみを行使しする戦士や騎士が振るう力。

 コウは魔術師を目指す少年だが、その肉体は魔術師とは思えぬ、練磨され尽くした努力の結晶そのものだ。

 コウが憧れた魔術師とは、皮肉な事にアレンのような前衛を闘いぬく魔剣士の姿。

 いつか魔術が使えるようになるその日まで。コウは幼少の頃より、戦士と遜色ない程に体を鍛え上げていたのだ。

 その結果、世界はその少年に『技能アクト』を授けた。

 腰に重心を任せ、背筋は伸ばし、脇を締る。その構えは魔術師とは程遠い、戦士のそれだ。

 添え手で結界との間隔をはかり、徐々に後ろへと体重を乗せる。

 

鋼砕はがねくだき』


 後ろから前へ。体重を移動させ、鋼を砕く拳が突き出された。

 打撃音は風のように抜け、監視者達の耳へ届く。

 その時、従者達は強張りを見せる。コウと壁の接触が、明確な脱走の意思であり、確保の理由なりえると判断したからだ。


「お下がりくださいコウ様!!」

「カリウス様の命より、コウ様の外出は禁止されております。これ以上の結界への介入は、反意とさせていただきます。」


 屋根上から。

 手入れ師を装う執事。

 掃除をしていたメイド。

 次々と荒らい声がコウへ投げられ、臨戦態勢へと移っていくも、その強勢がコウに届くことはない。

 コウはその場から一人、裏門側の空を見つめていた。


(この音の感じ。やっぱり衝撃は結界を…。あ、やばいこれ。クソ痛い、まじ痛い、涙出そう…。)


 従者達が驚き犇く中でも、コウは常人以上の集中力で、その結界の情報をかき集めていたのだが…。

 結界を殴った右手を見ると、それはそれは見事な腫れ上がりで、額からは変な汗が滲み出る。直後…。


「痛ったぁあぁ!!」


 コウの思考を賢者時間へ誘ったのは、紛れもない痛みだった。

 今日一番の大声に弓張の空気は切れ、従者もろとも困惑の色に染まっていく。

 

「…?!??」

「コウ様? お怪我…を?」


 慰めの言葉は苦痛で遮られ、コウは下唇を噛んで涙を堪えるのに必死だ。


(『技能アクト』を使ってもこの様なのか! 本気でやってたら骨が折れてた。何てものを作ってくれたんだ御父様は!!)


 痛みを飛ばすように必死で手をブラつかせ、思考を整える余裕をどうにか保つコウ。

 見立てを遥かに超える頑丈さは、生身で鉄の壁に挑むようなものだった。


「でも! これで届くだろ。」


 「届く?」その言葉に取り巻きは、何のことやらと首をかしげる。

 そんな最中、コウだけは聴覚に意識を集め、ある鈍い音が来るのを耳を澄ませて待っていた。

 打撃から数十秒後、ドォン……と鈍い音が後方から聞こえてきた。


(大体二十三秒、かなり遅いな。)


 その数秒が意味すること。それは衝撃がある収束点に集まるまでの時間だ。


(やっぱりな。この結界は衝撃を多方向に分散することで、壊れないように構築されてる。でもこの結界はドーム状、最後は必ず一点に終着する!)


 コウの仮説はこうだ。

 恐らくこの結界は衝撃を、六角形伝いに全方向へ流してる。あの破裂音は分散した衝撃が、ある一点で収束した時のもの。それはこの場から反対に位置する裏門側で発生した。

 把握するために、手を痛める羽目になったが、それでも十分すぎるほどの収穫だ。


(発動した魔術は魔力の外乱に弱い。たぶん衝撃に魔力を乗せれば、地面に衝撃が流されることもない。そうすれば威力減衰も抑えれる。)


 つまり、魔力と衝撃を合わせ穿つことで、伝導する衝撃波の減少を最大限に抑えつつ、最も負荷が生まれる収束点を生み出せる。

 コウは立ち上がると、丁度真後ろへ体を向ける。


(ここから裏門まで全速力で走って、ドンピシャで弱い場所を打ち抜けば…。勝機はある!)


