第18話 兄妹喧嘩……?
「は? マジか。」
崩れゆく結界を見上げる男が一人、噴水の元で神妙な顔で呟いた。
中庭には太陽が再び差し込み、自然の草木は喜ぶように鮮やかな緑を取り戻す。
噴水の水面が美しい装飾細工に陽光が照らしたことで共演を果たし、劇場を飾りつけるように庭園の花々が十色の花弁を踊らせる。
それはまるで誰かの門出を祝福しているかのように。
「まぁ待つゆーたんは俺やけど。なんか癪やな~。てかまずどないして壊したんや。」
アランからいつもの笑みは消えていた。明らかに先ほどとは違う相貌で戦闘の天才は空を仰ぐ。
(発勁の衝撃を合わせた策やったんやろけど、結局お陀仏なったんちゃうんか。)
何度見ようと結界は砕け、空が顔を出している。
発勁から生じた大太鼓の爆音はアランにも当然届いていた。しかし、結界は何事もなくそこに佇むのみ。作戦の失敗が目に見えたようなものだったが……。
(あの結界は餓鬼一人で抜けれるようなもんやない。となると……。)
考えられるのは協力者の存在。コウを新たな主としたのか、それとも情にほだされたか。
そんな愚かな行いに、アランは腹の底から笑いがこみあげた。
「どいつもこいつも、ホンマ希望抱くの好きやんな~。そんなんもん意味ないのに。」
アランは考えることをやめた。なぜなら事の顛末など、どうでもいいことだからだ。コウが家を出た以上、やることは変わらない。
宣言通り、足を粉砕するのみだ。
出陣前の準備は欠かさない。両手を後ろに身体を伸ばし、肘・肩・脚の順に入念に仕上げていく。
「希望じゃ何も救えん。力の無いもんは媚びへつらって下だけ向いとけばええ。そう思わへん、りあちゃん?」
自身の背後にいる存在に、アランは気づいていた。振り返り際に呼んだ名は、見事に的中する。
そこには一人、片手サイズの魔杖を手にしたリアの姿があった。衣服は珍しく外出用のもので見渡す限り、どうやら一人らしい。
アランはいつものリスのような反応を期待したが、今日のリアは様子が違う。挙動不審に委縮せず、肩の力が抜けている。眼を合わせるが、躱すことなく顎が引けていた。
「そうは思いません。確かにこの世は強さと弱さでできています。でも人間は弱い生き物です。夢と希望を人に託すから生きていけるんだと、私は思います。」
「……へぇ」
アランは目を細め、静かに輪郭をあげた。
なにせあの臆病で部屋に閉じこもってばかりいた妹が、兄を前に意見と反論を返したのだから。
獲物を前にした飢えを隠すように、アランは仮初の笑みを顔に貼り付ける。
「まぁ論点の問題やね。とりあえずしょうもない話やめよ。折角可愛い妹がお兄ちゃんの元に来てくれたんやから。」
「はい。私もアラン兄様とお話しがしたくて来たので。」
思わず声が出しまい、噴出しそうになる。
アランは歴戦の魔術師。瞳を交わことで覚悟を決めた者かどうか判別がついてしまう。リアの変わり様は見て明らかだ。
まるで力を貸してもらうかのように、杖を握るリア。そんな妹を前に、アランの目には確かな覚悟の片鱗が映っていた。
「嬉しいなぁ~。もしかして一人で外きたん?」
「はい。ここには私一人できました。」
(一人きりか。意図スケスケやんけ。)
アランはその言葉が秘密裏のものであると悟る。
縫い繕った言葉を並べる反面、同時にここに訪れた理由を推測し始める。
「へぇ~いつから一人で外出れるようなったん? 成長したなぁ。あと何その杖?」
「これはまた……別の用途です。」
「ふ~んそっか。その杖見たことあるわ。母様のやろ?」
(別の用途ね。もうなんかまどろっこしいな。どうせコウの事やろ。)
アランにはおおよその見当がついていた。コウが家を出たこの瞬間に接触してきたのだ。その時点で狙いは透けている。
若干面倒気味になり、アランは早々に話をつけようと切り替える。
「でも焦ったわ~。俺はてっきりそれつこうて殴りこんできたんかと思ったわ。」
「!? ア、アラン兄様。私はそれも……辞さないつもりです。」
「はっ? え、まじで言うてるん?」
突然の宣戦布告にアランは声を失った。
まさかあの妹が自分に歯向かってくるとは。
