第40斤

 様々な服装の人が大勢いる休日特有の賑やかな列車の中を50分程揺られた後、乗り継いでさらにまた5分くらい揺られて僕ら3人は建て替えで新しくなった、はずなのになぜかノスタルジーを感じる鎌倉水族館の入口前へと到着した。


「思ったよりも人来てるっすねー」

「そうだね」


 並んで歩いている僕と白野さんの少し先を歩いていた委員長の呟きに首肯する。日曜日だし、周囲を見渡すと子ども連れやらカップルやらがすぐに目に入る。でも委員長が言っていたように「思ったよりも」というレベルであった。実際、大して並ぶこともなくあっさりと入館することができた。


「なんか青いっすねー」


 入ってすぐにあった水槽をキョロキョロ見ながら歩いていた委員長が僕と白野さんに背中を向けながら言った。


「まあ……水族館だからね……」


 白野さんがぼそっと言うと委員長は突然勢いよくこっちを振り向いてぶすっと頬を膨らませた。ハリセンボンか君はと思って横にあった水槽を見たらネズミフグと目が合った。似てるけど違った。


「そーゆー意味じゃないっすよー! もっとこう、アオハルー! みたいな意味っすよー!」

「あ、あおはる……? 青春……?」

「そっすよー! 水族館デートなんて青春ラブコメの王道じゃないっすかー! それに、高1の夏は今年が最初で最後なんすからもっと楽しむっすよー!」


『中学1年の夏は、一度きりだよ!』


 行き交う人の談笑の波の中で、誰かの声が脳に響く。そういや水族館のフグはあんまり膨らまないんだったっけ。口が半開きになっているネズミフグが泳ぎ去っていくのを見ながら思い出す。


「ムギさーん? どうかしたっすかー?」

「いや、元気だなって思って」


 委員長に不思議そうに見られたので適当に誤魔化した。


「そりゃ元気にもなるっすよ! イチャイチャしてるカップルを見てたら創作意欲を掻き立てられてムズムズしっぱなしっすよ! ほらほら2人もイチャイチャして!」


 って言われてもなぁ。と思いつつ白野さんを見ると「あじたいやき」みたいなことを口走っていた。周りの人の声にかき消されて半分くらいしか聞き取れなかったので実際何を言ったのかはよくわからなかった。ちなみにあじたいやきなんてお土産はここには売っていない。


「カブトガニの裏側ってなんか……モンスターっすね」

「そうだね」

「ミノカサゴってやっぱり綺麗っすねー」

「そうだね」

「ウツボ……可愛い……」

「可愛い?」

「うん……なんか……うねうねってしてるところとか……顔とかが……」

「クラゲ見てるとなんかぽわぽわしてくるっすねー」

「そうかな」

「そっすよー……ぽわー」

「ちょ、ちょっと雪ちゃん……!」

「ペンギンの方がウツボよりも普通に可愛いと思うけど」

「ボぉ」


 白野さんの可愛いの基準はわからないし委員長はクラゲを見てるときにいきなり寄りかかってきたし白野さんは意味不明な言葉を発していたけど、僕たちは人波に流されながら魚とかペンギンとか何やらの水槽を眺めた。


「お、そろそろ海獣ゾーンっすね」


 前を歩く委員長がそう言うと、視界と空間が一気に開け、水面から縦になり顔を出しているゴマフアザラシの周りに人だかりができているのが目に入った。


「あれってアシカっすかねー?」

「あれはゴマフアザラシだよ。アシカには耳介があるけどあの子には耳介が無い。それに前肢がアシカにしては小さすぎるし体格も丸っこすぎる。ちなみにゴマフアザラシだとわかった理由は胴体の斑点――」

