Part2 白野知晴は超ビビり⁉

第8斤

 土曜日も日曜日も黒和わわは配信をすることはなく、そのまま月曜日の朝を迎えた。


 部屋でスマホにワイヤレスイヤホンを接続し、YouTubeの再生履歴に残っている黒和わわのASMR動画を開く。いつものことだけど、広告が一切入っていないから再生までスムーズすぎて逆に困惑する。


『キミが気持ちよく寝られるように、一生懸命やっていくね♡』


 にしてもこれ、白野さんがやってんだよなぁ。


『よしよーし♡』


 ダミーヘッド相手に、顔を近づけて、囁いて。


『大好きだよ♡』


 僕も大好きだよって、言えたはずなんだけどなぁ。


『ちゅっ♡』


 たまらずイヤホンを耳から引き抜いた。駄目だ。もうどうにもならない。没入しようにも、がちらついて変な気分になる。主に悪い意味で。そういえばホラー配信はいつやるつもりなんだろうか。実はリムリムが勝手に言っただけなのかもしれないけど。


 リムリムとは「ぱんどらぶれっど」に所属しているクリームパン系VTuber、繰夢くりむムリムの愛称だ。わっちんとは同期なのだが、コラボは一度もしていない、というかわっちん自体誰ともまだコラボしていない。


 まぁ、気になることは直接本人に聞けば済む話か。そう思いながら親に行ってきますと言った後、玄関まで行って靴を履いて、扉を開けた。すると目の前に本人がいた。本人がいる。白野知晴さん、本人がいた。


「……」


 隣のマンションに住んでいるのだから登校時に会うことは普通にあると思うけど、玄関開けた瞬間目が合うというのは普通はないと思う。僕がこうして状況を飲み込んでいる間も、白野さんは無言で僕を見続けていた。


「おはよう」


 とりあえず挨拶はしておくか、と僕は右手を軽く挙げながら言った。


「ねぇ……」


 すると白野さんも口を開いて、何かを言おうとした。


「何?」

「えっと……いや……何でもない」

「何でもないならここにこうして立ってないでしょ」

「それは……その……」


 そう言うと白野さんはまた黙って、僕の前に立ちふさがり動かなくなってしまった。そこでそうしていられると僕学校行けないんだけど。カビゴンに道を塞がれてるのってこんな感じなんだろうな。


「じゃあ僕の方から尋ねるけど、ホラー配信はいつするつもり?」

「へ?」

「だから、ホラー配信。配信休んだお詫びにやるんだよね?」

「私そんなこと一言も言ってないんだけど!?」


 白野さんは目を見開き、愕然とした表情になる。まさか知らないのか。僕のタイムラインはこのことで結構賑わっていたんだけど。


「やっぱりあれはリムリムが勝手に言ったことなのか」

「リムリム……って繰夢ムリム?」

「それ以外に誰がいるんだ」

「うぇ……は……ちょ……ぶてへぇ!?」


 白野さんは変な声を上げながら慌てた様子でスマホを取り出し、一体何が起こっているのかすぐに確かめているみたいだった。でも僕の前から退こうとはしなかった。リコーダー、まだ持ってたっけと思い一度部屋に戻ろうとしたところで後ろからポロシャツの襟を掴まれて止められた。


「ねぇええええ! どどどどどどどどうしよ!? あわわわわつぁしやりかたたうえなあ! 『お詫びに後日ホラゲ配信やるみたいだよ!』って引用リついてたたじゃふぁあああ!」

「なんて? それよりそろそろ学校行きたいんだけど白野さんはどうするの? ずっとここでカビゴンする気?」

「カビゴン……!? 私そんなに太ってない……!」

 

 現実では笛なんて使わず、横を通る方が早い。あわあわしてる白野さんを置いて、僕は家を離れていく。


「ま、待って……! 焼きバターならもっと私に優しくしてよ!」


 カルガモの雛みたいにぺたぺたついてきた白野さんに、僕はさっき耳から引っこ抜いたイヤホンを差し出した。突然渡されたそれにちょっと戸惑いつつも、白野さんはそれをそっと耳に近づけた瞬間それを放り投げた。イヤホンはまだわっちんのASMRを流し続けていたのである。


「最低!」


 殴られた。グーパンで。思ったよりも、痛い。明滅する視界の中、何とかイヤホンを拾い上げながら僕は口を開く。


「そうだ……僕は……黒和わわが好きで好きで仕方ない焼きバターだ……でも……君と出会ってしまって……ちょっと揺らぎかけているのも……事実だ」

「そ……そうだよね……好きなのはわっちんで……現実の私は別に……」

「少なくとも、モジモジビクビクオドオドしてる君よりも、今みたいに怒って殴ったりする君の方が好きだよ」

「だ……誰のせいでこんなことになったと思って――」

「まずい、そろそろ急がないと本気で遅刻する。ホラゲ配信は今日にでもやってね。他の焼きバターのみんなも心配してるから」

「ああ、うぇ……も、もう!」

 

 こうして僕らは、少し小走りで学校へと向かって行こうとしたところでまた襟を掴まれた。だからもう――と振り返ろうとしたところで、耳元に口を近づけられ、ASMRとは似ても似つかない声で囁かれた。


「もし……黒和わわが……これからも見たい……なら……私の配信に…………付き合ってよ」

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