即時敵対とも取れる発言にその退かない眼差し。よくわからないまま、アランは驚きで数秒間固まっていた。
リアは御守りように杖を放さず、浅い息を吸って心臓の鼓動に合わせた。
「お願いです。コウ兄様を追うのはやめてください。」
ついに切り出された本題は、やはりアランの想像通りのものだった。
リアは詰まるとこ一人の交渉者として、此処へやってきたのだ。
その現実にいまだアランは困惑するも、予想通り過ぎる内容に思わず失笑を溢す。
「なるほどなぁ。その眼、原動力はあいつってことね。」
「はい。私はコウ兄様を助けます。助けたいんです。だから……。」
「はっ? 何してんの。」
「お願いします。この通りです。」
目の前には頭を下げ懇願するリア。
なぜ? あの無能のために才ある者が首を下げるのか。目の前の光景がまったく理解できず、その情けない格好に、アランは苛立ちに似た感情が沸き上がった。
「ちょい待てや。なんでリアちゃんが頭下げんねん。」
「決まってます。コウ兄のためですよ。」
やはり意味が分からない。
喰らう側の人間が食われる者の気持ちなど、分かるはずもないのだ。
コウのため? なぜ?
もしや何らかの契約か?
それとも交渉か?
自他の魔術師となったアランには、愛などという曖昧な答えは頭によぎらない。
弱き者のために頭を下げるなど、アランの辞書にはもうない。故に、その行動を不愉快とばかりに見下ろしていた。
「おいやめろ。みっともない様晒しとんなや。」
「……やっぱりアラン兄様はコウにいが嫌いなんですか。」
「ああ嫌いやね。昔っからあいつは……俺の……。」
怪訝そうな顔を浮かべたアランだったが、思わず口を塞いだ。
「アラン兄様?」
「いやなんもない。」
急に歯切れが悪くなったアランに違和感を感じ、リアは顔を上げた。
何かを憎むように開かれた瞳孔に反して、明らかに顔色が釣り合っていないが、徐々に顔つきが元へ戻る。
アランは息を吐くと視線をあげ、リアを見つめる。どれだけ睨み返しても、はがれないその瞳。
その時アランは気づく。この苛立ちはリアに対してではなく、目の奥に宿ったコウの存在であると。
アランは遂に目を逸らし、鬱憤の行き場を舌打ちで誤魔化した。
「ごめんやけど。リアちゃんの言い分は全く理解できんし、それに応える気もない。」
「どうしてもですか。」
「どうしてもやね。」
「そうですか……。なら。」
(マジか。俺とやるんか。)
リアは杖を前に顔を上げる。しかし、この間合いで仕掛ける時点で到底リアに勝機はないだろう。相手は『砕者』、
構えは不要。初動から一秒もあれば十分。
アランにスイッチが入った途端の事だった。
リアは大きく深呼吸し、引きこもりだったとは思えない胸いっぱいの声を本邸に響かせた。
「アラン兄様のこと! 嫌いになっちゃいますかね!!」
アラン、本日二度目の困惑。
度肝を抜かれたように、力が一気に抜けていく感覚をアランは味わった。
武力で勝てないなら知力で勝ればいいなどと、恰好のいいことを言う気は更々ないが、アランにとってリアに嫌われるということは精神的抜群の威力だった。
色のない微風が場を流し、二人の合間を通り抜けた頃に、ぎこちない形で会話は形を取り戻す。
「えっあ。うん。それは困る。多分めっちゃ堪えるわ。軽く泣いてまうかも。」
「そうでしょう、そうでしょう! だからもっと私に優しくしてください!」
生返事の最中、アランは頭で簡略化を試みた。要するにコウかリアか、どっちを取るかだ。
二つ名まで保有する実力者のアランであるが、妹への溺愛は本物だ。故に、当然リアを選ぶ。
「その代わり、私がアラン兄様の言うことを一つ何でも聞いてあげます。」
「え〜それホンマかぁ~? 」
アランはリアに疑い深い目線を送るが、リアはへちま顔をこちらに向けていた。
突然の交渉だが、アランにとってあながち悪くない。リアとの関係も維持できる上、一つ願いごとを聞いてくれるのだ。かなりの好条件と言えよう。
(あ、ええこと思いついた。)
無理な願いは逆効果だろう。できる限り穏便に考えた結果、ある一つの名案を閃く。
不意に漏れたアランの笑み。
リアは何を思ったのか、自らの腕で自分を抱いた。
