第13話 コウの魔術戦々

「何をしている貴様らっ! 早く止めろ!!」


 コウの第一撃により、結界が地鳴りのような音を立てた。

 同時に、殴りつけるような怒号が後衛より飛び交う。

 カリウスの親衛隊である暗殺者を彷彿させる黒ローブの部隊。その一人が屋上より叫んだことで、場は一気に緊急事態へと押し上がった。

 この焦りの正体は間違いなく、結界前の一人の少年に対してだ。

「魔力解放」の宣告より、空気は震え出し、状況は一変した。

 たった一人の少年に対し、ある者は目を離さず、ある者は汗腺を広げ、ある者は緊張を走らせた。

 しかし、冷静な者もいる。

 コウに最も近く、そして動じることのないイワン。

 その立ち姿は老廃たる所以か。否、怒声に応じることなく、静かに拳に力を込め直した拳師は、己の覚悟を腹で錬る。

 一方で、噴水に腰を添えるアランは混乱の中においても、不敵な笑みを浮かべる。その様は紛うことなき強者であるからして…。

 天性の戦闘狂は少年から迸る狼煙のような魔力を、優雅に眺める。


(相変わらず、馬鹿げたや。昔よりだいぶ増えたな。まるで底が見えん。)


 コウの特異体質の一つは、底知れぬ

 魔術師の名門・マードックの血筋ともなれば、誰もが魔力因子を持って生まれ、中には先天的に術式という固有魔術に恵まれた子もいる。

 やはり血の影響か。本家、分家含めマードックの血を引く者は常人よりも多くの魔力を秘めている。

 しかし、コウだけは例外だ。

 先天的な術式を持たずして、マードックの血筋だけでは到底理由に足らない、人外に匹敵する魔力量をその身に宿している。


「行くよ、皆。」


 チャンスは一度きり。一か八かの挑戦が今始まる。

 立ち昇る魔力は以前そのまま。魔力を解放したことにより、コウの肉体は覚醒を喝采する。

 獣のように体勢を落とし、脱力した筋肉というバネを地面へ食い込ます。

 正面には既に拳を構えた老兵が一人。元戦士として衰えはあるものの、腕前はいまだ健在だ。

 イワンは息をゆっくりと吐きだすと、前足に全体重を乗せる。


「ご覚悟!!」


 踏み込まれたイワンの前足によって地面はひび割れ、容赦ない縦拳の直突きを放たれた。


技能発動アクト・オン 鋼砕はがねくだき』


 その『技能アクト』を何度も見てきた。

 イワンはコウの従者であり、また技の師でもある。

 当然、教え子であるコウは、その型を何度も傍で見てきた。時には、嗚咽を吐かされた事もある。

 だからコウは何故その型をここで選んだのか、イワンに聞きたくなった。


(イワン……。ありがとう。)


 コウは自身の間合いに限定した魔力領域を展開。

 イワンの『技能アクト』がコウが纏った魔力の鎧へと届いたその時。

 衝突することで発生する魔力の揺らぎを、コウの肉体は神経反射として伝達した。


「まさかっ!!」


 百戦の敵を地に伏せた崩拳が躱され、老骨は思わず声を上げる。

 側から見れば当たる寸前の神回避。だがコウにとっては造作もないことだ。

 攻撃を紙一重で避けられたイワン。

 直後、イワンの頭によぎったのはカウンターをもらい、地面に倒れる自身の姿。突き出された拳の外側に回られたからには、防御する腕と時間がない。

 言い逃れできないほどの、完璧な隙を作られたのだ。


「!?」


 しかしコウの反撃はない。

 その直後、コウは前足で軸回転し、イワンを背に走り出した。

 そもそもコウの狙いは従者たちの無力化ではなく、裏門からの脱出だ。正門からの駆け出しは助走距離でしかない。

 だが前方のメイド達は事態への対応を整え、すぐさま攻撃に移る。


技能発動アクト・オン

魔術発動ルーン・オン


 メイドの二人は息を合わせ、魔法と武器の連携を見せる。

 ミーゼの魔力を纏った鎖がこちらに投擲され、エイラの水魔法が後方で準備される。

 

蛇々螺這じゃじゃらば


(この動きっ!?)


