第29話 『 』
「お前は誰だ。」
苦しみに顔を歪めたコウに下された不可思議な問い。未だ状況の整理すら痛みのせいでままならないというのに、死神はその猶予すら与えなかった。
「は……?」
何を言っているんだこんな時に。
声色に苛立ちを滲ませたコウ。今は考える余裕すらないというのに。
失われていく体力は徐々に片膝を地面へと落としていく。
「安心してください。此処には誰もいない。そのために選んだ。」
死神のような極寒音で淡々と告げるシアだったが、コウは全くその意味を理解できなかった。
今までコウは多くの組み手をシアと交わしてきた。だからこそ分かる。確実なのは、剥き出しとなった本物の敵意がその瞳に宿っていることだけだった。
「それともまだ確証が必要ですか。」
「まてよ……なぁ……。」
「望むのなら結界も展開しましょう。既に用意はできています。」
「だから……さっきから。」
「それでもまだ足りな…。」
「何っ! 言ってんだよぉ!!」
だがそれはコウも同じ事。
シアの言葉など何一つ届かない、否、どうでもいいとばかりに憤慨する感情を優先させた。
煮える刺し傷はいつしか怒髪天へと変わり、コウの不満はついに爆発する。
「……どういうことですか。」
異常なまでの発汗。肺は忙しなく呼吸を荒げるが、コウは全てを無視する
揺れる視界の中で、既に木偶となりかけた脚を動かし、シアへと近づいた。
「なんっで!! なんでですかシアさん!」
徐に伸びた血まみれの手は、シアの胸倉を掴み感情のままに叩く。
まさか裏切られたのか。これまでの全ては、一体何だったのか。
真実は分からない。だが怒りとともに嘆く悲しみは涙となってコウの頬を伝った。
だがその声はもう……エルフには届かない。
「質問に答えなさい。」
激情に駆られる少年へただ一言。シアは突き放すだけだった。
「またそれですか。」
繰り返される同じ質問に意味が分からず、コウはもうおかしくなりそうだった。
「酷すぎますよ……シアさん。正直に言えばいいじゃないですか。全部最初から命じられていたんでしょ!御父様にっ!!」
裏切られた。
そう……全ては都合のいい介錯だった。
シアは力を貸すことはできないと自身で告げていた。勝手に希望を抱いて、勝手に信じ込んでしまっただけだ。
だからこそやるせない。この怒りが本当に正しいものなのか。それすらも分からず、ただコウは吠えて顔を沈ませることしかできなかった。
「残念ですが違いますよ。」
(……は?)
では一体……何のために?
身体が痛い。心が苦しい。
狂騒に駆られるなか、コウは真意を問うべくして見上げた。だがそこにいたのは、
「全ては私の独断です。」
残酷を告げる死神の姿だった。
直後……。
「っ!!」
エルフの細腕からは想像もつかないほどの拳が、コウの溝内を抉った。
「かはぁっ。」
身体を抱え込み、血が混じった胃液とともに強制排出される肺の空気。鍛え上げた腹筋を貫き、肺を鷲掴みされたかと錯覚してしまうほどの痛みを味あわされた。
「あまり手荒な真似はしたくないのですが。」
蹲るコウへ。容赦ない蹴りが額に直撃し、仰向けに地面へとはっ倒される。
背中から伝う衝撃は、穴の開いた横腹から生々しい血が流れ出させる。
だが命の瀬戸際に立たされたコウを前にしても、シアが止まることはない。
「さあ続きです。死にたくなければ、潔く答えることをお勧めします。」
倒れた少年を見下すように跨ったシアは、踏みつけんばかりに片足を上げ、コウの腹部を捉える。
(え……嘘だろ……やめろ。)
シアの靴底が視界に入ったその時、コウの頭は、恐怖の妄想に支配された。
「いやだ……やめて……ください。」
情けなく顔を震わせがら、敗走を試みるも身体は一切の余力を残していない。何より、目前の死神は、死にかけの得物を逃したりはしない。
(あぁ……これ死ぬ。)
故に、死を与えることも必定であった。
「お前は何なんだ。コウ・マードック!」
冷酷な声が耳の奥で残響した。
そして、シアは赤く染まるシャツに目掛け、その足で裂傷を抉った。
その日、コウは初めて喉が潰れほど叫んだ。
視界はモノクロに暗転し、身体はのたうち回り、頭が割れるような痛みの限界を、死にたいと思うほど味わった。
暗い海底の底に落ちる感覚に包まれ、コウの眼は徐々に光を失っていく。
頭に過ったのは紛れもない『死』だった。
だが……死神はそう簡単に死なせてはくれはしない。目的を達成するまでは。
「---!……がっ---はぁはぁっ。」
気が遠くなるほどの時間が終え、ゆっくりと脚の荷重が解けていくとともに、コウはやっとの思いで息を繋ぐ。
「何度も。死の縁へ立たせた。ですがどれだけ追い詰めようと、コウ様は生きて戻ってこられた。」
朦朧とする意識の中で、ただ一つ気づいたこと。
シアが語り掛けているものは自分でない。
「全てお前なんだろう?コウ様が……いや身体が死に直面した時、お前は顔を出す。」
あぁ……またあの時間が始まる。
だが抵抗する力など既になく、出来たのは獣のような呻き声を上げることだけだった。
「この程度では足りませんか? ですが悠長にしていれば、身体は持ちませんよ。続けましょうか。」
危篤の咆哮を上げさせる拷問が再び訪れた。
