第11話 僕らの家出戦争 ①

 時刻は11時40分。

 今日も変わらず、ここダンジョン都市では活気ある賑わいを見せる。

 忙しくない歩きで行き交う仕事人達。

 実りあるぶらり旅を満喫する観光客。

 甲高い金属音と汗を流す鉄職人。

 大きなダミ声をあげる的屋の人。

 ほぼ毎日人が行きかい、自然と祭りごとのようになってしまうため、この街の人間でなければ今日が縁日かと勘違いしてしまう。

 大昔と比べれば、魔物被害もかなり減った。

 恵みあるこの街は帝国経済の要として、帝都魔法騎士団が城壁外の魔物の掃討を請け負うため、魔物を恐れる機会は減りつつある。そのため住人たちは安心して腰を下ろし、この街で暮らしていけるのだ。

 ダンジョンがもたらした金属類が経済を潤し、地下水を引いた水蛇の地下水道によって干ばつが克服されつつある現在、この都市は人の笑顔で満ちていた。

 住宅街では子供たちが戯れ、商店街に行けば大人たちが生活に勤しんでいる。

 大通りを歩けば、格式ある馬車や運が良ければ帝国製の小型蒸気車を目にすることが出来るだろう。

 そんな豊かな街に名も知れぬ二人の親子が手を取り合って歩いていた。


「ねえねえ、おかーさん。」


 意気揚々とした我が子の愛らしい声。その直後、母親は手に重みを感じ子供が足を止めたがっていることに気づく。


「なあに? どうしたの?」


 買い物の茶袋を落とさぬように、ゆっくりと腰を落とす。振り向くと小さな少年はどこか上の方を仰いでいた。その顔はパアァっと煌めいており、握られた手が興味深々な方向に体が傾く。

 同じ目線となって優しく語りかけると、子供は屋根の方に指さしてこう言った。


「みてみて!! ニンジャだよニンジャ!」


(忍者? 確か東和で有名な。)


 母親はその指の先へ意識をやると、そこには屋根伝いに飛び回る人の姿があった。

 右へ左へ、ウサギのように飛び跳ねては人が移ろう。

 小さい我が子には噂の忍者に見えたのだろう。

 眼を凝らすと、黒か紺色をベースにした服装と上下一体の黒のロングスカートに白エプロンのメイド服を着ているのが分かる。

 この街の人間なら必ず見たことがある。あれはマードック家の従者様方だ。

 

「失礼。」


 上の空から聞こえた声と同時に、隣を猛スピードで走り抜けていく紳士たち。

 どうやら今日は特別に忙しいらしい。


「行こっか!」

「うんっ!!」


 ほどなくして親子は何事もなく再び足を動かし始めた。



ーーーー



「ない…ない! どこにも! ノートがなぁぁい!!」


 時刻は11時00分に差し掛かる。

 コウは頭を抱え、感情のままに咆哮をあげた。叫びは本邸の廊下の隅々まで広がり、ある庭師は盆栽の手を止め、また掃除をしているメイド達は何事かと振り返るほどだ。

 それは兄・姉・妹の耳にも届いていた。

 アランは興味なさげに趣味に耽っている。かというリアは今朝から顔すら出していない。メイド曰く、朝早くから何かを読みふけっているそうな。あの夜行性の妹が? とパンをかじりながらコウは首を傾げたものだ。

 帝都行の汽車の出発一時間前となり、急いでコウはノートを血眼で探すが一向に見当たらない。

 そのノートはいつか妹に渡そうとしていたもので、この機を際に渡そうと大切に保管していたものだったが…。

 ある種の見られたくない黒歴史なものだったため、本棚の後ろ側にひっそりと隠していたのが悪かったのか。神隠しにあったかのようにその場からなくなっている。


「一体誰が!? いやもう時間が…。」


 コウはため息混じりの声を漏らした。

 しかし、ノートに関しては記述したすべての術式を理解しているし、把握している。時間はかかるがまた書き直せばいいだけのことだ。

 そんなことより、もっと大切なことがある。

 正門から抜け出すのか、それとも裏門か。結局、判断しきれぬまま朝を迎えてしまい、身体もやや疲れ気味だ。

 昨日より監視の数が多く、まともに気を休める場所もない。


(酔いは抜けてるはずなんだけどなぁ。)


