第17話 親子喧嘩

「これは……。由々しき事態だな。」


 マードック本邸、当主の間にて甲高い音が響いた。白色の大理石にはティーカップの破片が飛び散り、微かに茶葉の匂いが部屋に湧き立つ。

 傍に控えたはクレアはそそくさとカリウスの元へ。


「こちらを…。お怪我はありませんか?」

「ああ……。」


 クレアはタオルを差し出すが、返ってきたのは我が当主らしくない覇気のないものだった。

 こうまでカリウスを唖然とさせる事態とは……。その答えは先ほど裏門側より響いた轟音から、おおよそ見当がついた。

 クレアは無礼と知りながら、窓より空を眺める。


(やはり結界が……。大変遺憾ではありますが、認めざるをえないですね。)


「カリウス様、これより私はコウ様を追います。」

 

 そう言ってクレアはカリウスに一礼すると、慣れた手つきで指を鳴らした。すると合図を聞きつけた数名のメイド達が入室してきた。

 

「あなた達。私が不在の間、カリウス様を任せましたよ。」

「「「かしこまりました。」」」


 手始めに、メイド達は砕けた破片を片し始めた。

 服にも茶色に染まった汚れが見える。メイドはカリウスに新たな着替えを用意したが……。


「よい。私も出よう。」


 カリウスもまた、クレアと同じ空を仰いでいた。

 敵を射貫く眼光が破られた結界に注がれ、現状を把握する。


「クレアよ。決してお前を軽んじたわけではないのだ。」


 語弊があってはいけないと、カリウスは優雅な姿勢をクレアに見せた。


( ここでつかさずフォローとがずるい、ズルすぎりゅ。)


「結界は一級に仕上げたつもりだ。コウだけでは決して破壊できまいよ。」

「つまり…。何者かが寝返ったと?」


 涎が垂れそうなほど緩んだ頬を引き締め、クレアはカリウスに敬意を込めた切り目を披露する。


(おほんっ。つまりはコウ様一人での突破は不可能。手を貸した者がいるということですか。)


 カリウスはクレアを追わせるだけでは不十分と判断し、自らの腰を上げることにしたのだ。

 当主自らが出向くとはリアリスにおいて、第一級緊急事態と同じ扱いである。事の重大さを示すようにカリウスの眦は鋭く、白きグローブを引き締めた。

 

「こちらを……」


 クレアの手には金糸が織りなした戦闘用の魔法衣ローブ。カリウスがそれを身に纏うのは紛れもない出陣を意味する。

 空を切るように盛大に羽織ったその仕草はまさに大魔導の風格である。


(ああ、流石はカリウス様! カッコいい、いやふ、ふつくしい……。)


 しかし、クレアはすぐさま浮かれた意識を引き締めた。

 従者は皆、カリウスの命を待つのみ。

 

「お待ちください。」

 

 突如乱入してきた待ったの声。それは扉の向こう側から。

 訪れたのは真冬の冷気。冬の吐息に白い靄が隙間から漏れ出ている。


(やはり来ましたか……。)


 枯果てた細木のように粉々に崩れ落ちる扉。開かれたその先から氷雪の嵐が流れ込み、一瞬にして当主の間は凍りついた。

 冷めた空気が優雅な足音を際立たせ、吹雪の中に現れた人影は遂にその正体を現す。


「ごきげんよう、御父様。」


 敵意を剥き出した無礼者の名は『銀氷』。

 静謐という皮一枚で隠された怒気が目の前の男『境界者ルーラー』一人に注がれる。

 