 手の痺れが取れてきた。骨に異常がないことを確認し、コウは打開の策をまとめる。

 必要となるのは二回の打撃だ。

 第一撃は正門川から魔力主体で攻撃。

 裏門までの魔力伝導を考慮すれば、が最適解だろう。

 第二撃は正門から裏門までの助走をつけた決めの一撃。

 加速を乗せた威力重視の全力の拳だ。第一撃で放たれた衝撃が、裏門側で収束される六角形を探知し、位置・タイミングを誤差なしで打ち抜く。

 失敗すれば、打撲程度では済まないだろう。

 しかし、本邸から出ることもできないようでは、家出の一文字も始まらないのだ。


(勝負だ。)


 その時、コウの変化に従者達は目を疑った。

 人は覚悟を決めた時、剥き出しとなった心が体と重なる。

 コウが瞳に宿したのは、カリウスを彷彿させる鷹の如き眼だった。


「へぇ〜〜いい顔するようなったやん。」


 正門噴水の影から一人、こちらへ近づいてくる男が見えた。

 服装は東和のものだろうか。こちらではあまり見かけない和装だ。

 灰色の羽織と黒の着物に赤水晶に輝く片耳のカフ。

 黒染めの光沢ある短髪に所々自前の赤毛が残っており、若人流行りファッションを抑えた一モデルのようだ。

 顔つきは…コウとはあまり似ていない。

 喋り口調や性格も共通する箇所は少ないと言える。

 その人が、この世で血を分けた一人の兄だというのに…。


「腑抜けてるよりマシやと思うで? カッコええやん。ほらあれや。まるで今から死ににいく兵隊さんみたいや。」

「アラン兄様……」


 いつも通りのアランの悪態だ。

 慣れたことだとコウは言い返さぬまま黙っている。

 普段と違うことがあるとするなら、コウが俯いていないことだろうか。


「お前マジで出ていくつもりなん? キモッ、てかおもろ。」


 歴戦の敵を前にして、コウは目を逸らす事などしない。

 アランもまた、今日の弟は何かが違うと、戦い抜かれた歴戦の勘が告げていた。

 

「一応聞いておきます。兄様は何故ここに?」

「んーそうやな〜。まあ身内の恥は潰しとかなあかんやろ?」


(やっぱりそうきたか。)


 兄の敵意を感じたことで、コウの体から無意識か僅かな魔力が溢れだす。

 それでいて、敵対宣言を告げたアランの表情は、強者たる余裕の笑みを浮かべる。


「やっぱり血を分けた者の非行を止めてやるんが家族の優しさってもんや。まぁ今回は非行やなくて奇行やけどなぁ。」


 奇行か。そう思われても仕方ないとコウはその挑発に目を瞑る。

 アランの言うことはあながち間違っていない。魔術を使えない者が魔術師になれるだろうか。これは所詮、子供じみた我儘でしかない。だがそれでも……。


「おい。なんか言えやカス。」

「何か言い返してどうにかなるんですか?」

「へぇ。一丁前に言うようになったなぁ無能。まあええわ。一応優しさで言っといたるけど。行くんやったら骨は折るで?」


 脅しでもなく、恐怖心を揺るがすため駆け引きでもない。これはアランの警告だ。

 だがコウが慄くことはなかった。腕の一本くらい捨てる覚悟で挑まなければ、マードックの血から逃れられはしない。


「覚悟の上です。ではこちらも一つお聞きしても?」

「ええよ。なに?」

「これは御父様の命ですか? それとも独断でのことですか?」


 その問いに対して、アランはまたもや不敵に笑った。


「どっちがいい?」

「はい?」

「前者か、それとも後者か?」

「っ!!」

「ははっ、ええ顔するやん。じゃあ…」


 人を嘲笑うかのような道化の質問。

 だが確かな事は、その答えがもたらす結果を直感的に感じ取れることだ。

 コウの歪んだ相貌に対し、アランはご満悦に眼の色を変えた。


「答えは後者や。ここらで御父様のご機嫌取りもありかなぁ〜思て。」

「そうですか…。」

「ほんま踏み台ご苦労さん。存分に場引き立ててくれや。そやないとしょぼいやん?」


(ありがたい。これで情もなく戦える。)


