僕と『 』の魔術戦戰 

甘党の翁

一章 家出編

第1話 決意

「御父様…。それでも僕は魔術師になりたい。」


 それがコウの切なる願いだった。幼少より憧れた魔法の数々、不可能を知らない魔術師に目を輝かせた日々。そうして少年は満を持して家族に打ち明けたのだ。

 口論からかれこれ三十分は過ぎただろう。白のテーブルクロスに結露の染みができている。

 父とこうして面と向かって口論するのは初めてであり、コウにとっては華々しい反抗期デビュー戦であったが、すでに敗色濃いものになりそうで…。

 これまで一切の表情を変えることのなかった父、カリウス・マードックの悠然とした顔立ちに曇がかかり、顔色を疑っていたコウはすぐさま目線をそらす。

 怖い、怖すぎる。すでに若干涙目になりながら、コウは後悔の跡を顔になぞらずにはいられなかった。


「あかんもうダメや。お前さっきから馬鹿すぎやろ。」


 勇気に称賛の声は上がらず。代わりに聞きなれた兄の高笑いが張り詰めた空気を切った。

 ついには腹を抱えて笑われる始末だ。

 

「黙りなさいアラン。コウは少なくともあなたより真剣です。分をわきまえないのなら今すぐ退室しなさい。」


 場の規律を正そうと姉のミシェルは冷静な叱責を飛ばしたが、どうやら逆効果のようだ。

 先ほどまでの愉快な顔色は険しくなり、不満の発散はテーブルへ。アランの蹴りでテーブルの食器は音を立て、必然と気まずい空気が訪れた。


「分わきまえるって。は? なんで俺がこいつに縛られなあかんねんボケカス。」


 案の定、火に油を注ぐ形となり場は荒れ始める。ついには話し合いの場は二人に乗っ取られる様だ。

 攻撃的な姿勢を崩さないアランに対し冷静沈着のミシェル。両者は帝国を代表する魔術師であり、まごうことなき強者だ。

 アランは帝都魔術騎士団に所属し、魔獣戦線を何度も超えてきた現役の異名保持者ライズホルダー。ミシェルは王位直属の護衛を務め、王国最強の声も上がるほどの実力者であり当然こちらも異名保持者ライズホルダー

 両名の衝突は即ち、今世最強の家族喧嘩となるところだが……。


「ア、アラン兄様。ミシェル姉様。どうかここは抑えてください。」

 

 一触即発に仲介を入れたのは可愛らしい救世主だった。

 コウの妹であるリアはムッとした表情で立ち上がると、舐められまいと胸を張る。がしかし、成熟とは程遠い未発達なもので正直可愛いの一言に尽きる。

 

「まあリアちゃんがそこまで言うなら。」

「そう…ですね。私も大人げなかった。」


 リアの可愛らしい振る舞いはどうやら効果覿面のようだ。

 水を差されたが二人の態度は意外にも甘いもので、愛くるしいリアにアランは猫を撫でるように頬を緩ませ、ミシェルも御淑やかな笑みを浮かべる。

 そうして食卓には、一旦の平静が訪れた。

熱りにもう飽きたのか、アランは「あ〜笑った笑った。」と口にしながら伸びをする。


「そやな~おもろいもんも見れたし。俺はこのへんでお暇させてもらおかな〜。」


 そう言ったアランは大袈裟に腰を持ち上げた。

 「ではこれで。」と簡単にカリウスに会釈した後、後ろの扉が音を立てて開く。

 

「あ、そうや。これだけは言っとくけど」


 早くどこかへ行ってくれと…。そんなコウの期待も虚しく、アランはコウの背後で足を止め、肩に手を伸ばした。

 嫌でも伝わってくる熱と不必要な加重が肩に乗せられ、同時にアランのメッセージが自分へのものだとコウは理解した。


「俺は反対な。というか論外やろ。」


 アランは強い。戦士としても、魔術師としても、すでに一人前以上の存在だ。だからこそ、

自身の憧れである存在が発した「論外」という辛辣な言葉は、傷つけられる以上のものをコウに与えた。


「術式もない、幼稚な魔術すら使えん。お前に何が出来んねん? お前ほんまに家の血引いとるんか? ああすまんなぁ〜。悪口とかやないで。ただこれが現実なだけ。」


 名家ながら術式を持たずに産まれ、自己構築術式、通称基本魔術すらも発動しない。もちろん、必死に努力したし、勉学も人一倍励んだ。しかし、その一切が報われることなく散っていく。

 理解しているはずなのに、いざ面と向かって言われると胸にどうしようもない痛みが走る。

 コウは只、項垂れるだけだった。


「半歩譲って騎士にでもなるんやったらええと思うよ。でもさっきから聞いてればなんや。魔術師になりたい? 笑わさんといてくれや。もし家名に泥塗るようやったらお前…潰すで?」