「クレア、その者達を連れコウを追え。」

「!! ですが。」

「行け。お前達では手に余る。」


 クレアは苦い顔で片目を歪めるが、カリウスの命令を受け入れ、窓より脱出する。

 的確な判断だろう。相手は『銀氷』、次期当主候補の実力者である。

 クレア達ではカリウスの足枷となってしまうだろう。


「どうやら愛娘と戯れることが私の役目のようだ。いやこれでは鎮めると言った方が似合うがな…。」

「淑女に対して鎮めるなどと。ですがお褒めの言葉として頂戴いたします。」


 戯言ではない。カリウスは至って真面目だ。その災害級の氷雪を神の怒り、自然の沙汰と例えるのなら、鎮めるという言葉が当てはまるだろう。


「聞く必要をあまり感じないが。ミシェルよ、何をしに来た?」

「そうですね……。では研鑽しに参った、というのはいかがでしょうか?」


 銀の魔女は貼り付けた薄ら笑いを浮べた。

 演じるは社交的仮面。口調は腹黒い令嬢のように、心を許さない。

 

「研鑽か。」

「ええ研鑽です。それが我らが血族の、力を持つ者の務め。そう私に教えたのは御父様、貴方様にございます。」


 敵意とともにミシェルの魔力が膨れ上がったのを機に、カリウスもまた術式に魔力を流し込む。

 互いに刺し殺すように交わされる視線。そこには強い意志が宿っていた。

 その悪習を絶たんとする者は知っている。術式に恵まれた者が人生を謳歌するなかで、持たざる者達が影で涙を流し、苦しんでいることを。

  

「もうよいではありませんか。コウを行かせてあげても。」


 荒れ狂う吹雪のなかで外された仮面。コウへの慈しみが滲みだしたその瞳にある面影が重なる。


(アリエル……。)


 カリウスが愛した唯一の妻。人の痛みと寄り添い、他者を幸せを真に願える人だった。

 子供たちと戯れる時、アリエルが見せたその眼差し。木漏れ日のように心を溶かす愛情を含んだ瞳は、どんな宝石よりも美しく、愛おしかった。

 ミシェルは似ている。美しい相貌も、その心の在り方も。だからこそ、カリウスはその視線に怯まざるをえなかった。蘇る懐かしさに、ミシェルの願いが、アリエルもまた望んでいるかのように思えてしまうのだ。

 だが……。カリウスはその気持ちに蓋をする。


「ならぬ。」


 ミシェルが信念を掲げるが、それはカリウスも同じこと。

 当主として、父親として貫いてきたものがある。その真髄を晒すことがなくとも、カリウスにも成すべきことがあるのだ。


「子が進むべき道を敷き、この地を守してきたマードックの血を繁栄させる。これこそが当主たる我が務めだ。」

「いいえ違います。たとえ無謀な道と知りながらも、夢につき進む背中を信じてこそ家族というもの。目を向けるべきは血の縛りなのですよ。」


 ミシェルは初めて当主の前に、秘めてきたその旨を伝えた。

 次期当主として掲げる信念。一歩間違えればその未来を閉ざしかねない発言だが、ミシェルに悔いはない。売り言葉に買い言葉で、半分勢いなところは勿論あった。時期が不十分である事も重々承知している。

 しかし、気づいたときにはもう止まらなかった。表情の差異を気取らせないよう緊張を噛み殺し、自然と手が力んだ。


「甘いな。だがアリエルなら……同じことを言うのだろうな。ミシェルよ、お前は正しい。人のための魔術師として、母の遺志を継いでくれた。本当に良い子だ。お前の父親になれたことが誇らしいよ。」


 当然の誉め言葉にミシェルは驚かざるをえなかった。

 しかし、その声に反してカリウスは次々と魔法を展開していく。耐氷結界、対物理結界、対魔法結界、複数の結界術を五指を扱うように容易く発動させていく。


「だがいくら我が子であろうとも、私には親としての責務と、当主としての条理がある。故に、我らは互いに引けぬ身。ならばこれ以上の言葉は不要だ。当主として、お前たちの父として。私は我が子らを導くとしよう。」


(全く御父様は……本当に不器用な方です。)


「……そうですか。では。」


 二つ名を持つ強者たちが互いに構えた。


「『銀氷』の名。存分にお見せしましょう。」


 夏の太陽の下、本邸に銀世界が訪れた。

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