 コウに襲い掛かるは一撃目は意思を持つ鎖。まさに地を這う大蛇の如く、コウを喰らおうと鎖は襲い掛かる

 攻撃の方向を惑わす動き。まるで呻く波のような異質さ。

 しかし、コウの魔力は鎖の少し先の未来を予測する。

 以前、魔力はベストを維持している。

 生身、または半端者が魔力を纏った程度では、熟練の『技能アクト』に反応することすら叶わない。

 だがそれは無能の強者には通用せず、コウの魔力技術、魔力総量は、


「っ! ありえない!?」


 コウは左から迫る鎖に対し、裏拳での応戦。

 屋上で誰もがコウのとった行動を無謀であると嘲笑ったことだろう。これで、コウ・マードックはだ、任務は完了したと。

 だがしかし、弾かれた金属音が物語ったことは…。少年に対する無能という既成概念のだった。

 

「エイラ!!」

「発動済みですっ!」


 感傷する隙もなく、ミーゼの咆哮でエイラの追撃は繰り出される。


水の鎖を操る魔術アグアス・テイル


 エイラは後方にある噴水を活かし、水をロープ状に変化させる。

 操作された水の束は鞭のようにしなり攻撃を仕掛けるが、コウが怯むことはない。


「『研魔けんま』」


 研魔とは魔力を研ぎ澄ますという、その一連を指す言葉である。

 魔力は研がれることで操作性、精密性を底上げし、応用の幅を広げることができる。

 コウは左手を手刀に魔力を集中させる。魔力を研ぎ澄まし、型になぞるよう形成する。そうすれば……手刀は魔術を切り裂く剣へと昇華する。故に、コウの魔力をもってすれば水魔術アグアスを受け切る事など、造作でもない。

 

「ダメっ止まらない。」


 コウの左手は水魔術アグアスを真っ向から受ける。同時に、水飛沫を上げながら、構築された魔術は悉く削られ、遂には魔術は水と共に切り裂かれた。


(まずいっ時間が…。全員を迎え撃つ余裕はない!!)


 ここまで約数秒の時間消費タイムロス。コウの顔に明確な焦りが浮かび始める。

 

「この役立たずめが!」

「なぜこちら側に!」 

「裏門だと! 愚策な!」


 その言動から裏門からの脱出は、事前にバレてはいないと確信。

 本来、裏門からの突破は愚策と言っていい。汽車のホームは正門側からの一本道。となると迂回と時間をかけてしまう裏門からの脱出は、まず考えられない。

 ならば正門付近に、部隊を待機させることは必然。裏門側の守りは手薄となる。

 時間は容赦なく迫る。約束の音が遠くなるとともに、刻々とコウは追い詰められていく。

 一人一人を相手取っては時間が足りないことは明確。どのルートを選択するかで、十数秒先の未来は大きく分岐する。

 左右から庭を抜ける道は、続々と人が乱入してくる。数の暴力で抑えられるだろう。

 では屋上からの跳躍はどうだろうか。否、相手はカリウス直属の親衛隊だ。一人一人の実力は本物。時間を消費するだけだ。

 ならばと、コウは走る脚を止めることなくミーゼ達を抜き去り、思考をフル回転させた。


(右!左!どっちだ。考えろ!!)


 ついに噴水へと差し掛かり、最善の選択を迫られる真っ只中の事だった。

 真正面を映す視界の片隅に、いつ何時も余裕そうに微笑むアランの姿を捉えた。

 過ぎ去り際に交わされる二人の眼。

 その瞬間、まるで時間が静止したかのような不思議な感覚が訪れる。

 不意ともいえる思考への介入、長く引き伸ばされた一秒間、いや一秒にも満たない極小の世界だろうか。

 その世界で……コウは確かな一人の姿を描いていた。


(これは……。アラン兄様か?)


