第10話 先手

 ここはマードック本邸、当主の間へと続く廊下。

 王城の一間を切り抜いたかのような圧倒無比と金糸と赤を基調とした長絨毯が敷かれている。当主の威厳に相応しい高級品が取り揃えられた従者自慢の道だ。

 あえて灯りは壁の魔石のみで、ある一定の明かるさに自動で調整されるよう細工されており、エルレリアの職人芸が垣間見える。

 そんな廊下の端に一人、上質なメイド服を纏う黒髪の女が当主の間に足を運んでいる。

 存在すら感じさせぬ凪の暗脚と敵を捕らえる蛇睨みの眼光を携えながらも、その風貌はいたって美しく。口元のホクロが妙に魅力的で興味を唆る。

 ティーセットを片手に、門の如く重々しい両扉の前で、メイドはノックの力加減にすら注意を払う。


「クレアか。」


 部屋越しから威の低音が聴こえ、メイドは動きを止めた。

 足音も立たず忍び寄ったものの、その存在が誰であるかすら、我が当主は見抜いていた。

 メイドの感慨深く壁越しに俯く姿勢から、当主への敬意と忠誠が滲み、カリウスの明察に潔く答えた。


「はい。クレアでございます。紅茶をお持ちしました。」

「…そうか。入れ。」


 クレアは早々に握りへ手をやるが、ハッと髪を気にしだした。

 副メイド長として、当主の前で不相応な身なりは失態だ。決して他意はない。

 東和特有の艶のある黒髪に手櫛を通し、パッツリの前髪を一筋横に流す。

 変ではないだろうか。髪型は似合っているだろうか。カリウス様はどう思われるだろうか。

 決して他意はない。決して…。

 

「失礼致します。」


 その間わずか数秒。緩んだ頬を無にし、クレアは正面を向く。

 座するは今代最高の魔術師と謳われる異名保持者ライズホルダーが一人、『境界者ルーラー』だ。

 帝都・王国で爵位を持ち、このエルレリアを結界にて守する者。その実力は両国の魔法騎士団に引けを取らず、この地の内政に帝国が関与できないのは、カリウスの存在こそのものだ。

 しかし、全てを運営しているわけではない。あくまでカリウスは魔術師であり、探求者である。その他は所詮、二の次なのだ。

 どうやら、今夜は書類を手に取られているご様子。それが魔術の研究なのか、それとも御仕事であるのかなど、クレアには関係のないこと。副メイド長として、命じられるがままに任務を遂行するのみ。

