第43斤

「さてと、まず何から話せばいいだろうか。うぇんのことか、それとも、黒和陽咲のことか」


 すっかり無人になったスタジアムの最前列ど真ん中の席につよしが戻ると、落ち着いた声で、静寂に包まれたプールを見ながら僕に尋ねてきた。


「さーせんっす。ちょーっと話の流れが読めないんすけど……」

「一緒にいるのに知らないのか。彼はかつて『マイクロレート』というグループ系YouTuberをやっていたんだ。僕の友人である黒和くろわ雨後汰うごたの妹の黒和陽咲と一緒に」

「え……」


 委員長が気まずそうに聞くと、つよしがあっさりと説明した。委員長は突然の情報開示に戸惑いを隠せない様子だった。


 僕はつい最近までドリーマーズオブザーサイのメンバーを知ろうとしていなかった。でも、ひとりだけ、ずっと前から、とっくに知っているメンバーがいた。


「うごたって……あの……」

「そう。あのドリーマーズオブザーサイのうごただ」


 それが――リーダーのうごただった。顔を向けてきた白野さんを横目に、僕はつよしと向き合う。


「とりあえず、知ってることを聞かせて下さい」

「陽咲はまだ生きているとうごたは思った。それでうぇんに探しに行かせた。以上だ」

「それで納得できる訳ないでしょう!」


 僕は自然とつよしに詰め寄っていたが、つよしは平然と口を動かし続けた。


「なら聞くが、君はイルカが人間になれると思うか?」

「は?」

「はいか? いいえか?」

「いいえ……」


 突拍子もない質問に唖然とさせられながらも、僕は返事をした。普通に考えて、イルカが人間になれるなんて、現実じゃありえない。


「ならもう君に話すことは無い」


 つよしはそう言いながら、誰もいないはずのプールに向かって手の平を上に向けてこっちに来いというような手招きをし始めた。すると誰かが噴水のように勢いよく飛び出して空中で一回転した後、つよしの目前で着地した。


「私を呼びましたか、お兄さん」


 その誰かは、艶やかに輝いている長めの銀髪で、淡い桃色のワンピースを身に着けている女の子だった。でも一番目が引かれたのは、まだあどけなさが残る小さな顔に似つかわしくないくらいの大きくて丸いフレームの黒縁眼鏡だった。


「君を呼んだ訳ではないけれど、誰か来て欲しいとは思っていたよ。ルイちゃん」

「ルイ……ちゃん……?」


 つよしが呼んだ名前に、白野さんが困惑する。当然、僕もだった。たった今プールから現れたルイちゃんという名前らしい女の子。先ほど見たイルカショーのイルカの名前を思い出す。まさか。いや、そんなはずは。


「まさか、その子が人間になれるイルカだとでも言いたいんですか」


 動揺を悟られないよう平静を保ちながら、つよしに聞く。


「正解だ」


 つよしは指で丸を作りながら頷いた。

 

「つよしさん、この方たちは? もしかして私、今大変なことをやっているんじゃないかと不安に駆られ始めているのですが」


 ルイちゃんが僕と白野さんと委員長を順番に見ながらつよしに尋ねた。言っていることとは裏腹に、極めて冷静な声色であった。


「多分大丈夫だ。彼らも僕の関係者だ。これから僕が説明すれば嫌でもそうなる」

「そうですか。では自己紹介を。私はハンドウイルカのルイと言います。今年で4歳になります」

「全然4歳には見えないっすけど」

「人間とイルカの年齢の進み方は違いますので」


 委員長のツッコミにも、ルイちゃんは落ち着いて対応していた。


「あの……本当に……イルカ……なの?」

「仕方ありませんね」


 白野さんが若干の震え声で言うと、ルイちゃんはバク転してプールに飛び込んだ。そしてプールには1頭のイルカが水面から顔を出す。そしてそのイルカは水中で軽く助走をつけると客席に向かって大ジャンプをした。イルカってここまで跳べるんだなと考えながら見ていたけれども着地したのは先ほどの女の子であった。イルカから人間に変わるタイミングは全くわからなかった。


「これで証明になったかと思いますが」

「いやいやいやいやいやいやいや! イルカのときは全裸なのに人間になった途端服着てるのはどう考えてもおかしいっすよ!」

「それは秘密です」


 委員長をあっさりとあしらい、ルイちゃんは真顔で人差し指を口元に当てた。


「もう一度聞く。君はイルカが人間になれると思うか?」


 つよしが改めて僕に問う。ルイちゃんが感情の読めない瞳で見つめてくる。僕は黙って頷くしかなかった。


「こんな風に、まだ世界には理屈じゃ説明しきれないことが多くあるんだよ。陽咲が僕の目の前で消えたのも、未だに説明がつけられない」

「は?」


 何を、言っているんだ?


「そんな顔をするってことは、まだ何も聞かされていないようだね。結論から言うと、陽咲は表向きには亡くなったことになっているが、実際には、消えたんだ」

「消えた……?」

「僕の目の前で、煙を出してね。やがて空気と同化して透明になった。どうしてこんな現象が起こったのかは、僕にもわからない」

「な……なん……で」

「教えてくれなかったのか、か。こんなことを言っても普通妄言としか思えないだろ? 実際僕だって、未だに信じられないんだから。消える瞬間の恐怖に染まる彼女の顔が、永久に脳から離れない」

「そんな……ことって……」

「しかしだ。うごたは陽咲は消えたんじゃなくてどこか別の場所に行ったんだと言い続けた。最初はただの現実逃避だったんだろうけど、やがて本気になって陽咲を探し始めた。炎上して人目を引くような動画を意図的に作り始めたり、ZZZ Creatorsなんて会社を設立したのも全部そのためだ。彼女を見つけるために、うごたは手段を選ばなかった。選んでいられないといった様だった」

「そんなこと……僕は……」

「あの日からうごたは変わってしまった。人の不幸を笑うようになり、目的のためには人を利用することも全く厭わなくなってしまった。僕だって、ウイちゃんと出会うまでは同じように心が凍りついていた。それくらい陽咲は僕らにとって太陽のような存在だったんだ」

「太陽……」


『私が君の人生の、太陽になってあげる!』


 天真爛漫な笑顔が脳内に現れ、僕は頭を両手で抱える。


「ムギさん……」

「君にとって陽咲が特別な存在だったように、僕にとってもそうだったんだよ」

「ウイ先輩に聞かれたらまた噛まれますよ」

「そうだね。後僕から言えることは、一緒にいてくれているそこの女の子2人を大切にしろ、ということだ。何にせよ、陽咲はもう、消えてしまったんだから」

「お兄さん、ショー頑張った記念にお寿司奢って下さい」

「何の記念だ。それとうごた曰く、うぇんに探しに行かせたらしいけどそれ以上詳しい話は何も聞かされていない。これは嘘じゃなくて、本当だ」


 つよしはそう言って立ち上がると、ルイちゃんと一緒にスタジアムから出て行った。


「よろしければ、またショー見に来て下さいね。私はただのしがないイルカですが、いつでも皆さんを楽しませる自信はありますので」


 去り際にルイちゃんがお辞儀をしてそう言った。無表情だった顔は、少しだけ柔らかくなっていた。


「あなたみたいなイルカがいるかー。なんちゃって……」


 委員長が去り行く背中に向けて小さな声で言った。


「僕たちも行こうか」

「う……うん……」


 僕は混乱している思考を強引に切り分けて、立ち上がった。


『私ね、最近新しいこと始めてみたんだ!』


 そんな矢先、頭の中で明るい声が響く。


 君に一体、何があったんだ。

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