第5斤

「やっと、2人だけになったね」

「……」

「僕も正直状況をあまり飲み込めてないんだけどね」

「……」

「まさかわっちんがこんなところにいたとは」

「……」


 まだまだ日が照っている放課後、僕と白野さんは教室で2人きりとなっていた。夕暮れじゃないためロマンチック度に欠けるが、今はそんなこと言っている場合じゃない。他のクラスメイトの人には申し訳ないけどさっさと出て行って欲しかったため、掃除当番ではなかったが掃除を手伝っておいた。むしろ僕が一番掃除していた気がする。金曜日だからかわからないが、担任の先生もみんな喜んでくれた。動機は若干不純だけど。


 そんなことより、白野さんがマネキンみたいに固まってて何も言葉を発してくれない。放課後まで待たせておいて見せるのがマネキン芸なのか。暑い。


「冷房ちょっと下げるね」

「……」


 僕が教室の隅にこっそりとある冷房のスイッチを操作している間も白野さんは一切動かない。


「この話をどこから始めるべきだと思う?」

「……」

「教えてもらおうか。白野知晴、君が何者なのか。僕は焼きバターだ」

「……」


 自分で言っておいて何だけど意味わかんないなこれ。いやもうこの状況自体が意味不明なんだけども。暑い、早く温度下がれ。

 

「いつまでそうして突っ立ってるつもりだ! 戦うのか!」

「ごべんなざあああいいい!!」


 ようやく喋って頭を下げるという反応が出てきたけど、僕が求めている反応とは違う。それと強い冷気も身体に当たり始めた。


「僕は謝って欲しい訳じゃない。ただ、君の口からはっきりと、自分が黒和わわだと言って欲しい」

「……」


 また黙ってしまった。彼女は俯き、身体を震わせている。


 ちょっと、追い詰め過ぎただろうか。少し罪悪感を感じる。

 

「黒和わわは…………私……です」


 ややあって、彼女が小さく震えた声でゆっくりと、しかしながらはっきりと、こう言った。


「やっぱり、そうなんだね」

「だけど…………もう…………引退します……」

「え?」


 今、なんて言った?


「引退しますっ!」


 彼女がそう叫びながらスマホを取り出した瞬間、僕の身体は無意識に彼女へと向かって行った。考えるよりも先に、身体が動いていた。


「駄目だ!」


 僕は叫び返しながら、彼女からスマホを奪おうとしていた。今、彼女にスマホを持たせていたら何をするかわからない。いや、わからないだけならまだいい。取返しのつかないことをしようとしているかもしれないと、そう本能が感じていた。


「止めないで!」

「なんでそんなこと言うんだ!」

「だって……リアルの人にバレたら……もう……いいから離してっ!」

「離さない!」

「なんで!? ずっと……辞めようかなって思ってたんだもん! ちょうど良かったよ!」

「は……?」

「だって……私は……2年間やって……まだ……6万人しかいないし……らんすちゃんはもう銀の盾貰ってるし! ゲームだって……私よりも才能あって上手い人なんていっぱいいるし! 声だってもっと可愛い人いるし! 面白い話だって私には無理だし! 特技だって何もないし! 人と話すのが怖いからコラボだってまだ一度も出来てないし! アンチコメントに震える臆病な人間だし! 貧乳だし!」

「最後のは関係ないだろ! わっちんはロリ巨乳だ!」

「とにかく! 私にVをやる才能なんてないの! だからもういいっ!」

「いいわけないだろっ!」


 僕は彼女に飛び掛かり、彼女のスマホを強引に掴み取った。その勢いでいくつかの机にぶつかり、激しい音を立てて机が倒れる。


「ううっ……」


 気づけば彼女が仰向けになり、僕の足元で泣いていた。僕は、また、女の子を泣かせてしまった。


 でも、僕は。


 頭の中に、いつかの誰かの声が響く。


『次に好きになった子には、もっと早く、好きって言ってあげてね』


 スマホの画面には『黒和わわ/Wawa Kurowa』というYouTubeチャンネルの管理画面が映っていた。


 それを見て、自動的に口が動く。


「君が好きだ」

「へ? あ……ふぇええ……!?」


 もしこれが恋愛ものだったら、僕は最低で最悪な男になるだろうな。いや、もうすでにそうか。


 彼女を突き飛ばし、泣かせたくせに、告白した。しかもまだ出会ったばかりで、最序盤もいいところだろうに。ひどすぎる脚本だ。

 

 でも僕は、彼女に今、ここで想いを伝えなければならなかった。


「僕は君に恋をしている『焼きバター』だ。だから君はこれからも『黒和わわ』でいなきゃならない。辞めてはいけない」

「そんなの……意味わかんないよっ! 私のことが………………好き………………だなんて急に言われても……! そもそもなんで私なの!?」

「僕は君と出会って、救われたんだよ。それは理屈じゃない。君と出会ったから、君に恋をした。それだけなんだよ」

「それで……はいって言える訳ない!」

「そうだろうね。でも、本当にそうなんだから仕方ない。だって恋なんて、そういうものなんだから」

「私……もう……どうしたらいいか……わかんないよ……」


 彼女は顔を手で覆い、すすり泣いた。僕はスマホを彼女の手元に戻す。


「心の底から本当に辞めたいと願っているならそうしたらいい。でも、もし少しでも続けたいと思っているなら、辞めないで欲しい。今までと変わらない『黒和わわ』を見せて欲しい」

「そんなの……勝手すぎるよ……」

「だって僕は、デビューした頃からの焼きバターだからね。想いは強いよ」

「えっ……?」

「ま、とりあえず帰ろっか。……色々と、ごめん」


 僕はそう言いながら、彼女を立たせた。


 彼女の顔を、ハンカチで拭ってあげながら考える。


 本当に、これでよかったのか、教えて欲しい。


『もっと……な……』


 まともな返事は、返ってこなかった。

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