第2話 家出計画 ①
一つこの世界について話そう。
帝都領南西には不毛の大地が広がっている。栄養のない土は作物を拒み、魔物は育てた家畜を食い荒らす。朝になれば容赦ない熱波が襲い、夜になればその熱を奪う。
彼の地は人を拒絶し、人もまた大地を疎み、恐れた。
しかし、長い歴史の中でいつしかこの不毛の大地はリアリス地方と言われ、帝国経済の要となる大都市となる。
その発展は偏にリアリス大迷宮にある。帝国領南西の地下に広がり、帝国はリアリス大迷宮の鉄類を主な興行資源とすることで、この地を大都市へと昇華させることに成功した。
いつしか大都市は帝国屈指のダンジョン都市エルレリアと言われるようになる。
ある冒険者はいった。「ダンジョン。それはロマンの源泉である」と。
数多の富、資源、財宝が眠るとされ、まさに冒険者の夢である。
旅人は富を欲し、戦士は腕を名乗り上げ、詩人は夢を詠い、民は安らぎを求める。
しかし、夢とはいつか覚めるもの。今やダンジョンは人類の強欲の壺となり果てる。
富を貪る人間が戦火をあげた。奪い、奪われ、また奪う。この繰り返しこそが、リアリス地方の戦火で積み上げられてきた歴史の始まりあった。
民は号砲に震え、救済を嘆き続けた。
どうかもう一度、安らぎの眠りを。
どうか再び、愛するこの街を。
その願いは、ある兄弟によって叶う。
戦火の中、前線に名を轟かす者がいた。
二の魔術師は敵を撃つ。時には雷をもって大地を穿ち、時には嵐の暴風で進軍を薙ぎ払った。どの国家にも属さず、リアリスの安寧と秩序を願い、その兄弟は戦った。リアリスの民はその功績をを称え、名もない二人に英雄の名『マードック』を与える。以後、マードックはエルレリアの地の守護を約束し、魔術師の家系として恥じぬ力を保持し続けた。彼らは名門の血筋とされ、魔術の重鎮として今もあり続ける。
故に、この家に生まれた者は将来を約束されたに等しいのだ。ただ一部を除いて。
ーーーーー
此処はマードック本邸。
大理石を基調とした磨き上げられた美しい床作りに、リアリスの伝統工芸品と異文化の共存と調和を織りなす、英雄が住うに相応しい豪邸だ。
言わずもがな、その内装は美しいの一言。毎日忙しなく働く従者の手入れによって、埃一つない完璧な仕上がり。日々の生活感など微塵もない。
だが本日のマードック邸は平穏とは異なり…。荒々しく音を立てる一部屋、その中心にコウはいた。
父との大喧嘩の末、我を忘れるように家出の身作りに勤しんでいたコウは、ふと我に帰り部屋の有り様を眺める。
(これは…ちょっとひどいな。)
沸騰した頭を冷やせた頃には、部屋はあられもない姿に変貌をとげていた。
コウは冷静になれなかったことに少し反省しつつ、順を追って記憶を整理する。頭に浮かんだのは…。
息もつかぬ間に父の元を飛び出した自分の姿。
自室の扉を閉めることも忘れて、力任せに荷物を詰め込んでいる自分の姿。
それを見兼ねて止めてくれたリアの姿だ。
反省だ。反省しなければと、コウは頭に何度も猛省の言葉を反芻させ、落ち着きを取り戻す。
そして順を追うように、次は下半身の存在へと視線を落とした。
「リアさん。あのですね。兄はそろそろ準備に取り掛かりたいのですが?」
「いいえダメです。コウ兄はまだご乱心です。」
いつの間にかしがみついているリアを放そうと試みるが無理な話だ。少しへそを曲げている妹にはどうやら時間が必要らしい。
「えっとありがとう。でももう大丈夫だよ?」
「ダメです。」
コウは胸辺りで顔を埋めるコアラのような妹に苦笑するも、離れそうもないので頭をポンポンと叩く。
驚いたようだが、腹回りの締め付けが強くなったあたり、どうやらご機嫌のようだ。
離すことを半ばあきらめることにして、リアをそのままに、コウは天蓋付きの豪勢なベットにパンパンのキャリーケースを広げる。
そこには皺皺の服、クシャクシャの資料、どれもこれも感情に任せに詰め込んだせいで、中身も頭もこの有様だ。
もう一度、入れた順番通りに必要かどうかを確かめる。何せ急な事だったため、考えられる限りの物をかき集めた。結果は御覧の通りひどいものだ。
(我を忘れるってこんな感じなのかな。)
体に若干の不自由を感じながらも、そそくさと仕分けていく。
無駄が削ぎ落とされていくケース。
意外にも時間はかからず、終えてみればコンパクトそのもの。ほとんどが古めかしいものばかりだ。
(そっか。僕の物ってこんなにも少なかったんだな。)
コウの手は仕事を忘れていた。
