第16話 紡がれた。

 ザックは上手くない拙い言葉を重ねて、その巨体をもち上げると。


「……っ!!」


 いきなりコウの血がこびりついた壁にその強腕を打ちつけた。


「さすがに…硬いっすね。」


 なぜ結界に触れられるのか……。コウは唖然とした後、ある事に気づいた。


(そうか。血も立派な僕の一部だ。血がこびりついた箇所なら、ザックでも触れられるのか!!)


 考えれば誰でも思いつくような、幼稚で奇想天外な発想。無意味かと思われた自損行為が、ここにきて大きな一手につながる。

 しかし、その強度は変わらず一級品。いかに『獣の番人ウォールウォリア』の名を持つ者だとしても、易々とはいかない。

 

「どうして。」


 閉ざされた希望の光、コウだけでは間違いなく勝利の女神は微笑まない。

 しかし、今その壁に挑戦する新たな者が現れる。その男とは一度、計画を阻もうと全身全霊をぶつけ合った仲であり、敵対の立場にあった。

 それなのに、何故……。


「コウさん。お願いがあります。」


 一瞬、コウは利益を介した取引であるのかとその行動を紐づけたが、その答えを前にして卑しい考えを恥じることとなる。 


「またアリエル様が笑ってる所、俺に見せてください。」


 それがザックという不器用な男が、真に望んだ願いだった。

 どうやって、どうすれば…。などという理屈はいらない。

 コウは思いのままに、泣き顔に喜びを笑みを咲かせた。


「ほんとっ…不器用だね。ザックは。」

「…うっす。」


 コウの快諾にザックは嬉しそうに眼を細める。

 その表情が意味したのはコウとの共戦の承諾である。ザックの闘士がコウの灯火を再び滾らせ、何度も立ち上がる英雄の如く、コウは復活を果たす。


「隊長!? どういうことですか!」

「まさかここにきて裏切るとは!!」

「所詮は忠義に生きぬ獣ということか!!」


 まさかの裏切りに親衛隊たちの不満が、ついに爆発する。

 敵は大勢、ここマードック本邸に待機していたほとんどの従者が裏門側へ集中している。しかし、二人がその多勢に臆することはない。

 この程度の絶望、いくらでも味わってきた。

 緊迫した空気のなか、ザックは必死に言葉を紡ごうとするが……。

 どうやら納得のいく答えは見当たらず、とりあえずな反応で返す。


「とりあえず…。こういうことっす。すいません。おれぁ言葉上手くないんで…。」


 ザックは右手を首元に置き、少し困ったように首を傾げる。


「まぁ犬っころには十分なんすよ。誇りを貫くなんざぁ……惚れた笑顔を守るってだけで。」


 亜人への差別的発言を受けようと、ザックはどうでもよさそうに無表情だ。

 それに加え、隊長らしかぬ腰の低さ。部隊がつけあがるのも無理はないのだろうが。

 だがどれ程舐められようと、たった一つ、ザックにも貫くと決めたものがあった。 

 その瞬間、ザックの眼は獲物を狙う狩人となる。


「なんで通しませんよ…ここは。」


 コウもまた、千切れそうな痛みを押し殺し、再び戦闘態勢へと移る。

 

「『集え蛮族 鳴らすは砦の唄』」


 鋼の肉体に浮かぶは術式の軌跡。魔力は定められた回路を隅々まで辿りゆく。それは旅人の如く、続いた足跡に光を宿し、その軌跡は大いなる力となって世界に顕現する。

 謳い手はザック。詩と魔力によりザックの術式は明確に形作られ、より強力な固有魔法へと昇華していく。

 名は……。

 

「『蛮族の鉄盾シルト・アース』」


 真名を説いたことで魔術は発動された。

 コウとザックを囲うように鉄の大盾が出現し、その全てが魔術と物理の両方に耐性をもつ。

 

「っ!! 皆かかれ!!」


 魔術の展開を反旗と受けとった親衛隊は、ついに猛攻へ移る。

 色とりどりの元素魔術が空間を支配し、その全てがこちらへ向けられる。

 しかし、その余波すらもこちらに届きはしない。これぞ固有魔術という天性の強さ。極めるほどに練度は向上し、比例して魔術はより強力に、より強大に進化していく、神に恵まれた寵児らの特権である。

 

「コウさん。守りは任せてください。」


 しかし、思いのほか攻防は劣勢のようだ。

 いくら番人といえど、この数の攻撃を凌ぐには、魔力を術式に回し続けないといけない。

 

(いっそのこと全員ここで……いや付けあがるな。)


 しかし、この結界を一人では壊せない。ザックの加勢は絶対条件だ。

 どうする……。なにか……。


「おれぁ大丈夫です。集中してください。」


 その言葉に託された思いをコウは受け取った。

 ザックは決して表情が豊かではない。その上言葉も苦手だ。

 正真正銘、即席のダブルス。だからこそ、互いは何も考えず、不動たる信念を貫いた獣人の誇りに、コウは全てを任せることにした。

 

(集中…。)


 周りに惑わされることなく、精神を水面に例えた。

 先ほどまで乱れ切っていた心がいつしか凪となった時、コウは思考力を取り戻す。


(もう……。をやるしかない。)


 コウは両手を確認し、流血と痛みで小刻みに震えるも、まだ動くことを確認する。


「ザック! あと少しだけ耐えてくれ!!」

「うっす。」


 コウが選んだのは左手。右手はまだ使い物になる。次なる乱戦に備え、片方は温存しなければならない。

 そもそも、コウが第一撃と第二撃に分けた作戦というのは、可能な限り身体への負担を最小限にとどめるためのものだ。


(シアさんと約束したのにな……。)