「あ! エ、エッチなやつはダメですからね!!」
「いやアホか。リアちゃんは俺をなんやと思ってんねん。」
「え……。ナチュラルバーサーカーとか?」
「なんやそれ。でもあながち間違ってないし、何とも言えんなぁ〜」
アランは目元で笑みを浮かべると、手首を上下にリアを招いた。
「?」
何の疑いもなく近づくリアに、アランはおでこをめくって小突く。
「いたっ!」と声を漏らしリアは痛みに片手を置く。
そんな痛がる姿にアランは愛くるしさを覚えるも、すぐさま交渉へ移った。
「リアちゃんは今年で十三歳やっけ?」
「そうですけど。急に何ですか?」
「なら来年から受験やんな。どこ受けるかもう決めたん?」
「いやまあ。まだその。行く覚悟ができてないといいますか……。」
不意の進路相談にリアは意図を読み取れず、頭を悩ませるも…。
「そっか~。じゃあリアちゃん、帝都おいでよ。」
「!!」
その一言で、リアはアランの思惑をくみ取った。
「帝都魔術学院はええよ~。卒業生のお兄ちゃんが言うねんから間違いない。あそこは階級制と徹底した実力主義やからなぁ。」
世界魔術機関は今、大きく分けて帝都派閥と王国派閥に分かれる。
リアリス地方は代々戦火に晒されてきた土地だ。そのたびに多くの小国、大国がこの都市を取り込もうとしたが、祖先たちが積み上げた威光と名家としての実力をもって跳ね除けてきた。その力を恐れた大国は自らの領土に属してもらうが、その法制や経済は都市に委ね、継続的な友好関係を築く道を選んだのだ。
ただの一都市に対して大国が友好条約を結んだのだ。それがどれほどの偉業であるのか言うまでもない。
リアリスは八十年前は旧王国領であったが、現在は帝国領に属している。
カリウスは両国に広い顔を有しており、ミシェルは王女護衛を務め、アランは帝都魔獣戦線にて最前線を守護している。実力という点でそれぞれが厚い信用をもち、マードックもまた爵位の家系。貴族王族共に幅広いパイプを築いており、自然とどちらかの派閥に属することになるのだ。
(ミシェル姉様は王国派閥。アラン兄様は帝国派閥。兄様は帝国側に私を取り込むつもりということですか。)
政治に疎いリアであってもその真意はすぐに理解できてしまう。
つまりはアランもまた本気で当主の座を狙ってきているということだ。
「あーでも今年受験あんのか。それやと二年後なるんか。まぁ王国やなくてさ、帝都魔導学院においでよ。王国の時代はもう終わり、今は帝国一強の時代やからな〜。」
アランの言う通り、八十年前の大戦以来王国の時代は幕を閉じたと言えよう。
王国の旗を掲げ立ち上がった連合軍。誰もが決戦の行方を予期していたが……。
勝利の女神は帝国に微笑んだ。
以来、帝国の発展は目覚ましいものである。三大国の内、帝国は頭ひとつ抜けていると言える。
「お兄ちゃんはなぁ、リアちゃんにちゃんとした学校入ってもらいたいねん。将来も見据えてな?」
妹のためと称しながらもアランはケラケラと笑っている。そんな兄の真意を理解しながらも、リアはその条件に頭を縦に振った。
「わかりました。元々帝都に進学を希望していたので、問題ありません。」
「えっそうなん? 俺はてっきり王国行くんやと思ってたわ。」
アランはあっけらかんとした表情を浮かべた。
おそらく、リアはミシェルに加担すると考えていたのだろう。
正直、リアはどちら側でもない。次女に生まれた以上、当主になることなど考えもしなかったし、最近まで引きこもっていた身。将来のことなど、想像もつかなかったが…。
リアは少し体を揺らしながらモジモジと俯いた。
「いえあの。コウ兄が帝都に行くからってだけです。」
「あ〜そういうことね。まぁええけど。こっちとしては願ったり叶ったりやからなぁ。」
「でもアラン兄様。そのお願いを聞くにあたって、もう一つ私のお願いを聞いてください。」
緩みかけた頬に気合いを入れ直し、リアはアランと目を合わす。
「まぁええよ。そのかわり、コウの手助け以外ならって条件付きやけど。」
「時間がありません。早急にお願いしたいのです。」
「で、なに?」
(ここが正念場ですね。もしこのお願いが叶わなければ……いえ、やるしかない!!)