 所詮、まだ15歳の幼い精神に、この試練は中々に耐え難い。


「やばい吐きそう……。めっちゃお腹痛い。」


 腹を押さえながら、ついこぼしてしまった弱音。コウは気負けしそうになりながらも、深呼吸で立ち直そうとしたその時だった。


「!? この気配は!」


 それは一瞬のこと。

 空間が侵食されていくような異質な気配を感じ取る。

 コウはすぐさま魔力を研ぎ澄ますと、その原因が外にあることに気づいた。

 急いで窓を開いて空を凝視した時、コウは自分が出遅れたことを痛感した。


「これはっ! 御父様の結界術か!!」


 空は肉眼で識認できるほど色が変わっていた。青空は夕暮れの色に染まり、六角形の結界が集団となって隙間なく埋め尽くしている。

 感情を抑えるように拳に力が入る。行き場のない焦りを窓枠にぶつけようとしたが、その手は寸でのところで止まる。


「クソっ! やられた!!」


 代わりの怒声が部屋に響いた。

 コウは普段温厚で暴言等ほとんど吐いたことがない。慣れないことをしたせいか、心が晴れることはまったくなかった。むしろどことなく虚しさだけが残るなんとも後味の悪いものだ。


(こんなことをしても意味がない。)


 結局は不安を紛らわすだけのこと。迫る時間はコウを待ってはくれない。

 

「行かなきゃ。」


 どれだけ盤面が苦しくなろうとも後には引けない。

 コウは結界を分析するため外へかけ出だした。運命の二択から逃げるように……頭の片隅に置き去りにしながら。



ーーーー



 時刻は11時05分。

 マードック本邸の庭にて、美しき赤の乙女は優雅なひと時を過ごしていた。

 目の前の白石テーブルには色とりどりの茶菓子とガラス細工のティーポットが用意されており、子女には当たり前のような日常である。

 ほぼ日課ルーティンのようなもので、心に余裕を持たせるための貴重な時間。故に、ミシェルはこのひと時を大切にしていた。

 しかし、空は突然、茜色に支配されていく。


「やってくれましたね御父様。まったく芸のないことを。」


 庭の日傘元に紅茶を嗜む美女は、目の前の面白味のない行いに辛辣な評価を下した。

 特に険しいのはその表情。怒りと鬱憤が混じったかのように目尻は上がり、父譲りの顔つきへ変貌していた。


「そうまでしてコウ君を婿行きさせたいか…。不愉快だわ。」


 明らかに機嫌が悪い。

 静寂を愛するミシェルが、滅多に見せない好戦的な姿勢を示している。

 ミシェルにとってこれは予想外の事態…というより予想から除外した光景だった。

 カリウスは最高の結界師。家の周りに結界を張り巡らすなど朝飯前だろう。故に、コウを逃がすまいと本邸を覆うこともできる。

 しかし、ここで問題となるのが対象者だ。

 本邸全域に結界を展開すれば、コウを拘束すると同時に中にいるすべての人間を閉じ込める結果となってしまう。

 それはあまりにも芸がなく、華がない。合理的ではあるが、魔術の重鎮とも謳われた男がこの様とは。

 そしてなにより、魔力の消費が激しいことも問題だろう。

 カリウスはダンジョン都市の守護者。故に、いついかなる時も万全を維持することが当主たる者の務めでもあるのだ。


(ぶっ壊してるやる…。)


 だが仮に結界を展開しようものなら、魔術の研鑽と称して力づくにでも破壊してやればいいと、ミシェルは腕を回して活きこんでいたほどだ。

 

(いや! これはまさか!)


 しかし、事態はより険しい方へと傾き始めていた。

 その見事な魔力の壁を見上げていたミシェルの表情に雲がかかった。

 眼を凝らし橙色の空を見上げる。

 はっきりとした違和感に、すぐさま結界内に組み込まれた魔術式を解読。その完成度に比例して強度は一級品とみた。だがここまでは想像の範囲内だ。驚くべきはその性質にある。

 ミシェルはすぐさま最も近い西門に目を当てた。視界に映ったのは、ごく自然のように外を行き来するメイド達の姿だ。


「なるほど、流石は『境界者ルーラー』。吐き気がするほど素晴らしい出来前です。」


 ミシェルは不敵な笑みで、目障りな結界にヤジを飛ばした。

 気づいた違和感の正体。結界の内側から外側への移動は基本的に不可能とされている。当然、その反対も然り。だが例外もある。それは術者が対象者を結界の外へと排除しようとした時だ。要は人の選別、術者の許可があれば他者は外へ出ることが可能なのだ。