「なんか……急に元気になったすね……」


 委員長の引きつった顔と声で、自分の口がもの凄いスピードで動いていたことに気づく。


『鰭脚類ってね、35種くらいいるんだよ!』


 ××も確か、海産哺乳類の中でも鰭脚類が好きだったっけか。それで僕も――。


「アザラシ……好きなの?」


 自省していると白野さんに肩をぽんぽんと叩かれてから、そう尋ねられた。


「わっちんの方が好きだよ」

「あじゃあゃじゃあめん!」


 素直にそう言うと白野さんに謎の言葉を言われながら肩をべちべち叩かれた。あじゃあじゃあめんって何だ。アジのジャージャー麺か。そんな料理は館内レストランにも無い。


「このオタリアっていうのはどっちっすかー?」

「アシカの仲間だよ。カリフォルニアアシカよりも大きい」

「なーるー。確かにこっちのがアシカって感じっすねー」


 それから委員長は、僕にトドやらセイウチやらについて尋ねてきた。それに僕が全部答えているうちに、やがてイルカスタジアムはこちらという看板が眼前に現れた。周りにいた人も、まるでブラックホールかのように看板が示す矢印の方へと吸い込まれている。


「ちょうどあと15分くらいしたら始まるみたいっすね。うちらも行きましょっか」

「そうだね」


 委員長が看板に書かれていた時間と腕時計の時間を交互に見て、そう言ってきたので僕と白野さんも人の流れに乗る白野さんの後ろを追った。


 やがてステージと大きな半円形プールが見え、その外側にいくつもある座席に所狭しと客が座っている光景が目に入った。水槽を眺めていたときには人が多いなんて感じなかったけど、こんなに人いたんだな。やはりウイちゃんの人気は絶大なのだなと瞬時に改めて認識させられる。


「結構人いっぱいっすねー。どこ座りましょー?」

「前の方ならまだ結構空いてる……あれ……?」


 白野さんが、最前列ど真ん中に、たったひとりで座っている男性の背中を指さしたまま、言葉を失い、固まった。その男性の半径3mほどにバリアでも張られているのかと思うくらいに見事なドーナツ現象が発生しているから固まる気持ちもわかる。あまりにも不自然な光景に何かあるんじゃないのかと変に勘ぐってしまう。


「ねえ、あの人……」

「知り合い?」

「えっと……なんていうか……その……」

「その?」


 しばらくして、白野さんの口がポーズそのままにもぞもぞと動いた。白野さんは、あの男性のことを知っているような口ぶりであった。


「ドリザの……つよし……かな……?」

「あ、ちょ、ムギさーん」


 僕は白野さんの疑問形で放たれた言葉を聞いて、戸惑う委員長を置いて最前列へと向かった。そこに座っていた男性は深々とキャップを被っていて、さらに丸いフレームのサングラスを掛けていたけど、それでも正体を見抜くには十分すぎた。白野さんの目に、間違いはなかった。


「つよしさん、ですよね。ドリーマーズオブザーサイの」


 気づけばまた僕の口は、勝手に動いていた。


「違う。ただのウイちゃんガチ恋勢の男だ」

「え?」

「座る場所に困っているなら隣に座るといいよ。水が尋常じゃないくらいかかるけどね。だから僕の周りはいつもこんな風にスカスカなんだ」

「あ、はい……」


 その人は口では否定したけれども声やサングラスの奥に映る目からして明らかにドリーマーズオブザーサイのつよし以外の何物でもなかった。そんな彼の隣に僕が腰かけたのを見てか、委員長と白野さんも僕に近くに着席した。ていうかまさかイルカにガチ恋している人がいるなんて。世の中には色々な人間がいるんだな。


「あの、誰っすかー?」

「えっと……ドリーマーズオブザーサイっていうYouTuberグループのつよしって人……」

「僕はつよしではない」

「え……?」

「嘘だ。僕がつよしだ」


 認めた。彼は少しだけサングラスをずらして、僕たちに顔を見せた。帽子の下から見える金髪と、くっきり大きな二重瞼が特徴的で、やっぱりつよし本人だった。


「すんません。やっぱうちは知らないっす」

「知られない方が好都合なんだけどね。特にここにいる間は」


 委員長の若干失礼にも聞こえる発言にも、つよしは顔色ひとつ変えずに返事をした。


「さ、そろそろショーが始まるよ」


 そう言って、つよしはプールの方へと顔を向けた。そしてスタジアムには、明るく壮大な音楽が流れ始めた。

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