第23話 逆鱗の末路
本日、エルレリアに爆音注意報が出ていただろうか。
まさか魔獣がこの街に?
それともどこぞの悪党らが侵入してきた?
疑って無理もない。鳴り止まぬ音の連鎖に、祭り騒ぎは民の悲鳴へと変わっていったのだから。
「止めろっ!! クレアー!ー!!」
混乱に溶け込んだ子供たちの叫びが聞こえるのだ。理性のない魔術によって壊されていくこの都。
もう見て見ぬ振りは出来ないと、ついにコウは怒りの声を上げた。
「ほら!! コウ様。貴方のせいでまた民は傷つきますよ!!」
「っ!? ふざけんな!!」
その姿が面白いとばかりに、クレアは狂ったように答えるが、全ては感情を揺らす策士の笑み。
感情任せに振り返ってしまったコウの隙をメイドは逃さず、すぐさま破壊の音をかき鳴らす。
「『
また……あの鈴が鳴った。
それは命を穿つ銃声ように。
街ゆく人は震え上がり、耳を塞ぐ者もいれば、頭を抱えその場で疼くまる者も。
皆の意識が恐怖に統一されるほど、街並みに瓦礫は散らばり、被害は拡大していた。
音の衝撃はよく広がる。耳心地の良い音色に無差別の破壊を乗せて。
この平和な日常は崩される。
「クソっ!!」
コウへ飛来する音撃は空気を震わせ、波紋のように空間へと広がる。
やや遅れて反応したコウは、全力で左へ回避するも一歩遅い。
「くっ!」
わずかな被弾でも効果は覿面。
確実に肉を抉ってくる音撃は、身体を硬直させ、着地の足を揺るがせた。
「『
術式による強化を巧みに操り、すかさずクレアは直接攻撃へと踏み込む。
「『
あの拳を受けてはいけないと、範囲数メートルに展開された研魔領域が、空気の異常な振動を察知する。
だが近距離戦はコウの十八番。若干体勢はマズいものの、この機会を逃すことはない。
(ーー間合い! ーー今!!)
身体を反らし、間一髪の回避。
直後、コウは不利な体勢からの浅いカウンターを放つが……。掠ったと同時に避けられる。
「……餓鬼が。」
まさかの反撃によろめいたメイド。
舌打ちと屈辱の視線を地面に吐き捨て、掠った頬傷を親指でなぞる。
(まさか反撃してくるとは。少し見誤りましたね。)
企みの潜んだ顔だ。
こちらに数歩下がって間合い越しにクレアと視線が重なったコウは、当然黙ってなどいられない。
街の惨劇と人々の悲鳴に背中を押されたコウは、感情のままに鼓膜を叩く。
「いい加減にしろ! 街の人まで巻き込んで! わざとだろ!!」
「そんなまさか。私はコウ様をお止めしようとしているだけですよ。」
苦し紛れの言い訳。許せるはずがない。
その理由を口実にしながら、クレアは狐のような切れ目でコウの精神へ攻撃を仕掛けた。
「それにこの状況を作っているのはコウ様、貴方なんですよ?」
「……は?」
ふざけているとしか思えない発言に、沸点の限界が近づく。
突然の濡れ衣に驚きを隠さない。
目尻は力の入ったまま、コウはただ唖然と腹を煮えたぎらせていた。それに相反し、クレアは余裕げに両手を大きく広げて道化の役を演じる。
「見てください! 壊された街を! 人々の悲鳴を!」
そして周りに知らしめるような大きな演説が始まった。
「ああコウ様。こんな惨劇をいつまで続けるおつもりですか? 貴方の夢が、当主への反抗が! このような事態を巻き起こしているのですよ?」
「おい……何言ってんだよ、お前!!」
「貴方が逃げなければ。こんなことにはならなかったでしょうね。軽薄な行いの結果が、民を、この街を傷つけているんですよ!」
周囲に誤解されかねない大声だ。
道化師の発言に漠然とコウは耳にし、考えまいとしていたことが脳裏によぎる。
「今からでも間に合います。どうか抵抗なさらぬよう。せめて……。もう逃げるのはお辞めになっては?」
かかって来いと、そうも取れる発言。
思えば、今までのクレアの罵倒に対し、コウは強く否定できずにいた。
この状況は確かに彼女によって齎されたもの。しかし元を辿れば自分の家出が引き起こしたことだ。
今更ながらコウは罪悪の棘が刺さり始める。
