第45斤
一通り水族館を巡り終え退館した後、帰りの電車を途中下車してターミナル駅付近にある回転寿司店内のテーブル席に4人で座っていた。
そう。4人で、である。隣に白野さんが座っていて、向かいに委員長が座っているのはまだいいと思う。
しかし、どうしてこうなった。
胸中で叫びながら斜向かいを見る。ルイちゃんが恍惚とした表情でサーモンやら甘エビやらえんがわやらをぱくぱく頬張っていた。
そんな他人の財布でたらふく寿司を食う眼鏡っ娘なイルカ娘を見ながら、先刻水族館を出る直前にした会話を脳内で反芻する。
「お兄さんに奢って貰えなかったので代わりに麦也さんに奢って貰うことにします」
「えぇ……」
「アイドルドルフィンとのアフターなんてなかなか出来ることではないのですよ。ここはもっと泣いて喜ぶべきです」
「そもそも水族館から出ていいものなの?」
「今日のお仕事は先ほどのショーが最初で最後でしたので問題ありません」
「だとしても問題ありすぎる気がするんだけど」
「トレーナーさんにはもう話しておきましたし、普段からこうして出歩いているのでいいんです」
「展示水槽の中にはいないと駄目なんじゃ?」
「今日はアイちゃんがいてくださるので大丈夫です。ちなみに誰が展示水槽に入るのかはシフト制になっています」
「だとしても僕が寿司を奢らなくちゃいけない理由にはなってないよ」
「だめ……ですか……? 人のお金で食べるお寿司ほど美味しいものはないのに……」
「そんな発言する時点でもう駄目だよ」
「まーまーいいじゃないすかムギさーん! お金ならうちも少しくらい出しますから! それにほら! リムリムもお寿司が好きって可能性だってなきにしもあらずっすし……寿司!」
「わ……私も出す! から……少しだけ……」
「えぇ……」
そんな訳で今ここでこうしているのであった。せめて回る方でお願いしますと懇願したら素直に従ってくれたのはよかったけど。逆に言えばそれしかよくなかったけど。
「麦也さんもほら、美味しいですよ」
元凶のルイちゃんが口元にシャリを付けて真鯛が乗った皿を差し出してきた。無言でそれを受け取った後、軽く身を乗り出しおしぼりで口を拭ってやる。ルイちゃんは目を閉じてされるがままになった。
なんかイルカというよりシーズーみたいだなと思っていたら隣にいるチワワみたいなクロワッサンの妖精さんに脇腹を肘でつつかれたので座って真鯛を食べた。口の中で溶けるような味わいが何ともよかった。
「やっぱり魚が好きなんすかー? ラーメンとか食べないんすかー?」
プードルみたいな委員長が玉子を口に放り込んでからルイちゃんに尋ねた。
「色々食べてみたことはありますが、やっぱり食べ慣れているものが一番好きですね。このまえ道路にいたカブトムシを食べてみましたが土と変な油の味しかしなくて美味しくなかったです」
「それは美味しくなくて当然っすよ!」
「そうだと思いましたが食べてみたくなったんです。甲殻類みたいでしたし」
ルイちゃんがカニを食べながら平然と言う。ずっと思ってたけど人間の常識をこの子に当てはめて考えるべきではないのかもしれない。イルカの常識が何なのかはわからないけど。
「幼虫も試してみましたが腐った――」
「イルカなのに長い時間水から出ても大丈夫なの? ストランディングどころの話じゃなさそうだけど」
そして話がとんでもない方向に進みそうだったので何とか修正せねばと思いつつルイちゃんに疑問を投げかけてみる。
「ストランディングって……?」
白野さんがお茶を飲みながら首を傾げた。専門用語みたいなものだし、説明しておくか。
「簡単に言えば、イルカだったりクジラだったりが海岸に打ち上げられることだよ。こうなったら自力で戻れなくなるから人間が助けてあげなくちゃいけないんだけど」
「えっと……座礁みたいな感じ?」
「うん」
「人間の姿の内は何も問題はありません。ですがここでイルカに戻ったりしたら大変なことになります。試しにやってみたことがありますがあやうくニュースになりかけました」
僕が頷いていると、ルイちゃんが簡潔に答えた。そしてそのまま、言葉を続ける。
「私、人間をもっと知りたいんです。もっとこの姿で色々なところに行って、色々なことをやってみたいんです」
ルイちゃんはマグロが乗った皿を持ち上げて眺めながら、願いを口にした。