 反論はなかった。言い返すこともせず、反抗することもない。ありのままの事実に項垂れるだけの弟がアランの目にどう映ったのか。

 徐々にコウの肩から熱が食い込んでくる。時期に熱は痛みへと変わり、常人では考えられないほどの万力が肉と骨を抉ってくる。

 それはアランの脅しが偽物でなく、その瞳に映したのが本物の敵意であったことを証明していた。


「っつ…」


 兄の容赦のない握力は鈍い声とともにコウの顔を歪ませる。

 自分は兄に反抗する権利がない。それがこの数年間でできた兄との溝。だからこそ、コウは歯を食い縛る事しかできない。


「アラン。」

 

 自身の名前を呼ばれたわけでもない。だが痛みの最中、コウはその極寒の低音に身体の芯を凍てつかされる。

 優しいミシェルからは想像もつかないほどの冷たい呼び声。その表裏にあるのが怒りであったことを幼少の記憶より悟った。

 細氷の導はアランへ。ミシェルの細い指先に真冬の霜が降り、その魔術の鼓動を感じさせる。外は真夏だというのに不自然な冷気が肌を撫で、コップの端で滴り落ちるはずの結露は動きを止める。白く染まった銀食器がカタカタと一斉に震えだす頃には、食卓は真っ白に染まっていた。


「うっざ。何やねん。」


 負けじと眦を寄せるアラン。

 どちらも引かない状況にコウは動揺を隠せず、時間がギュッと短縮され一秒を小刻みにしたような不思議な感覚をコウは味わう。


「…その手をどけなさい。」

「ブラコンが。どかんかったらなんやねん。」


 アランの高圧的な態度は変わらず。対して、今度は引かないミシェルも徐々に魔力を荒げ、何者をも凍てつかすかのような眼光を飛ばす。


「それ以上は…。貴方でも容赦しません。」

「だからそれが何やねん雑魚。じゃあどうなるか教えてみろや。」


 もうここまでくると、リアですらも止めることはできない。

 煽り散らすアランへ向けた冷徹なミシェルの表情。コウは只唖然とその決着を待つことしかできずない。そして、両者のいがみ合いが限界に達し、各々が戦闘態勢へと移るその時だった。


「アラン。自室へ戻っていなさい。」


 たった一人の存在によって放たれた威圧がその場を支配した。

 ただ一言、今まで口を閉ざしていたカリウスが二人に停戦を命じたことによって、両雄は矛を収める。

 暴走するアランを止めるためにはどうすればいいかと、真剣に考えていたコウが馬鹿馬鹿しくなるほどに、当主の言葉は重かったのだ。


 直後、後ろでとらえた舌打ちだけが耳に残響し、振り返ればそこにいるはずの兄の姿はどこにもない。ただいつしか、だらしなく両開きとなった揺れる扉が、一抹の猶予をもたらしたことを物語っていた。

 これでようやく場は整った。

 この機会を逃せば次はないと。そんな覚悟のもと、コウは再び父へと向き合い、カリウスの細い眼の威圧に耐えながらも、臆さず拳を握り締めた。

 そしてまたカリウスも同じく。一向に退かない息子を見て何を思ったのか。頬杖に乗せた体を起こし、カリウスもまたひそかに拳を固めたのだった。


「決して…。退かないのだな。」


 その問いはとても簡単で。

 今までずっと、皆の顔を窺いながらコウは言葉を選んできたが、その答えだけは自然と「はい。」とだけ口から溢れ出る。

 そんなコウに「そうか…」とだけ言い、カリウスは静かに目を閉じた。

 今までにない父の姿にリアとミシェルは佇み、長年この本邸で務めてきたシアも部屋の片隅で当主の御心を静かに待つ。

 コウは太ももまで垂れた純白のテーブルクロスをただ呆然と眺め、カリウスの深いため息の後、親子は息を合わせるように再びその眼を合わせた。


「コウよ、つい先日のことだ。お前とマンシュリー嬢との婚約が決まった。」

「はっ…へぇ???」

「お、お父様!! そんな。いつの間に!!」

「コウ君が……。こん…やく。」


 驚きのあまりコウの顔から表情が抜け落ちる。頭の中が一瞬真っ白になり、反論の余地もなく語彙力が崩壊した。それは姉妹達も同じで、リアは驚きのあまり言及することすらままならず、かというミシェルは婚約の意味さえもまだ頭で消化できていないようだった。


「荷物はメイド達にまとめさせている。向かいの馬車もすでに手配済みだ。」

「えっと……。あの、待っ……。」


(荷物まとめるってどういう。それに向かいの馬車って。)


頭の整理も追いつかないまま、カリウスは事務報告のように淡々と告げていく。

 

「コウ・マードック。当主の名においてエステリア家への滞在を命ずる。何せ急なこと。すぐに結婚とはいかないだろう。」

「あの…だから」

「披露宴の日取りは予定済みだ。後は正式な帝国、王国での式と婚姻の成立を。」


(家を出る? どこに…? エステリア家?)