(逃げ続ければ被害は増す。これ以上クレアの暴挙は看過できない。)
ならばと。コウはその誘いに乗ると決めた。
マードック家次男として、この街を守る責務と自覚がある。何よりこの美しい故郷を愛するが故に、逃げるのはもうやめだ。
(もう一押しですね。)
クレアは仕上げの作業に取り掛かる。
相対するコウの足がこちらに向いている今が好機。怒りの感情を引きだす最後の挑発はすでに考えている。
それは脆い土塊を剥がすように用意した言葉を、クレアは口にする。
「きっと慈悲深いカリウス様なら、コウ様に罰をお与えくださるはずです。まあ謀反を起こした獣と、三人の愚か者はただでは済まないかもしれませんがね?」
「お前。」
(いい感触ですね。)
逆鱗の側をなぞられた感覚に、コウの思考は白く染まる。
そして……。
「本当に残念です。私が出た頃には……。あの者たちは地に伏せていましたし。今頃どうなっているのやら。考えただけで怖気が走ります。」
コウは瞬きすらも忘れ、敵を前になぜか力みが解けていた。落ちた眼を上げることはなく、生まれて初めての激情に駆られる
「ああ本当に愚かで、軽薄で、頭の悪い者たちです。」
クレアの研魔領域がコウの魔力の揺らぎを感じ取った。
確実なる勝利への前進にして、ついに罵倒の言葉がコウの怒髪天に突く。
静寂の最中、射殺す眼がクレアへ向けられるが、クレアもまた道化の策士。思惑通りすぎる反応に、道化は心のなかでほくそ笑んだ。
だが……。何かがおかしい。
これだけ弱みを揺さぶり、罵倒しているのに関わらず、いつまで経ってもコウは動かない。
ましてや先に鳴いたのはコウの喉元だった。
「確かに……。お前の言う通りかもしれないな。」
戦意損失ともとれる発言。
まさか降伏を? そんな都合のいい考えを浮かべたが、クレアはすぐさま改める。
まだ死んでいない。その瞳にはまだ底知れぬ何かが宿っている。
混じり合った赤の激動と青の静謐。
クレアはただ立ちすくむことしかできずにいた。
「まあいいさ。この行いが間違いだとか正しいだとか、正直どうでもいい。」
何故だ。鳥肌が止まらない。
本当に目の前にいる少年はあのコウなのか。口調の変化はこの際些細なことだ。驚くべきは異質なまでの雰囲気。その重圧の力場は間違いなく強者が放つ覇気そのもの。
「お前がいくら罵ろうとも、俺がするべきことは変わらない。」
眦を上げたコウを前に、目を逸らすことを許されず、クレアは逆鱗に触れてしまったことを自覚した。
「ただ真っすぐ進むだけだ。お前が愚かだと罵った者達の選択が、間違いでないと証明するために。」
コウ・マードックは静かに辺りを見渡す。
哀れみを隠しきれない凄惨なエルレリアを、その眼に焼きつけた。
その時、コウの魔力が奮え上がり、クレアは針に刺されたこのような錯覚を体験した。
「本当に……ひどい有様だ。街を壊し、人々を傷つけ、俺の臣下を揶揄した罪。決して軽くはないぞ。」
咎人を裁かんとするその立ち振る舞いは、まるでカリウスそのもの。
当主の姿と重なったその時、クレアは初めて竜の逆鱗に触れてしまったことに気づく。
「俺は人を殴るのが嫌いさ。傷つけることも、本当は戦うことも好きじゃない。」
その言葉に嘘偽りはない。だがコウはいたって本気で挑んでいる。ただ、コウの本気が人を倒すために向けられたことは人生で二回程度。思い出せる限りでは、リアを攫った賊を倒した時とシアとの模擬戦程度だろうか。
どうやら、今日が三回目となりそうだ。
コウは明確な敵意をもって、譲歩のない刑の執行を命じた。
「でもクレア。お前だけは許さない。」
手加減はない。クレアが後悔するには遅すぎたのだ。
「コウ・マードックの名において、裁を下してやる。」
構えは片手のみ。コウはゆっくりと右手を前に突き出した。
「地に伏せろ。」
怒気にまみれた静かな重音とともに、一対一の戦闘が始まった。
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