 かと言ってそう簡単なことではない。ミシェルが知る限りでは、実行に際し術式の変換と対象者の情報を編纂する必要があり、懲りてしまうほど面倒な作業なのだ。

 しかし、ごく平然とメイド達や積み荷、それに空を舞う鳥までもが出入りを可能としてる。

 ミシェルは六角形の結界へと興味深く足を運ばせ、手を伸ばす。本来であれば壁のように阻まれ外へ進むことはできないはずだが…。

 ミシェルの手は結界を

 境界線には何も感じない。それは光の線が張られているようなもので、人体には影響をもたらす気配すらない。

 つまりこの結界は…。

 ミシェルは血を分けた天才に対し、戦慄せずにはいられなかった。まさしく神業。おそらくこの結界はとした結界術だ。


(間違いない。これはコウ君一人を閉じ込める結界ということですか。)


 正真正銘、未発見の魔術。カリウスはまたも防御系魔術を一つ進化させてしまった。


「これはまずいですね。」


 関心しているのもつかぬ間に、ミシェルはある事に気づいてしまう。

 「まずい」の言葉は、コウだけを捕らえた結界に対してではない。ミシェルが恐れたのは、自分自身も結界に一切触れることができないことにあった。

 この結界はコウ以外の対象に一切の害をもたらさないものだ。結界側からの物理的、魔術的干渉がないことから、ミシェル側から干渉する術がない。

 つまりこの結界に触れることが出来るのはただ一人、コウだけなのだ。


「コウ君一人で結界の突破はありえない。」


 細い希望の光は大きな隔たりによって弱弱しくなっていく。おそらくコウの心は今、積み重なる理不尽な現実に押しつぶされそうになっているだろう。

 声をかけて手を貸してあげたい。磨きあげたこの力を存分に振るって、障害のすべてを氷漬けにしてやりたい。

 そんな衝動がミシェルに走った。

 コウはここまで数多の希望を失い、悲惨な運命を背負い続けた。

 もう十分だ。これ以上、コウから奪い続けるというのなら、誰であろうと許さない。たとえそれが神であれ、実の父親であったとしても阻むというなら……。

 ミシェルは思考を放棄する。

 理性を失い、吹雪のような魔力の渦が展開されてゆく。


「もう面倒ですね。」


 氷の魔女の周囲に霜が降り始めた。

 この季節には早すぎる冬の訪れ。

 凍てつく空気は冷たい風貌を作るが、ミシェルの中身は怒髪天を突く勢いで煮えたぎっていった。

 魔力は乱気流のように身体の中で暴れ狂い、その余波によって、存在するだけで空気に影響をもたらし、極寒の世界へと誘う。


「御父様なら解除は可能でしょう。凍傷になろうが、多少身体が欠けたって別に問題ないですよね。」


 瞳孔は開き、そこに容赦というものは存在しない。

 魔力の鼓動に反応した取り巻き達がうるさい。もうすべてが邪魔だ。何もかも氷像にしてくれる。


「神だろうが、父だろうが。どうでもいい。これ以上コウ君からは何も奪わせない。あの子の邪魔をする者は全員…。」


 悪意がミシェルを取り巻いたその時、ある声が胸の奥で囁いた。


 ミシェル。あなたはあの子達が安心できるようなお姉さんでいなさい。大丈夫、きっとなれますよ。だってあなたは私の娘ですから。

 

 それは大好きな母がくれた言葉だった。

 アランが、リアが、コウが。安心できるような姉であるには、どうするべきか。そんなことは、幼い頃のミシェルにはどうでもいいことだった。

 なぜなら考える必要がないから。

 母が私たちの傍にいてくれればいい。

 ミシェル達の日常は幸せで満たされていた。しかし、そんな日々は長くは続かない。

 生活からアリエルが消えた時のことは、よく覚えていない。それは嘆く悲しみを覆い隠すほどに、下の子達が泣いていたことを鮮明に記憶していたからだろう。

 アランは弱さを見せまいと必死に涙をこらえていた。

 リアは人目も知らず、ただ大声で泣きわめいていた。

 カリウスはどうしていたか…。君主として、父親として子供たちをただ抱きしめてくれた。

 そして忘れるはずもない、コウが見せたはち切れそうなあの表情。

 自分のせいで眠ってしまった母に罪悪感を重ね、きっと悲しむことすら許せずにいたのだろう。

 心の柱を失ったマードックに笑顔などなかった。

 このままでは家族の心が離れ離れになってしまう。ミシェルは荒んでいく日常のなかでそう直感した。

 お姉さんの私がどうにかしなければならない。私が皆の心の支えにならなければ。

 そのために必要なことは何か。自分がどうあるべきかを考えた。

 しかし、その答えは意外にも簡単だった。

 強くあろう、心も、身体も。母がそうであったように。

 自分がこのマードックを支える柱となろうと決意したミシェルは一変した。

 あながち何でも出来てしまう天才であったが、ミシェルが努力を惜しむことはなく、さらに勉学を重ねた。魔術に加え、王政学、地政学、心理学、言語学、観相学、経済学……。

 思いつく限り、あらゆる分野に手をのばした。全てはマードックの当主となるために。

 マードックの長となり、全てを一から作り変える。実力主義の風潮に歯止めをかけ、コウのような悲惨な若人がこれ以上生まれないようにする。

 ミシェルが真に見据えた「安心」とは、コウが再びこの家に帰ったとき、この家が安らぎとなれるような家を作る事。

 だからこそ、ミシェルはマードックの新たな未来のため、必ず自分が当主となると誓ったのだ。


(落ち着きなさい。ここで暴れては全てが御破産です。)


