第30話 契約
雨は降り止まない。やがて視界を遮るほどの驟雨となり、少年は望むように曇天の空を見上げる。
そして、足元に転がるガラクタに、微塵の感情もない凪の表情を落とす。
「どうだ、自分の死に際を見た感想は?」
まるで雨粒に問いかけるかのような違和感。少年はそこにいるだろう誰かにそう呟く。
「一言で、最悪でしたね。」
彩を失った灰色のような花園で、少年の前に姿を現したのは、先ほど死に至った在りうべからざる死神、シアの姿であった。
いつの間にか、首のへし折れたシアの身体は何処にもなく、ただそこにあった場所に黒い人型を残すだけ。
このような芸当は固有魔術、否、それ以上のものだろうと、少年は即座に理解する。
だがその無機質な顔色が変わることはない。まるで、それを知っていたかのように驚きはなかった。
「はじめまして、で宜しいのでしょうか。」
シアは奇妙な感覚に浸りながらも、十数年仕えたコウ・マードックの肉体を前に、再度改まった一礼を交わした。
「シア・ウィリアムズと申します。差し支えなければ、貴方の名前を窺っても?」
裾を摘み、丁寧に名乗り上げたシアだったが、少年はその全てがどうでも良いとばかりに、興味を示さない。ただ、一つを除いて。
「『ウィリアムズ』か。」
たったその一点のみ、少年の輪郭を歪める資格を持つ。
やはり……この者は『ウィリアムズ』を知っている。その事実がシアの顔に期待をさらに滲ませた。
「ええ。お察しの通りです。私は『ウィリアムズ』の血族。」
シアもまた、それが誇らしいと言わんばかりに、強者の如く顎を引いたのに対し、少年はその様を鬱陶しそうに見る。
「なるほど。どうりで強いわけだ。」
ただ少年はその強さをなまじに褒め称えるだけだった。
同時に、シアはこの少年の実力が、自身と違わないものであると解釈する。
「もっとお前に警戒すべきだった。マードックにおいて、一番の怪物はカリウスでも、ミシェルでも、アランでもない。」
薄ら笑いの末、まるでその失態程度、痛くもないと言わんばかりに、少年は自身の失態をさも楽しそうに並べ始る。
そして指差すように、その怪物の名を口にした。
「お前だろ、シア。どうしてお前のような怪物がヘコヘコと紛れ込んでいるか、不思議で仕方なかったよ。」
「怪物ですか。そうなる未来もあったかもしれませんね。」
怪物と、そう表現されたエルフの美女に、不服の文字は浮かばない。ただ自然のままにその事実を受け入れ、強者の風格を貫き、久方の武者震いに身を投じる。
「さて。お喋りはもう済んだか?」
「つれませんね。もう終わりですか。」
興じるのはもう終わりだと、少年はその死に体を再び奮いあげる。
「俺の姿を見た。俺の存在を知ってしまった。これ以上の説明が必要か?」
少年には禁忌に触れた者を生かす気は毛頭なく、腹の底で蠢くがままの殺意をその目で穿つ。
「続きを始めよう、ウィリアムズ。」
傲慢に告げられた開戦の火蓋。だがシアが応じるかはまた別の事。
「自惚れるな。その身体で私を討てるとでも。」
シアは臆する事なく、当然の事のように冷たい事実を突きつける。
何せ、今の少年の状態は見るからに重傷なのだ。戦いに常時る者ならば、誰もが臆する事なく勝ちに挑むだろう。
だがそんな状態であっても、少年が身を引く事はない。溢れんばかりの余裕と、今にも飛び掛かりそうな余力さえ感じさせるのだ。
「聞かなくても分かるだろ。やれば十中八九、俺が死ぬ。でもその代わり、」
誰もが愚かと罵るであろう、突然の敗北宣言だったが、シアはその異質さに身構えずにはいられなかった。
「冥土の土産に右腕と左足は貰う。例え俺の四肢が泣き別れてもな。」
シアは察した。目の前にいるのが、目的を殺す為なら、自身の命を顧みない常軌を逸する者であると。それは死を受け入れている者にのみ、培われる歪んだ選択だ。
その時、周囲を押し潰すほどに、殺意が膨れ上がるのを感じだ。
「話し合う気はありませんか?」
諦観に浸りながらも、シアは最後の悪足掻きを試みる。
「ない。俺は俺のために生きると決めた。その道を犯すものは誰であろうとも引きちぎる。」
「たとえそれが、貴方の命の終わりであっても?」
「ああ。言いなりの奴隷になるぐらいなら、死んだ方がマシだ。」
過去に何があったのか。
この少年が、コウ・マードックに巣喰う『 』が一体何を超えてきたのかは分からない。
だがこの少年は止まらないのだろう。既に殺意は解き放たれてしまった。
「そうですか。残念です。」
だからシアは、獣を目覚めさせてしまった罰を甘んじて受けることに決めた。
「ですが、最後に一つだけ言わせてほしい。」
もう止まれない。この切り札を切ってしまったが最後、停滞していた時間は進みだす。
(アゼル……。私は覚悟を決めました。)
そうして、シアはゆっくりとある者の名を口にした。
「ーーーー」
見開かれた瞳孔。そして、逆撫でられた過去の記憶。
『 』はただ、不快とばかりに殺意を忘れる程の怒りに焼かれ、眦を上げるだけだった。
「シア・ウィリアムズ。お前は一体、何者なんだ?」
怒りの琴線に触れたエルフに容赦はなく、無機質だった『 』からは、想像もできないような、奮える声を剥き出したが……。
「私は何も成せなかった。何も恩を返せず……救えなかった間抜けなエルフです。」
過去の悔恨を口にしたエルフ。
いつしか怒りは失せ、儚さに満ちた顔を、少年はただ目に焼き付けるだけだった。
「貴方は私の最後の希望であってください。」
そう言って、星に願う一人の少女のように、シアはその瞳に涙を滲ませる。
そして、少女の手は差し伸べられたのだった。
「さあ。『契約』を交わしましょう。」
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