 後者が意味するのは決別だ。アランとって、どうやら自分はその程度のものなのだとコウは自覚する。


「だからさ。」

「アラン兄様、どういうおつもりですか?」


 伏せそうになった視界に僅かながら兄の姿が映った。

 目線を戻すと、そこにいたのは男座りで膝に頬杖をついた兄の姿だった。


「せめて外ぐらい出てくれんと味気ないやろ。」


 コウは瞬時にその意味を理解した。

 本邸を出るまでは兄は動かない。幸運な事に、これで結界崩しに専念できる。


「その一応、ありがとうございます。」

「は? 勘違いすんなや殺すぞ。」

「でも有難い事には変わりありません。」

「犠牲者精神極まってるなぁお前。てかまずここから出れんの? 結界だけやなくてお前が見んとあかんのはさー。コイツらもやろ?」


 アランを捉えた視界に入り込んでくる複数の影と気配。確保しようと身構える従者達が段々と近づいてくる。


「お前捕まえようと血気盛んな連中がおんねんで? 何希望みてんねんお前。頭大丈夫か?」


 前方に鎖持ちと魔法の待機組が複数名。

 後方にも同じような手練れがちらほらいるな。


「お前ら手加減すんなよ。」


 アランの号令に応じて、従者達はそれぞれの声をあげる。


「承知しております。コウ様、どうかお考え直しください。」

「我々の突破は不可能ですぞ。カリウス様の結界を崩すことなど出来ませぬ。どうか抵抗なさらぬよう。」

「カリウス様より、捕縛許可を頂いております。どうか私たちに手荒な真似はさせないでください。」


(みんな本気だな。)


 ここにいる従者達の顔と名前を知っている。全員、コウの身の回りで働いてくれた者達だ。恐らく前線を自ら志願したのだろう。

 嬉しくもあり、寂しくもある。本心で考えてくれるからこそ、本気で止めてくれるのだろう。


(ここを出れば皆とお別れだな。)


 コウは最後にかける言葉を考えた。目の前にいるこの人達にせめてもの感謝を……。


「みんな今までありがとう。」


 突然の感謝に従者達は固まっていた。

 

「ミーゼ、いつも美味しい紅茶をありがとう。僕が頑張りたいって思う時、いつも運んでくれたよね。」

「……コウ様。」


 鎖を手にしたメイド、ミーゼは感激に返す言葉を失っていた。


「エイラ、いつも僕の服を畳んでくれててありがとう。」

「そんな! 当然のことです。」


 魔術を構えたエイラは不器用ながら言葉を紡いだ。


「イワン。多分イワンがいてくれなかったら、僕はダメだったと思う。小さい頃、眠くなった僕をよくおぶさってくれたこと覚えてるよ。」


 最後に声をかける相手は決めていた。

 イワンは幼少時のコウを長い間見守ってきた最古参の一人だ。

 数少ないコウが人前で涙を見せたことのある一人。まるで祖父のように慕い、そして大好きだった。

 イワンは静かにコウを見つめ、力んだ拳を緩めた。


「コウ坊ちゃま。どうかこの老いぼれに心労をかけさせないでくださいまし。」


 コウ坊ちゃまと呼ぶのは、この本邸でイワンだけ。

 まるで本物の祖父と会話しているような、そんな気さえする。


「帝都など行かれてはなりませぬ。どうか爺やの願いを聞いてくだされ。」


 不敬と知りながら抱いてしまったコウへの愛情にも似た忠誠心。

 その眼差しにコウは大好きな姉妹達を重ねる。

 優しく、そして朗らかに。これから戦うであろう相手には相応しくない相貌だ。


「ごめんなさいイワン。でも僕はもう大丈夫だよ。」


 笑おう、心を溶かして昔みたいに。

 示そう、もう大丈夫だと思ってもらえるように。


(御母様のためじゃない、僕自身のために。)


 この力を。

 コウは結界へと手をのばした。

 不動の壁に対し、押し付けられたのは掌底の型。そこに間合いは存在しない。

 武闘派のアランはすぐさまその武術の型を見抜く。


か。木偶にしては考えたな。)


 魔術師とは程遠い武術の型。

 内部から破壊する発勁に魔力を乗せる。

 その最中、当主の命を背き、脱出を図らんとする不届者が眼前にいるというのに、前衛の従者は動かない。

 イワンはただ、我が子を見守るような眼差しを向けてるだけだった。


「魔力解放」


 魔力の解放によって、宣戦布告の狼煙が上がる。湧き上がる魔力を型に流し、コウは第一の攻撃へ移った。


技能発動アクト・オン 波動発勁はどうはっけい


 コウの家出が、今始まった。

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