第24話 天才

 敵を前にして身体が地に伏している。嗚咽交じりの汚い涎と、淑女失格の失禁を垂れ流しながら…。

 この状況を一言で例えるなら、敗北がお似合いだろう。

 右腕がおかしい、多分折れている。

 脇腹が痛い、おそらく防御魔術を突き破ってきた礫の投擲によるものだ。

 全身が動かない。おそらく腕を掴まれた時だろう。

 近距離において、私は何もかも凌駕された。到底受け入れ難い真実だ。内心、無能と罵り続け、嘲笑ってきたあの少年に手も足も出なかったのだから。

 築き上げた地位も、積み上げた誇りも、私の全てが崩れさっていく。

 始めは縫い繕わずにはいられなかった。屈辱的な現実に言い訳ばかりを並べて、「もしあの時に」などという都合のいい言葉で自分を存分に擁護した。

 ……だがその全てが私の弱さを露呈する。

 

 思い出したくもない。

 コウ様は宣戦布告の後、姿を消した。

 あらゆる動きに敏感となる緊迫した空気のなか、私は突然空へ投げられた固形物に瞬きの意識を注いでしまった。

 それが罠とも知らずに。

 コウ様を見失ったのはその時だ。

 突如、私の研魔領域が身体を防御の型へと導いた。

「左腕を上げろ」ただそれだけの命令。だがその信号だけに、身体は只守れと全身全霊の反射をしてみせた。

 その瞬間、あり得ないほどの衝撃に見舞われ……。

 コウ様の蹴りが、私を易々と吹っ飛ばしていたのだ。

 途切れた断片的な情報の波に呑まれながら、人のいない大通りへと弾きだされ、背中を強く打ったのを覚えている。

 背中の強打に耐えながらも、やはり先決すべきは体勢の立て直し……だったが、同時に「回避せよ」と頭に命令が下る。

 閉じかけの瞼であったが、正面に映ったその姿だけは鮮明に覚えている。

 そこには鬼神の鉞の如き、踵落としが襲いかかっていた。

 間髪入れずに繰り出された攻撃に、脱兎の回避をしてみせるも、衝撃の走ったぐらつく大地では、当然体勢を戻すことは難しい。

 魔術式を編もうにも、身体との並行処理が間に合うはずもない。

 私が立ち直せた時、次手の投擲が待ち受けていた。

 豪速球の投石に対し、すぐさま術式に守りの改編を加えたが、間に合わないと諦めた。自己構築術式に切り替え、防御魔術を展開、だがこれも紙切れ同然に崩さった。

 横腹付近に煮えるような痛みが走り、顔面を歪ませた。

 悶え苦しむ私を置いて、ふと目線を前に戻した時、コウ様はすでにいない。

 探す暇もなく、後ろへ移動されてしまったのが最後、腕を掴まれたその時だった。


 私の身体に電流が走り、裁は下された。


 なぜ一人で挑んだ。術式の長所を活かさず、あの少年が無能であると思いこみ、実力をはかろうともしなかった。まさに怠慢だ。

 なぜ気づけなかった。彼の実力を。

 カリウス様の最高結界が破られた時、もっと私は注意すべきだった。

 彼もまたカリウス様の血を引く、紛れもない天才なのだ。コウ様は魔術が使えなくとも、ミシェル様譲りの計り知れない知識の組み立てと、アラン様に次ぐ戦闘の才能を秘める貴方だったのだ。

 彼はコウ・マードック、魔術師の名門に生まれた、いずれ彼の者達と肩を並べるであろう魔術師でない、一人の戦士なのだ。


 本当に烏滸がましかった。

 何という不敬。コウ様を否定することが、カリウス様の血を否定することと同じなのだと、ようやく気づいてしまった……。

 後悔するには……全てが遅すぎる。



ーーーーー



「辛そうですね。」


 そう言ったものの、目の前のクレアに、コウが手を差し伸べることはなかった。

 少々息が上がっているが、無理もないだろう。何せ久方ぶりの対人戦であるため、身体と脳が驚いている。


「あっ…あがっぁ…」


 クレアが上手く喋れないのは痙攣のせいだ。ビクビクと跳ね上がる腰や指先が、何度も立ちあがろうとする彼女の邪魔をしていた。

 それは偏に、膨大な魔力を身体に流し込んだからだ。

 自身と他者の魔力は拒絶しあう。それは言うまでもない事実だ。

 コウはただその事実を戦闘に活かしただけ。

 差し詰め『流魔戦術』と言ったところか。コウの莫大な魔力を勢い任せに、クレアの全身へ流してやった。当然、抵抗されたが魔力総量の暴力で無理やり押し込んでやった。

 魔力の濁流に呑まれたクレアはなす術もなく、一種の魔力中毒に陥ったのだ。

 

「まあ僕は悔い改めろなんて言いません。裁は下しました。後は御父様の裁量に任せます。」


 血走った眼で、クレアはそれでも行かせまいと、コウへと手を伸ばした。


「あっ。言い忘れてました。」


 気配に勘づいたのか、それとも本当に言い忘れていたのか。真意はわからない。 

 だがコウの反射的にみせた嫌悪の視線を気取り、クレアの腕は力無く落ちたのだった。


「そんなんだから、いつまで経ってもシアさんに届かないんですよ。精々負けた理由でも考えて、鍛錬に励むことですね。クレアメイド長様?」


 まだ戦いは終わっていない。

 地を這う乙女に少年は酷く冷たい皮肉を残して、コウは水蛇の地下水路へと向かうのだった。

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