 コウはゆっくりと息をはいた。外は魔法の嵐、壁一枚でつながっている命だというのに、一人静謐に落ちる。

 そして、今引き出せる限界の魔力を、再びその身に展開した。


「『練魔れんま』」


 ゆっくり、ゆっくりと…。人間離れした魔力総量が、コウの体へ圧縮されていく。

 久しく口にした『練魔れんま』の名。瞼を閉じると、あの日のことが濁流のように押し寄せる。

 コウは危機的状況でありながら、昔のトラウマを鮮明に蘇らせる。この一撃は、もう使うまいと封印してきたとの再会でもあった。

 

「ごめんなさいシアさん。約束破ります。」


 その技はもう使うなと、シアは幼き日のコウへ忠告した。

 技の反動によって腕と骨は砕け、子供の時のコウはあまりの痛さに泣きじゃくった。教え子が顔を歪める姿に、シアはただ「ごめんなさい」と、強く抱きしめるだけだった。

 それ以来、コウはその技を畏怖し、二度と使うまいと身の内に封印したのだ。

 故に、コウが左手を捨てるというのは言葉通りの意味。

 そして、その覚悟は既にできている。


(これじゃ足りない! もっとだ……もっと練り上げろ!!)


 魔力の全てを体に収めきって尚、いまだ圧縮は止まらない。

 練魔とは魔力を練り上げるという一連の行為を指す総称。

 本来、魔力は使えば使うほど練度が増す。故に魔術師は魔術の探求とともに、それ相応の魔術練度へと進化していく。

 騎士が肉体を鍛えるように、魔術師は魔力を鍛えるのだ。

 練度の高い魔力はより、魔術を強力に、そして強大な力へと変える。そのため、太古の魔術師達は、魔力の練度を底上げする術を模索した。そうして誕生したのが『練魔』である。魔力を圧縮、練り上げることで一時的に魔力練度を飛躍的に向上させる戦術。その練り上げた魔力を術式に流し込むことで、より魔術の最奥へと至ろうとしたのだ。

 しかし、コウに限ってはまた別の話。練魔をそのまま肉体に止め、魔術へと昇華させない。そして遂に、人外のが一点に集まる。その練度は彼のカリウスすらも上回るほど……。

 遂に、時は来た。


「ザック!!」


 その呼び声にザックの耳はピクリと動いた。

 肌で魔力が感じれる程の莫大なエネルギー。準備は整ったと、その言葉を交わす必要はない。


「『であえ蛮族 鳴らすはやぐらの唄』」


 ザックは展開された術式を改竄し、新たな詩を披露する。


「『蛮族の進軍シルト・テストゥド』」

 

 合図とともに彼らを守した無数の鉄盾が突撃を始める。元素魔術を弾き飛ばし、扇状型へ展開し、煉気を纏う強者どもを楽々と押しのけていく。

 鉄塊の猛速に不意のカウンターをつかれ、親衛隊は混濁、回避、離脱し、一撃にして陣形は崩壊に帰す。


「コウさん!」

「うんっ!」


 コウはすでに練魔の型を完成させている。場が乱れた今が好機とザックはすぐさま攻撃態勢に移った。


「『練魔戦術』」

「『戦術発動アーツ・オン』」


 狙うは血塗られた一面。コウの無意味とも呼べる非行が繋いだ勝利の一筋。

 息の合った二人は完璧なタイミングで動きを揃え、全神経をこの一撃に捧げようとした、その時だった。

 その一瞬の隙を、奴らは逃さない。大盾の突進を掻い潜った強者二人が、鋭いナイフを突き立てた。


「死ねぇえ!!」

「獣風情がぁあ!!!」


 我を忘れた殺気のこもった刃。直撃すれば肉体は切り裂かれ、致命傷となることだろう。

 コウは研魔領域は閉じられている。魔力を用いた反射的回避は不可能。

 

「はっ!!」

「無礼者が!!」


 これは…夢でも見ているのだろうかと、コウは聞き覚えのある声に耳を疑った。

 悟る間もなく、大蛇の鎖と水の砲弾、そして紳士服の老骨の拳技が、コウの危機を跳ね除けていた。

 

「行ってくだされ!! 殿はこの老兵が!!」

「エイラちゃんエイラちゃん! やっちゃった! 私やっちゃたよぉ!!」

「うるさいミーゼ!! コウ様のお役に立て!!」


 イワン、ミーゼ、エイラ。皆、コウに長く仕えてくれた者達だ。突然の応戦にコウの胸は熱く、奮えそうになった。

 ありがとうの言葉より、その期待に応えたい。

 その優しさに、笑顔を返したい。

 その思いが心を埋め尽くした時、コウは全身全霊の一撃をもって、白き閃光を走らせた。


「『欧印おういん』」

「『蛮行の籠手アウトロー・ワン』」


 罅の走った天井。不壊とされた『境界者ルーラー』の結界。

 誰もが戦いを忘れ、その瞬間を見上げた。

 照らされた光。絶望の影を吹き飛ばす太陽が、遂にコウ達へ微笑んだ。


(ああ本当に……成長されましたね。)


 イワンは一人、潤んだ瞳を閉じる。もう心配はいらない、コウは…我が主は応えてくれたのだから。

 皆が唖然とするなか、コウはこちらに向けられた忠義の視線を感じた。

 イワンは胸に敬礼を。未来の主を旅路へと送る。


「行ってらっしゃいませ。コウ様。」


(昨日と今日で二回も泣かされてるよ……ほんと僕はダメだな。でも、最後ぐらい…。)


 今まで見守ってくれた人が安心できるように……コウは満面の笑みで手を振った。


「ありがとう。行ってくる!!」


 振り返ることはない。ただ真っすぐに門を抜ける。

 そうして、コウは群青の空へ飛び出した。

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