何度も何度も叫んで気を失いかけては、また叫び、また気を失う。
繰り返すこと七度。ついにコウの肌は色を失い、叫ぶことすらできなくなっていた。
「まだ喋りませんか。」
痺れを切らしたシアは、漆黒のナイフを顕現させ、虚う少年へ最後の矛先を向ける。
「…どう……して……。」
消え入りそうな命を振り絞ったコウ。
その姿に死神は何を重ねたのか。
「シアさん…ぼく…何か……しまし……たか。」
まるでノイズの走った壊れた音響のように掠れた理不尽への想い。
彩る花畑の中心でただ一点、この場所だけが不細工に紅く染まっていた。
「……きらいに……なった……ですか。」
霞がかっていく意識の園。
今際に立つ少年が残す最後を前に、この一瞬だけシアの殺意が鞘に収まる。
「……やっと……掴めそう…だった。」
コウは右腕で目元を隠しながら、悔しさに涙を滲ませた。
「……期待に……答えたかったんだ……。」
悶絶しそうな痛みの中で、ハッキリと浮かんだのは背中を押してくれた大切な人達。
「姉様……ごめんなさい。…背中を…押してくれたのに……。」
いつしか怒りを忘れ、コウの心は申し訳ない気持ちで埋め尽くされる。
せめての代わりと言わんばかりに、思いを言霊に変えていく。
きっと……それに意味はないのだろう。だがそうだとしても、その最後の瀬戸際まで忘れたくなかったのだ。
「リア……ごめん……あんなに……勇気を出してくれたのに。」
今頃、妹はどうなっているだろうか。
手を繋いでいなければ、外にすら出ることの出来なかったリアが、今日この日、自分を助けんと駆けつけてくれた。
その思いが。その温かさが。どれだけ励ましになったことか。
「ザック……イワン……エリナ……ミーゼ……御母様。……皆っ。」
未来を託してくれた者達。そしてその絆がコウの心をもう一度、最後の力を振り絞らせる。
「まだ……死ねない。」
消えかけた最後の灯が、死の暗闇を晴らす。
もう余力はどこにもない。喉は叫び、そして潰れ、血液は夥しいほどに失われている。
だが……。その全てを振り切り、コウは喉を振り絞った。
「まだっ……終われない。終わりたく……ながっだ!!」
これが最後の遺言となるだろう。
もう全て絞り出したと言うのに、何故涙は止まらないのだろうか。
痛みを感じる。だが感じない。
息をしている。だがその仕方すらも忘れてしまいそうだ。
感覚が鈍化し、命が鋭くなっていく。まるですべての矛盾の狭間にいるかのような不思議な感覚。
もう自分は終わるのだと、コウはそう自覚した。
「そうですか。」
ただそう一言。死神は……シアは言い残し、コウの懐へ腰を下ろす。
「アリエル。私はどうやら過ちを犯したのかもしれない。」
主でありながらも旧友であったアリエルへ最後の懺悔を残し、シアはもう一度刃を握る。
「大丈夫ですよ。コウ様。」
コウの額を伝い落ちる雫。狙うは心臓、必中にして必殺。
閉ざされていく光。落ちゆく瞼が映したのは、苦しみに喘ぐシアの顔だった。
「私もすぐ、そっちに行きますから。」
そして……漆黒の刃はコウの心臓へ振りおろされたのだった。
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弱いなぁ。お前は。
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「gっ……あっ……っ!!」
晴れ後曇り。本日雲行怪しく、乾いたアスパルトに斑点が浮かび始める。
「あがっ……ごうっ……ざmっ……」
天候の乱れはリアリス地方で珍しい事ではない。この地に腰を下ろした者は、常に空の機嫌を伺いながら一日の行動を決めるのだ。
「こ…う…さまっ………しっ……」
現在、午後0時30分。
夏風を歓迎した花は華々しく揺れ、滴り始めた天の恵みに喜々する。
「じにっ……だくない……っ……け」
アリエルの花園が世界一の花園と言われる理由は、多種多様な植物の共存が成り立ち、その栽培に成功したからだ。アリエルの加護、そして気候・温度を結界により制御することで、この花園は運営されている。
「たす……け……ア……ゼ……」
故に、少量の雨粒が結界に接触すると、内包された元素術式が発動し、辺りに適切な雨量が降り注ぐ仕組みとなっている。
「ーーご…めん………さい。」
此処にも……いつしか雨が降り始めた。
限られた者しかしらない約束の園で、降り頻る雫が静かに二人を隠し、虚しい救いの声は雨に溶け込んで誰も彼らを見つけはしない。
「……人殺しっ。」
血濡れた白髪の少年と見目麗しきエルフの少女は、互いの境界線が混ざるほどに、身体が繋がっている。
「お互い様だろ。」
少女は両腕は脚で抑え込まれ、首をへしらんとする少年の右腕が万力で締め付け、只喘ぐのみ。
「いい推理だった。これまでお疲れ様。」
もがき苦しんだその結末に、『 』は笑みを溢した。
「さよなら、名探偵。」
その時、鈍い音がした。
立ち上がった『 』は気の向くままに、雨粒の余韻に浸る。そしてそこに横たわる首の折れた死体へ。『 』はこう言い残した。
「あーあ。」
雨は未だ降り止まない。
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