 急に他家への滞在を命じられ、知らぬ間に婚約が交わされている。こんな状況に誰が混乱せずにいられるものかと、気づけばコウは本邸に響き渡るほど声をあげていた。


「ちょっと待ってくださいよ!!」


 コウはテーブルを叩き、大声で半ば強引に父を止める。

 混乱の最中、一点だけ即座に浮かんだ疑問があった。

 婚約することで得られるものは安泰な人生に何不自由ない生活だ。それ相応の地位も約束される。しかし、それはある一つを犠牲にすることだと気づいてしまった。

 それはコウの魔術師になるという願いとは違う道であることは明白であり、夢の終わりを意味していたのだ。

 

「どういうことですか。僕は何も婚約の話を聞いてませんし、まだする気もありません。僕には夢があるんです! お父様、僕は魔術師になりたい! 帝都魔術学校に行きたいんだ!」


 前のめりに肺の空気を出しきり、コウは思うがままに気持ちのすべて吐き出した。考えることを放棄しその旨を伝える。


「コウ。何が不満なのだ。」

「…は?」


 息を荒げるコウに対して、カリウスの態度はいたって冷静。ティーカップを持ち上げ、優雅に一口つけると、次は刺すような切れ目へと変貌する。


「婚姻を交わせば、貴族の地位も授かり、将来も約束されよう。帝都と王都を結ぶエステリア家は有望そのものではないか。中立都市として街は栄え、我々と血を結ぶことで英雄が生まれるのだ。いずれ両国は喉から手が出る程欲することとなる。それとも婚約者か? マンシュリー嬢は先祖返りの血、一見したが術式は見事なものだったぞ? 素質は本物、足りないのは魔力因子のみ。お前と子を成せば名家に引けを取らない優秀な子が生まれるだろう。それに容姿も見目麗しい才女だ。一体、何が不満なのだ?」

「不満だとか、そういうのではありません。僕は魔術師になりたいんです。婚約なんて僕にはまだ…。」

「そ、そうです御父様! もう少しコウ兄様の声も聞いてあげてくだ…。」

「ならんっ!!!」


 突如、殴りつける怒号が響き渡った。声に乗った圧がコウを正面から押さえつけ、その余波で食器は微細に揺れる。味方サイドのリアも父の尖り声を初めて目の当たりにし、思わず固唾を飲んだ。

 

「前提をはき違えるな。マードックは魔術の名門。代々伝わる魔術因子と血統をもって今に至る。故に、血筋が成すことはその研鑽と継承。術を持つ者は研鑽し、才のない者は継承する。その跡に続いてきたのが揺るぎない爵位の座だ。」


 そう。カリウスの言こそが名家マードックが繋げてきた事の全て。

 世界より祝福を受けた術式をもって生まれてくる者、又は秀でた才能を有する者には研鑽を。そうでない者は後世にその血統を繋げる。

 これこそがマードックに生まれた者の責務であると、カリウスは説き伏せるようにコウへ言葉を並べた。


「コウよ。父には分からぬのだ。何が不満だ? 本家の血筋でありながら術を扱えないお前が、継承という名誉を授かることの一体何が不満だというのだ?」

 

 ようやく父が築いた魔術師という像を垣間見た。

 思想の違い、概念のずれ、感情の優劣、ずれあう親子の溝は計り知れず。

 ついに諦めに似た感情がうずまき、分かり合えないと頭の片隅で納得しかけていた。

 それはまた、首を傾げる紳士も同じであった。コウの不満は承知の上だが理解できず、共感できない。それは魔術師の家に生まれた者はそうあるべきだという思想に基づくものあり、カリウスは士来りに準じたに過ぎなかった。

 

「もうお前が魔術に励む必要も、自身の失望に胸を抑えることもないのだ。」


 魔術に励む必要なし。それは偏にマードックの人間としての、否、魔術師を志す者としての終わりに等しい。

 その事実を淡々と告げられ立ち竦むことしかできないコウヘ、カリウスは最後のとどめの言葉を持って心をへし折った。


「私はもう…お前に。」


 その言葉に、今までにない虚無感がコウの心を喰らい、涙を流すことすらも忘れさせた。


「マードックに生まれたものとして役目を果たせ。子を孕ませ、その血統を次代に繋げよ。私の期待はそこにある。これが父の最後の願いだ。」


 ここに自由はなく、血の呪縛はこの姓にあり続ける。それがマードックに生まれた力なき者の行く末なのだ。

 泣き崩れたい衝動と渇きが胸を締め付け、今まで積んできた時間が音もなく崩れおちる。先にある人生がゴールの光を指さない暗いものへと変わり、絶望だけがコウを包んだ。

 もういいのかもしれない。これ以上傷つかなくても。ここであきらめても。いいのかもしれない。

 コウは静かに瞼を下ろす。暗闇の中、差し伸べられる手、ここで終わらせるように、救われるように、手を伸ばす。

 

 いいコウ君。家のためじゃない、国のためじゃない、世界のためじゃない、あなたは人のための、優しい魔術師になりなさい。


 忘れかけていたその言葉が心のどこかにあった。いつも勇気づけ、励まし、消えかけた火に力を吹き込んでくれる。

 それがコウの原動力。眠り続ける母との唯一の約束だった。


「わかりました。では御父様……。」


 だからこそ、この言葉がすんなり口にすることが出来たのだろう。コウはカリウスの眼を合わせて決意を口にする。


「僕は家を出ます。」


 そうしてコウは姓を捨てる覚悟を決めた。

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