「とはいえ、お仕事もありますし、身分証なんかも無いのでできないことばかりですけどね」
マグロを食べた後、どこか寂しそうに言う。
「ですから今、すごく楽しいんです。みなさんと一緒にいられて。ですから今後も――ふぎゅ!」
「いいっすよー! うちでよければいつでも一緒にいてあげるっすー!」
ルイちゃんが言い切る前に、委員長がルイちゃんに飛びついて抱き締めた。
「いいん……ですか?」
「いいっすよ! 鎌倉水族館の年パスもとっちゃうっすー!」
「でも……どうして……?」
戸惑いを隠せないといった顔でルイちゃんが委員長を見る。
「だってルイちゃん、妹みたいで可愛いっすからー!」
僕が言おうとして封じ込めていた言葉を、委員長は何の躊躇いも無く言い放った。
「わあああ」
ルイちゃんは嬉しさ半分、混乱半分といった表情で委員長に締められていた。そこでふと、白野さんを見ると一瞬で目が合った。口をもぐもぐさせながらじっと僕を見ている。しばらくして口の動きが止まると、お茶を飲んでから再び口が開いた。
「舞原くんって……誕生日いつ……?」
「え?」
「いいから」
答えろ。と言いたげにわちゃわちゃしている向かいをよそに僕を見続けてくる。
「9月、23日だけど……。白野さんの誕生日って……9月6日?」
確かわっちんの誕生日がそれだったので、質問し返す。
「4月……8日……」
白野さんは首を横にゆっくり振った後こう言った。つまりわっちんの誕生日は完全なる設定だということか。そうだろうなとはうっすら思っていたけど。
「どうして急に?」
「別に……。何でもない」
「ルイちゃーん。すりすりー」
「ら、ラビングのつもりですか。それ」
「ラビングだかダビングだかよくわかんないっすけどー。すりすりしたいんすよー」
相変わらずよくわからないなと思いつつも、僕はわちゃわちゃ通り越して若干百合百合し始めている委員長とルイちゃんに顔を向けたところで突如店内にガラスのように硬くて脆いものが落ちる激しい衝撃音が響き渡り、賑やかだった一瞬で店内が静まり返る。
「大丈夫ですか!?」
何が起こったのか理解が追いつかないまま、近くにいた男性店員が音がした方向へ向かって駆ける。僕も目でその店員を追う。するとその先には、白い煙が上がっていた。僕以外の3人も、一体何がといった顔でその煙を見た。ボヤかとも思ったが、それにしては焦げ臭さや熱を全く感じない。
「どうしたんだ!」
店内に響く若い男性の叫び声。
「足が、急に……力が……」
その一方とは対照的に、消え入りそうな若い女性の声。
「この煙は……!?」
「俺にだってわかりませんよ!」
困惑する店員と、焦る男性。その側で立ち上り続ける煙。気づけば僕は立ち上がり、レジ付近で起こっていた出来事から目を離せなくなっていた。
「ねえ……何なの……これ……」
なぜなら煙の発生源が、床に倒れている、女性からであったから。
『僕の目の前で、煙を出してね。やがて空気と同化して透明になった。どうしてこんな現象が起こったのかは、僕にもわからない』
スタジアムでつよしが発した言葉が脳内で再生される。
「身体が……消えてる……!?」
「助けて……いりと……くん……」
静寂から一転、ざわめき始める店内。煙の発生源に向かう他の店員や客。今にも泣きだしそうになりながら煙を出し続けている女性の声。パニックになり泣き始める子ども。店内を包む雰囲気は、瞬く間に異様なものと化していた。
「わたし……やっぱり消えた方がいいんだよね……これって……そういうこと……だよね……」
「そんな訳ないだろ! さとこちゃんは何も悪くない!」
「ご……ごめん……ね……迷惑……かけちゃって……」
「やめろ! 彼女に触るなぁ!」
上がる煙が激しくなったと同時に、煙の側にいる男性の叫び声が耳を貫いた。
「い……りとくん……ありが」
突如煙が上がらなくなったかと思うと、女性の声も途切れた。上がっていた煙はもくもくと周囲に広がると、やがて透明になっていった。
「なんなんだあああああああああああああああああああ!!」
再び無音に包まれた店内には、男性の悲痛に満ちた絶叫だけが響き渡り、空間を凍らせた。
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