第28話 お前は誰だ。
ついに約束の花園へと辿り着いたコウ。
やはりコウを待ち望んでいたのは、メイド長のシアだった。
「やっぱり。シアさんだったんですね。」
「ええ。年長者をあまり待たせるものではありませんよ。」
茶化すように投げ返したシアは、何処か嬉しげで……先程までの攻防が嘘かと思えるほど此処は静かだ。暖かい風が花々を通り抜け、色とりどりの花弁が緩やかに動いている。
以前、体は痛み軋んでいる。
だがこの一時のみ、コウは力を抜いて安堵することが出来たのだった。
「手厳しいな。これでもずっと走りっぱなしだったんですよ。」
コウの足は必然の如く、シアの方へと進んでいた。
何せ聞きたいことが山ほどあるのだ。
何故メッセージを残してまで、シアはこの場所に呼んだのか。
コウは花園へ向かうと決めたその瞬間から、汽車へ乗り込む選択など、とうに捨てている。
つまりこの家出を成功させる最後の切り札とは、コウにとってはシアの存在なのだ。
「一つ聞いても宜しいですか?」
「どうぞ。」
「何故、此処に私がいると?」
「そんなの決まってるじゃないですか。シアさんは僕の監視につくはずだった。それなのに僕は今此処に立っている。」
「それはつまり……。私への褒め言葉ととっても?」
「そうなりますね。シアさんが本気なら、僕らがどんな手を使ったとしても、家から出ることはできなかった。」
ごく当然の事のように、コウは自身非力さは言葉にするが、全く持って不快ではなかった。
本当に相変わらずの姿勢の低さだ。
シアはそんな弱々しい弟子の態度と、傷だらけの身体を目に、まるで我が子が帰ってきたかのような熱いものが心に湧き上がった。
「なるほど。全て私のさじ加減に賭けたと。」
「正直……悔しいですけどね。この家出はシアさんが動かないことを前提としなければ、何一つとして成り立たなかったので。」
此処に来る事ができたのは、間違いなくコウの背中を押してくれた者たちのおかげだ。
だがこの目の前にいるエルフが指先一つ動かそうものなら、全て始まってすらいない。それ程までにこのエルフは強いのだ。
故にコウは賭けるしかなかった。
シアがあわよくば、自身の背中を押す一人となってくれる事を。
当然、歯痒い気持ちになったのは言うまでもない。
「そこで花園に来るようにだなんてメッセージがくれば、誰だって期待しますよ。」
今にも臍を曲げそうな弟子に対し、シアは少し意地悪な気持ちが湧いた。
「ではコウ様を助けるも助けないも、私次第という事ですね。」
なんとも冗談にもならない怖いお一言だ。
だが夏風に揺られ、白銀のように輝く長い髪を押さえながらも、その隙間からは朗らな様相が伺える。
「それは流石に意地悪すぎませんか、先生。」
「何せ意地悪な事を沢山してきましたから。」
「まぁ……うん。氾濫した川に筏一つで放り込まれた時は本当に殺意が湧きましたよ。」
「あれは手が滑っただけです。本当は縄をくくりつける予定だったのですが。」
「……。」
いや氾濫した川に投げ入れのは決定してたのかと、あの日のトラウマに再び背筋を凍らせた。
「それに比べてどうでしたか。今回の家出は?」
そう言われてもどうだったろうか。改めて今まで乱戦を振り返ったコウ。
体の怪我の具合は言うまでもないが、死にかけた回数で言えば、今まででもかなり上位だろう。
「めっちゃしんどかった。何回か死にかけましたよ。」
「確かに。愚問でしたか。」
そう言って、シアの視線を辿れば、やはりこの使い物にならなくなった左手に行き着く。
「すみません。約束守れませんでした。」
怒られる事を覚悟で目線を下に落としたコウは、垂れ下がる色のない左腕を掴んだ。
「また無茶をしましたね。」
「……はい。」
「その脚。筋肉の筋が何本か切れています。それに内出血がひどい。」
「なんで分かるんですかほんと。」
「何年貴方を見てきたと思っているんですか。」
天晴れすぎる師匠を前に、コウは苦笑いをこぼしたが、シアは何処か浮かばない表情をしていた。
「本当に……。本当によく頑張りました。」
まだ及第点以下ですね。などと辛辣なお怒りの言葉が飛んでくると思っていたコウだったが、シアはゆっくりと此方へ手を伸ばし、痛々しい体を抱き寄せた。
「貴方は自慢の弟子ですよ。」
その状況が理解できず、コウは言葉を失った。
その代わりに、シアの腕に抱かれたコウの涙腺に、熱が込み上げるだけだった。
「だから……。」
師より初めて受けた抱擁。その気持ちに応える為、右手を回そうとしたその時だった。
「ごめんなさい。」
シアは切なく消え入りそうな声で囁いた。
「……シアさん?」
何故謝るのだろうか。意味もわからぬまま、その名を呼んでみるが返答はない。
「コウ様。何故だと思いますか。」
何故とは一体……。
その疑問を口にする前に、シアは淡々と告げる。
「私がメッセージに『ダレイン』を選んだのは。」
(ダレイン……? あれはミシェル姉様が残したんじゃ……。)
その時、コウは気づいてしまった。
抱いたその腕には心を伝うような情熱がなく、その声に後悔が滲んでいることに。
「コウ様。」
強く抱き寄せられ、シアの左腕のみが徐々に解けていく。
「私が……。」
区切られたその言葉の続き。
シアの左腕に見えた鋭利な漆黒。
逃すまいと抱き寄せたその理由。
コウはその時、最悪の結末が頭によぎった。
「『裏切りの魔女』なんですよ。」
直後、腹部に衝撃が走った。
なんだろう……。この熱は。
ただ熱に従うがまま、コウは数歩後ろにたじろぎ、反射的に左腹部に手を当てる。
……湿っている。何故?
理由を求めるように前を向いたコウ。
「……え?」
いつからだろう? 目の前のメイドが漆黒の刃を携えていたのは。
「……なんっ。で」
その刃先を伝う血に、導かれるようにしてコウは抑えていた自身の掌を見る。
点灯し始める視界。
早鐘を打つ心臓の鼓動。
煮えたぎる溶熱。
紅く染まり始めた白いシャツ。
その手はすでに……血に塗れていた。
「っ!!ーー!!?」
直後、気絶しそうなほどの痛みが電流の如くコウの体を襲った。
「あっーー!ー? がはぁ!?」
声にならない嗚咽を吐き散らしたコウは、胡乱とした安堵から突如元の世界に連れ戻された。
何故?
何が起こった!?
分からない。
怪我をした。
誰が? 誰を? 誰に??
まとまらない思考の中で、コウは確実に分かった事。それはこの痛みが命に手を掛けるものだと言う事だった。
「コウ様。いえ。貴方に一つ、聞きたいことがあります。」
痛みに顔を歪める少年に目もくれず、死神の形相を彷彿させる瞳孔を開いたメイドは、冷徹な喉声を鳴らした。
「お前は誰だ。」
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