リアはもう一度杖を握りしめ、その思いを込める。
(御母様、どうか今一度勇気を…。)
「私を水蛇の地下水路の入り口まで連れて行ってください。」
「水蛇?? なんでそんなとこ行きたいん?」
「コウ兄との約束があるんです。」
「いやそれ手助けやん。言ったやろ、コウに手は貸さんて。」
「違います。アラン兄様は私を助けるんです。」
「いやでもそれ一周回って…。」
「アラン兄様は今日ここで! 偶々私と! 水蛇の水路まで遊びに行くだけです。」
「はっ、何やそれ。メチャクチャゆーてくれるなぁ。」
「それに姉妹二人がコウ兄を助けてる間、アラン兄様は何も協力しなかった、という方が御父様への印象は悪いはずです。それならいっそのこと皆んなで反抗期しちゃいましょう!!」
(なんてまぁ支離滅裂のゴリ押しやけど。一理あるな。確かに動かんほうが父様への印象は悪いかな。交渉成立した以上、今回ばかりはコウに手出しできんし。いっそのことバカ演じたほうがええかもな。)
動じることなく覇気を持って伝えんとするリアに、アランの心は揺らされる。
一つ嘆息を漏らし、アランは妹の我儘に付き合うことを決めた。
「反抗期ねぇ〜。わかった。今回だけは助けたる。でも次はないよ。」
「!! はい!!」
リアはギュッと喜びを顔に締め込んで、大きな返事を返した。
その可愛い様にアランは手を伸ばし、妹の頭を撫でた。
「ほんまリスみたいなリアちゃんも、可愛らしくてええけど、ギャアギャア喚く妹もまた可愛いもんやで。まるで犬やな。」
「だ、誰が犬ですか!?」
「噛み付くなて。それでどうすんの? 行くんやろ。多分数分もかからんやろ。」
「きゃっ!」
アランは軽々と妹を抱き上げ、その足を動かし始めた。
「急いでるんやろ。しっかりお兄ちゃんの裾掴んどき。」
お姫様抱っこされたリアは恥ずかしそうに悶えるも、服に皺ができるほどしっかりと握りしめた。
「あの加減してくださいね。今でも夢に出るくらいトラウマなんですから。」
「怖がりなところは変わらんねんなぁ。そんなリアちゃんに一つアドバイス。」
術式に魔力を流したことで、アランの五体に熱が注がれる。
世に出回る王国の身体強化魔術とは違う。肉体の潜在能力を引き出し、五感を超人の域にまで押し上げるアランの十八番である。
アランは姿勢を前屈みの体重に乗せ、ついに出発前に至る。
「目ぇ瞑らず息は止めとき。あの頃の速さじゃなぁ、『魔獣戦線』は生き残れへんのや。」
手加減などない。アランは昂るように魔力を発露し、一気に収束させる。
「『練魔』」
アランは解放と圧縮の行程を易々と行う。コウでは溜め込みに力みを生じさせるが、アランにはその一切が見受けられない。
アランは練魔を放つのではなく、自らの術式に流し込む。練魔という旅人は普段辿り着けない領域へと脚を踏み入れることとなるだろう。
これが『砕者』。絶対的強者への憧れとは、時に無惨に自身の非力さを露呈させる。
リアは兄を前に、ただ下唇を噛みしめる。
術式とともに構築された応用式。その効果を最大限引き出すために、アランは謳う。
『集え歴戦の亡者 来るは約束の決戦
奮える焔 紅蓮の脈動 其は全てを砕く者
戒めを捨てよ 魂とは戦慄の咆哮なり
女神の愛をもって 戦記の英雄は一人舞う』
『
詠唱によって、アランの肉体は英雄の領域へ昇華される。
魔法の影響か肌に褐色が伝い、赤毛混じりの髪が黒く染まった。
「行こか。」
アランは大地を踏みしめ、その肉体を存分に膨らます。子供のように無邪気に笑いながら……。
その後、まるで空気を置き去りにするようにアランとリアはその場から姿を消した。
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