 クレアは芸術の曲線を描きながら紅茶を注ぎ、断りをいれてカップを差し出した。

 カリウスは茶葉の匂いで鼻を唆らせ、次に味を嗜む。

 優雅な貴人とはまさにこのこと。

 不敬ながら、クレアは横目でチラチラとその姿を見ていた。

 何度も言うが、断じて他意はない。

 これは話を切り出すタイミングを伺っているだけのこと。カッコよくて、イケメンで、ハンサムで、目の抱擁になるからとか、邪な感情は一切ない。

 カリウスはカップを置くと後ろに控えている珍しく興奮気味のメイドに声をかけた。


「いつもながら素晴らしい味だ。」

「光栄でございます。カリウス様。」


 お褒めの言葉にクレアは無表情を装った。

 内心は飛び跳ねたいとこだが、爪を食い込ませ、ガッツポーズを押し殺す。

 カリウスは一息ついた後、書類を引き出しにしまった。

 どうやら、今夜の御仕事はこれで終了とするようだ。

 長時間、部屋に篭っていたようで少々疲れ気味なのか。眠気もあいまって、目がおっとりと弛み始めていた。

 だがカリウスは疲れをグッと抑えては、再び鷹のように目をつり上げる。

 そして、次の本題へと移った。


「それで、例の件は?」


 例の件。クレアはその件を伝えに馳せ参じたのだ。

 クレアもまた、副メイド長としての顔つきとなり、淡々とその旨を告げた。


「ご報告いたします。ミシェル様とリア様が何やら企んでいる模様。監視の途中、魔法による妨害を受けました。」


 クレアは悪びれもなく、耳を澄ませていたことを主人の前で明かす。

 それはつい先程のこと。ミシェルとリアの会話を盗聴していたクレアは突如耳が裂けるような痛みに見舞われた。急激な波長の変化による魔術的干渉によるものだ。

 しかし、それが意味することはコウの家出に助力することだろう。つまり当主カリウスへの反抗である。

 しかし、当主の顔色はクレアの予想とは違うものだった。

 その報告にカリウスは平然としており、いたって冷静だ。


「そうか…。」


 クレアの耳にその一言だけが強く響いた。

 どこか心に針を通された感覚を覚えながらも、クレアは疑問を口にする。


「沙汰を下さなくてよいのですか?」

「よい。あの子らは優しい。元よりコウの味方をするとわかっていた。」


 優しい…か。我が当主らしくない言葉だ。しかし、それが貴方様の御心とあらば…。

 クレアがそれ以上、言葉を続けることはなかった。


「次だ。我が息子はどうだ?」

「はい。おそらくコウ様がたたれるのは明日になるかと。どうやら此方の情報が漏れているようで。」


 カリウスの嘆息を聞き漏らすことなく、クレアはもう一杯の紅茶を注ぐ。

 気を落ち着かせるため、カリウスは口に運ぶも、顔にはハッキリと不満が浮かんでいた。


「あの愚息め。どこまでも親心の解らぬやつよ。」

「心中お察し致します。従者一同、必ずやコウ様をお止めしてみせます。」


 コウが家を出るなら今がベストだ。なにせ相手には時間がない。

 クレアは片手を胸に、当主に首を差し出した。

 最大限の敬意とは、すなわち任務を完璧に遂行することだ。


「多少乱暴になっても構わん。連れ戻せ。あの子は外に出してはならんのだ。」

「かしこまりました。」


 クレアは膝付き様に輪郭を上げる。

 多少の怪我は許容範囲で済ませることができ、コウ様は魔法を使えない。暴れられてはどうしようかと考えていたが…。

 クレアからその心配とリスクがなくなる。

 任務の遂行は確実だろう。


「ならば、私も結界の準備を急ぐとしよう。今日は徹夜になりそうだ。」

「過度な仕事は御身体に障ります。明日のことは我々に任せて頂ければなにも心配は御座いません。」


 カリウスは少し頬をあげ、窓際に立つ。

 どこか機嫌の良さげな当主の顔が、妙にクレアの中で印象に残った。


「クレアよ。これは仕事などではない。」

「と、言いますと?」


 今夜のカリウスは柄にもなく口が回る。

 重々しく立ち上がると、窓際から星空の夜を仰ぎながら、カリウスはその御心を晒した。


「これは家族の問題。言うなればサービスというやつだ。我が子の我儘に付き合うのは、親の役目であろう。」


 それは当主の一面を脱いだカリウスの姿。言葉では表せない親心が表情に浮き出ている。

 その様は月光を浴びた紳士の佇まいは有名な絵画のように。

 クレアには少々、刺激が強すぎたのか。左側の頬が吊り上がってしまっている。


「報告は以上か? …どうしたクレア?」


(報告…報告……。!!)


 その言葉にクレアはここが夢の中でないと意識が戻った。夢と現実の二面を使い分け、冷や水を浴びたように心の熱を冷ましていく。


「し、失礼しました。」

「よい。お前も心労が絶えんな。疲れているのだろう。一連が済み次第、休暇を出そう。」


 休暇と聞き、誰もが心身を休めると喜ぶのだろうが、ここにいる副メイド長はその逆の反応を示していた。

 

「はい…。休暇、ですか。」


(そんな…。休みをとってしまえば、毎日カリウス様の顔を…。)


 それは拷問前の兵士の顔つきで…。

 あのカリウスでさえ、困り顔を浮かべる始末である。


「不服か?」

「あ…いえ。謹んで頂戴致します。」

 

 オホン、とわざとらしく咳払いを入れ、クレアは再び気を引き締め直した。

 

「では最後の報告を。」


 これが事実なら、あのいけ好かないエルフをメイド長から引きずり落とせる。

 クレアは静かに不敵な笑みを浮かべた。

 

「メイド長シアに裏切りの可能性が御座います。」


 家出が進行する背後で、裏の思惑が動き出す。

 夜の帷は覆いかぶさるように、笑みを浮かべた策士の闇を広げていた。

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