思えば母が眠りについてから家族で出かける機会など殆どなかった。中身は幼少の頃の品だらけで、真新しいものと言えば、愛用の服や用意したばかりの資料が大部分を占めていた。
「コウ兄?」
寂しげな顔をする兄に何かを感じたのか、リアは心配げな瞳で顔を上げた。
「いや何でもないよ。リア、今度何か思い出に残るものを買いに行こう。」
「ほんとですか!? 是非行きましょう! いつにしますか? なんなら今日行っちゃいましょう!!」
一変して、リアは目を真ん丸に期待に胸を膨らます。それはすごく嬉しい。嬉しいのだが、生憎その期待の視線に応えられるほど、コウには余裕がなかった。
「今日、というより今はダメかな。これから沢山お金が必要になってくると思うからさ。しばらくは…その。ごめんね?」
「コウ兄は意地悪です。でも約束ですよ?」
コウは妹の上目遣いのアッパー攻撃にたじろぎそうになるも、何とか持ち堪えた。
本当なら今からでも快諾して何でも買ってあげたいところだが、動かせる出費が限られている。
何せコウは入学に際して、大きな問題を抱えていた。それは学費を払い続けられるほどの資金力がないこと。
家出に必要なものは既にあながち揃っている。
例えば、仮の身分証。マードックの人間が魔術学校に在学すると、何かと問題が絡んでくるのだ。特に、名家の生まれで術式をもたないコウとなると世間の風当たりは強い。
魔術師の家系ながらコウは一応、貴族の出自である。
名家、それも本家筋の人間が全く魔術を使えない事は色々とまずい。それこそ、アランの言う「家名に泥を塗る」というもの。
だがコウは姓を隠すための仮身分が必要になることは承知の上。いつか来るであろう家出の時に備え、着々と準備していたのだが…。
「後はお金がなぁ…。」
こればかりは肩を落とさずにいられない。
横に妹のリアがいるというのに、思わず愚痴を漏らしてしまうほどだ。
目指すは最難関の魔術学校の一つ、帝都魔術学院なのだ。より魔法の潜在を持ち合わせる貴族院の者を含め、術式を持つ子供達、強い権力を持つ商人の子ら、近年では平民でも魔力の素質があれば入学権利を与えられるようになったとか。
しかし、元より魔術学校は貴族学校でもある。高い身分のものしか入学は認められず、学校の基準は貴族のそれ。何から何まで豪勢で貴賓そのものなのだ。
言うまでもなく、学費はお高い。コウが細々と貯金してた額では到底足りず……。
つまりは時期が早すぎたのだ。
「もう少し貯めたかったんだけど。予定通りとはいかないものだね。」
「お金のことは心配ありません! 私のと合わせれば一年分の学費はなんとかなります。後は、私経由で援助さえできれば…。」
渋そうな顔で首を傾げる兄に、リアは助け舟を申し出た。
まさに感無量。我ながらなんて優しい妹なんだ。昔のツンツンしてた頃とは大違いで、最近では暇さえあれば甘えてくるのだ。その愛くるしさはあのアランを含め、厳格な父ですら眉を緩めるほどである。
しかし、今回ばかりはそうもいかず。
コウは嬉しさも相まって、何度も頭を撫でると、リアは顔をほころばせ猫のように機嫌がよくなった。
「ありがとう。でもね。妹のお金を吸うよなカッコ悪いお兄ちゃんになりたくないし、援助も望んでない。まず御父様が目を光らせてる間は無理なんだけどね…。」
「う〜。なんでコウ兄だけこんな目に…。」
リアは不満げに頬を膨らます。
(やっぱり頭を撫でるのはまずかったかな?)
手を離そうとするも、両手で引き戻される。もっとやれ、もっと撫でろとジト目で訴えるあたり、どうやらまだ足りないらしい。
「でもどうにもならないわけじゃない。」
「何か考えがあるのですか?」
ハッと顔に力みを取り戻したリアが上目でこちらを覗かせる。コウは自分の実力を考慮しながら、おこがましいと知りつつも少し頬を染めて、自信なく口にする。
「そ、それはさ。僕が…」
「十傑に入ればいいかしら? たしか成績優秀者には奨学金が。成績次第で学費免除もあったはずね。」
ドア付近の誰かが声を重ねてくる。
話の的を射貫かれたことよりも内容を聞かれたことにコウは恥ずかしさを隠せない。
もしこれが兄様に聞かれたら、高笑いで馬鹿にしてくるだろうし、メイド長のシア以外にでも笑い話や噂話にしてくる家の者は沢山いる。
でも心配はいらない。その聞き慣れた声に振り向くとそこには。
「こんばんわコウ君。」
予想通り、姉のミシェルが開いた扉にもたれかかっていたのだった。
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