第14話 番人
「できないです、コウさん。」
コウの願いは淡々とザックに躱された。
着地と同時に走り出すコウ。残り数秒、結界を伝う波の衝撃はすぐそこまで来ていた。
(ごめんザック。手加減は無しだ!!)
自身に迫る本気の形相を見せた少年に、ザックもまた戦闘態勢へ移る。
膨張する筋肉は大木のように分厚く、浮き上がった血管が、血流によって圧迫されていく。
「『
口にされたその儀式、その行方。
直後、ザックの身体に刻まれた術式回路が浮かび上がった。
「『
コウは一瞬にして、その精巧な魔術式を読み取る。現代では行使不能とされるザックが展開したのは、まごうことなき固有魔術だった。
直後、前方に形成された魔術壁を獣人特有の拳をもって、ザックは壁ごと打ち出す。空気を揺るがすほどの威力、質量を持った壁は、轟音を鳴らしながら地面のレンガを抉り、コウを襲う。
遠距離攻撃でありながら、範囲、速さともに並みの魔術を上回る一撃。
まさしく二つ名に恥じぬ強さ。
(避けれないっ!!)
まともに受けていい攻撃ではないことは明白。コウもまた拳に魔力を集い、雄叫びを乗せた殴打を放つ。
一枚の壁越しに衝突する二つの震撼は、音の嵐を呼び、空気に魔力を走らせた。
その瞬間、時間は白く染った。
決着の行方は…。
壁を貫き、振り抜かれたのはコウの拳だったが、代償を含めるとするのならザックの完勝といえる。
拳から血を数滴零し、左手の痛みに思わず顔を歪める。
だがそんな少年へ、現実は無慈悲なまでの失態を与える。
身を守らんとするあまり、思考放棄してしまったのが最後、その結果が齎したのは、結界を崩すための矛の損失だった。
(くっそ! 助走が死んだっ!!)
勢いが殺されたことにより、結界を崩す加速は失われた。それに加え、未だ裏門には不動のザックが待ち受けている。
(いや…。まだだ!!)
コウは未だ諦めない。眼前の獣人、ザックと相対したコウ。
周りの脅威、失態への残機、迫る焦燥。
亡者のように湧き上がり、心を蝕む負の感情に苛まれそうになったコウは、心の全てを無に染めることで、この感情を今一瞬限り忘却した。
今この場における最善、そして絶望的状況を打開する策を練るために、その他一切の間隔を閉じ、感覚に判断を委ねる。
「ザック、どいてくれ。」
「すんません。今日のおれぁ番人なんで。」
「そっか。なら…。」
結界を伝う衝撃はすぐ目前まで。
この距離をただ闇雲に走り出したところで、間に合いはしない。だがコウが選択した答えは、一か八かの正面突破だった。
いくらこの状況で速度増加の『
だからこそ、普通では駄目なのだ。普通では……。
『
コウは自身の肉体を省みない、自壊の策を選んだ。
『
コウはその
だがコウが退く事は決してない。
勝利という名の未来を掴むために。
「勝負だ。『
「うっす。」
再び、両者の眼が交わされたその時、世界は二人を静寂へ誘う。
統制され始めたカリウスの親衛隊。
裏門に待機していた従者、メイド達。
皆同じくして、両雄の領域に入るような無粋な真似は許されないと悟る。
そして……。鳴り響く不遜な地鳴り音が、眼の前まで訪れたその時、緊迫した空気は静寂と共に裂かれた。
『
眼にも止まらぬ速さとはまさしくこの事。これまでに体験したことのない急加速に、脚の繊維は悲鳴を上げ、血脈が暴れ狂う感覚が全身を這いずり回った。
だがその代償がコウにもたらしたのは、音速の如き超速。
初速の概念さえも置きざる程の条理を超えた一蹴が、コウを一条の残像へと変えたのだった。
(っーー!?ーー!!!!)
獣人の五感を正面突破する圧倒的な速度を前に、ザックは咄嗟の判断を迫られる。
だが当然、不動の番人であってもその偏絶した速度を前にしては、思考の一切が機能しない。多くの歴戦を超えてきたザックであっても、この一瞬の加速を目にした事などなかったからだ。
その速さに誰もが反応できない。
まるで自分以外の時間が止まったかのような世界。
その中心に自分がいる。
抜ける、今度こそ!
コウに傲慢な確信がよぎった。
全てを抜き去り、結界を打ち破る。見据えた未来の先へ、コウが手を伸ばしたその時だった。
番人との勝負の今際。
コウが目の端で捉えたのは、軌跡を描く、狩人の如き闇夜の瞳。
その瞳がコウにこう語りかけたのだ。
『速いですね、コウさん。』
何故目が合う。いやそもそもどうして反応できている。その疑問が過ったのが最後、慢心を見せた獲物を獣人は見逃さない。
『
たとえザックであろうとも、超速を前にして頭を回す暇はない。
その場の判断に身を投じれば、指一本の抵抗すらも許されないだろう。
故にザックも同じく。
そして、ザックが選んだ選択は……。
『
獲物が油断を見せたその時、獣人の血族のみに扱うことが許された『血統術』を発動。
頭で考えることをやめ、全てを五感による反応反射に委ねる。
狩人の脇をくぐらんとした愚獣へ。
狩時を待ちわびた大木の如き腕が反射した。
(…は??)
コウは異変に気付いた。
あと数舜もすれば、結界に届くというのに……だがその時は少年に訪れない。
未だ自分が全てを置き去りにした世界の中心にいたはず。
だからこそおかしい。どうして。何故??
コウがそう思うのも無理はない。何故ならコウもまた、その世界で動くことのできない一人と成り下がったのだから。
「捕まえた。」
慣性による肉体の負荷が襲った時、コウの身体は地面にたたき落とされ、全てを悟る。
超速を生み出したコウの片脚には、獲物を逃さんとする腕が足枷のように握られていた。
つまりは……。ザックの業がコウを上回ったのだ。
「ふざけっ!」
コウは顔を歪めた。
来たる約束の時。衝撃の波は遂に結界の一点へと収束する。
「待ってだめだ…。」
その叫びは虚しく。
「止まってくれぇーー!!」
大太鼓の破裂音が、コウを置き去りに本邸へと響く。
それは……。コウの夢の終わりを意味していた。
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