「こんな様では。私も未だ未熟ですね。」


 細氷はいつしか消え、冬は去って夏となる。

 従者たちは安堵の一息をつき、臨戦体制を解いた。

 ミシェルもまた、いつもの冷静さを取り戻し、腰を抜かした従者たちへ可憐な笑みを浮かべた。


「ごめんなさい。皆驚かせてしまいましたね。」


 従者からの返答はない。皆言葉を失っている。

 構っている時間はない。ミシェルは今一度椅子に座って打開策を練る。

 だが……。


「やはり、私にできることは何も…。」


 現状を打破できる資格を持つのはコウのみ。

 力になれる事など、ミシェルには皆無に等しく思えただろう。


「ミシェル様。」


 美女が悩む最中のことだ。

 奥の本邸からミシェルに近づいてくるメイドの姿が一つ。


「それは違いますよ。」

「シア。どうしてここに?」


 ミシェルの目の前に現れたのは、コウの監視についているはずのシアだった。

 シアがここにいるのは不自然で、その質問はごもっともだ。

 シアは己の服を掴んでは、メイド長に相応しい格式高いメイド服を存分に活かし、一礼をこなした。


「はい。どうやらご乱心のようでしたので。何事かと。」


 監視の任を置き、緊急で駆けつけてきた…ということだろうか。

 怒りの発露など慣れないことをしたせいだ。次期当主として冷静さを欠くなどあってはならない。


(これは反省ですね。)


「そうですか。気を遣わせてごめんなさい。あの…そんなに響いてましたか? 声とか。」

「いえ御声までは。ですが魔力の乱れは災害級かと。コウ様も驚いていらっしゃいました。」


(こんな時に何をしているんだ私は。これではコウ君を余計混乱させるだけだ。)


 肩を落とさずにいられない。そんな暇すら。今は無いというのに。

 ミシェルは自前の懐中時計を開いた。

 時刻は11時10分。


(正規の時間では間に合わない。でもこれで良いのですよね、シア?)


 水蛇から花畑となると、見積もって30分は必ずいる。


「ミシェル様。」

「ごめんなさい後にして。考え中よ。」

「では御言葉を返すようですが。」


 次期君主の言葉を遮ってまでシアは続けた。


「ミシェル様がすべきことは、コウ様を信じることではないのですか。」


 ミシェルから表情が抜け落ちていく。

 その通りだ。乗り越えることを信じて待つ。今できることはそれしかない。

 応援する者が無理だと決めつけてどうする。

 コウを信じてメッセージを残したように。ミシェルがすべきことは何も変わらない。


「そうね。その通りだわ。ありがとうシア。」

「いえ。ミシェル様には私の我儘を聞いていただきましたので。」


(我儘か…。)


 その意味を知っているからこそミシェルは言葉を失ってしまう。

 覚悟の決まったエルフの相貌はなんとも美しく、そして儚いものだった。

 忠誠や誇りを重んじる種族だと理解している。だからこそ、この裏切りには相応の覚悟が必要だとわかっている。

 きっと、シアなりの大義があったのだろう。それは昨晩の提案を聞いた時に感じとれた。

 

「きっとこれが私の最後の仕事になるでしょうから。」


 その言葉に嘘偽りはない。だからこそ、引き止めたりはしなかった。固く決意した者に対して、それはあまりにも無粋だ。

 

「わかりました。では尚更コウ君を信じなければなりませんね。」

「はい。コウ様は魔術が使え無くとも、私が認めた弟子の一人なのですから。きっと大丈夫ですよ。」


 必ずあの子ならこの壁を打ち抜いていけるだろうと、二人はコウへ願いを託す。

 

「さあ! ならば私も覚悟を決めるとしましょう。裏切りの魔女として、最高の姉を演じてみせましょうか。」


 ミシェルは両頬を叩いて気合を入れる。

 最愛の弟のために。

 これまで尽くしてくれたシアのために。

 ミシェルもまたシアの提案を受け入れ、また自身も裏切りの魔女となることを決めたのだった。

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