 何者も彼の前に立つ者はいない。

 死屍累々の頂点、染まる血の丘に立つ男。

 砕かれた大地、砕かれた肉、砕かれた命。


『其は全てを砕く者、其は無類の強者なり』


 与えられしその名は『砕者さいしゃ

 拒むもの全てを忌する者。故に砕き、そして進撃する。

 だがなぜアラン・マードックという人物のカタルシスが、今浮かんだのか…。

 直感、それともシンパシー? そんな事はどうでもいい。

 考えるより先に、コウの体は兄の人物像を模倣することを選んでいた。

 その時、凝縮された瞬間は、一気に加速し出す。


「やれ!! 一斉にかかれ!!」


 複数の魔力反応。

 号令の末、ついに屋上の親衛隊が動き出した。

 空間に展開されていく魔術式の数々。

 魔力を纏い、屋根より強襲する猛者たち。

 絶体絶命の現状に置かれたコウであったが、その足が止まることはない。

 右、左、それとも上? 違う。全てが愚策。コウが選んだ道は……。

 踏み込まれた一歩。そこに魔力の大部分をかき集め、コウは再び大きく姿勢を下げた。

 魔術師を目指す者とは思えない脚。そしてそれを担う四つの筋群に、熱が注がれる。

 直後、地面はめり込み、魔力による身体の強化が人外の領域へ誘う。即ち、偉業なる英雄たちの領域。

 イメージは爆発。

 大地を抉るように、脚のバネと魔力をもって爆進する。


「な! 速いっ!!」

「消えただとっ!?」

「一体何処へ!?」


 襲い掛かる親衛隊達との乖離した初速の差。それは攻撃の一瞬すらも与えず、容易にコウを前へ押し上げる。

 この間、僅か瞬きの寸瞬。

 目線は正面、進むは左右・屋上ではなく真正面。つまりは本邸玄関からのルート。

 コウの高速移動に親衛隊は目を眩ます。

 ただの直進、されど偉業者擬きの超進である。

 前方の視界から突如姿を消したことで、親衛隊の間に数秒の戸惑いを生じさせた。


「何をしている! 後ろだ!!」

「何だと!?」

「そんな馬鹿な事が!?」


 その声に反応できた頃にはもう遅い。すでにコウは本邸玄関前に達していた。

 道はなく、玄関は扉で閉ざされている。

 だがそれがどうした。隔てるものは全て押し退ける。その姿はまさに彼の『砕者』の如く。

 そして……。


「はっ!」


 コウの拳は轟々しく音を立て、閉ざされた扉を軽々と吹っ飛ばした。

 何度も遊び、駆け回ったこの家はコウの独壇場のようなものだ。

 廊下、階段、部屋の数まで。コウは全て把握している。当然、本邸内から裏門へ続く最短のルートすらも…。

 スピードはトップのまま階段を跳躍し、大廊下を抜け、突き当たりのガラスを蹴り破り中庭へ。


「クソっ! 何という速さなのだ!!」

「皆追えー!! 逃がすな!!」


 当然、事態は混乱を極める。何せ誰もコウに追いつくことが出来ないのだ。

 実質、コウの障害は裏門での待機組、そして屋上で指示を待つ残りの親衛隊のみ。

 作戦の欠点をあげるとするのなら、ターゲットの強さをはかり違えたことだろう。

 しかし、それは無理もない。皮肉なことに、マードックにおいて魔術を使えない者など皆眼中にないのだから。

 そんな無能と認識した人間に、誰も手が届かないなど、一体誰が予想できただろうか。


「何故当たらないのだっ!?」

「この速さ!! よもやアレン様をもっ!?」


 途中、中庭で攻撃の雨あられに見舞われるも、全てを無視。『研魔』による機械的な反射領域に身体を委ね、敵を捌いていく。

 既に裏庭到達間際、渡り廊下の上から、そして屋上へ。


(これなら間に合う!!)


 裏庭を一望できる屋根の縁。コウはもう一度脚から魔力を爆発させ、空高く跳躍する。

 眼球は忙しくなく敵の数と配置を探り当て、ついに僅かな勝利の兆しをコウは掴みかけたが……。

  

「っ!! あれは!?」


 眼前、裏門に聳える一人の守護者に、鳥肌の隅々まで逆撫でた。

 

「なんで!? どうして此処にいるんだよ!」


 あまりの理不尽さに吠えるコウ。

 昨日まで帝都魔獣戦線に出向き、討伐にあたっていたはずのその大男。獣人特有の鍛え抜かれた褐色に、体躯に刻まれた歴戦の傷跡。

 マードック親衛隊隊長、カリウスの右腕と呼ばれた獣人の名は。


「どいてくれ!! ザックーー!!」


 コウに立ちはだかった壁。

 その名はザック・ベルフリード。与えられし名は『獣の番人ウォールウォリア』。

 ミシェル、アランと共に並ぶ、異名保持者ライズホルダーの存在だった。

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