第41斤

「お待たせしましたー! これより、鎌倉水族館名物! イルカショーの開演でーす!」


 シャツが汗で肌にへばりつく感触を覚えながら席に座っていると、開演時刻になり、トレーナーらしきお姉さんがステージに飛び出してきて元気な声で観客に呼びかけた。すると、水面からステージ付近の水面から4頭のイルカがひょこりと顔を出した。


「左からアイちゃん、ルイちゃん、ウイちゃん、レイちゃんだ」

「え、見分けつくんすか!? 同じ種類っぽいのに……」


 つよしがイルカを見て頷くと、僕の後ろに座っていた委員長が驚愕した。


「ずっと見てるからね。ちなみにレイちゃんはウイちゃんの姉だよ」

「はぇー」

「左から順番に紹介しまーす! ハンドウイルカの、アイちゃん! ルイちゃん! ウイちゃん! レイちゃんです! ウイちゃんはショーの後のふれあいイベントにも参加しますので、よろしくお願いしまーす!」


 委員長が間抜けな声を出した途端、ステージのお姉さんが答え合わせと言わんばかりにイルカの名前を紹介した。ウイちゃんというイルカは私ですと言っているかのように胸びれを直上にぱたぱたさせていた。右隣のつよしを見ると口角が若干上がっていた。


「見分けがつくというのは嘘で、実際は順番で覚えてるだけだ」

「えぇ……」


 こんな一瞬で見分けられるなんて凄いと少し思ってしまったじゃないかとため息をついた。なんなんだもう。


「しかしウイちゃんがどのイルカなのかはすぐにわかる。一番可愛いのが彼女だ」

「根拠になってないですよ」

「恋なんて、そういうものだろ?」


 はっとして、左隣にいる彼女――白野さんを見た。白野さんは僕には目も向けず、ウォーミングアップをするかのようにプールを縦横無尽に泳いでいる4頭のイルカに釘付けになっていた。


 僕もどうして彼女――黒和わわを好きになったのかなんて説明ができない。それに僕も彼女に対してほとんど同じ言葉を発したことがあったことを思い出した。


「はーい! みんな今日も元気いっぱいみたいなので、早速最初の演目に移ってまいりましょう!」


 やがてお姉さんの元にイルカが戻ってくると、スタジアムに流れる音楽が激しいものへと切り替わる。するとイルカが水中へと姿を消したかと思いきや、4頭息の揃った動きでプールの上空に弧を描く。それから2頭ごと、1頭ごととリズムを乱すことなく、一糸乱れぬ動きで派手で華麗なジャンプを披露した。


 その後も宙にぶら下げられたボールをバイシクルキックの要領で尾で弾いたり、トレーナーを背中に乗せてから口を使って勢いよく宙に飛ばしたりといったことをしてスタジアムを盛り上げた。そしてつよしが言っていた通り、事あるごとに水飛沫が舞い上がったかと思いきや僕たちに降りかかりまくった。委員長は僕を盾にして正面からの飛沫を防御し、白野さんは「つべああ」という変な声を上げ、つよしは1頭のイルカと顔を合わせたかと思いきや口から水鉄砲を発射され撃たれていた。


「ここからはカマイルカのマイちゃんにバトンタッチしたいと思いまーす!」

「マイちゃん……舞原くん……?」

「マイちゃんなんて呼ばれたことは今まで一度もないよ」

「むにゃう……」


 白野さんが水面に1頭現れた小柄な縞模様のイルカと僕を交互に見て呟いた。やんわりとツッコんだら猫みたいな鳴き声を出して口をもごもごさせた。


「もしかして、君は……」

「え?」

「いや、今はやめておこう。それよりマイちゃんは凄いよ」

「は、はぁ」


 つよしの言い淀みに困惑していると、4頭が飛んでいた位置よりも遥か上空に、振り落とされた鎌の如く何度も高速で回転している白と黒の物体が目に入った。それがマイちゃんであると気づいたのは、既に激しい着水音と水飛沫が空間を包んでいる後であった。


「マイちゃんは見ての通り、小さな女の子ですが、ジャンプ力は断トツの1位です!」


 お姉さんが言うと、マイちゃんは見て下さいと言わんばかりに何度も大ジャンプをし続けた。そして水飛沫が身体にぶっかかる。


「マイちゃんには、このフープを一度のジャンプで一気にくぐってもらいます! 先ほどのイルカさんのボールよりも更に高い場所にありますが、果たしてできるんでしょうか!」


 気づくとステージ上空には5つのカラフルな輪っかが50cmくらいの間隔でぶら下げられていた。ほぼほぼ天井に届きそうな程高い場所にあるが本当に大丈夫だろうか。


 しかしその心配はあっさりと杞憂に終わり、マイちゃんは水中を高速で泳ぎ始めたかと思いきやいとも簡単に全てジャンプでくぐり抜けた。あまりの高度と滞空時間の長さに観客も歓声を通り越して動揺の声を上げていた。


「小さな女の子の次は、大きな女の子が頑張ります! 目がちょっと怖いけど、怖がらないで可愛いー! って言ってください!」


 しばらくしてBGMが朗らかなものに変わり、お姉さんが言うと、一際大きな黒いイルカが水面から顔を出した。


「オキゴンドウのナホ先輩だ」

「へ!?」

「オキゴンドウっていうのは体長が6m程にもなってクジラ扱いされることもある種だ。黒い体色と、嘴が無いのが特徴だ」


 つよしが白野さんの驚愕したような声に反応して解説を始めたところでナホ先輩が軽くジャンプしてとんでもないほどの水が全身に掛かって視界がぼやけた。


「体重は1.5tほどにもなるから、パワフルなパフォーマンスを披露してくれる」


 こんな風になと言いたげに、びしょ濡れになった僕たちを見て、いつのまにかレインコートを着ていたつよしが言った。それからナホ先輩は水面に落とされたフープの回収をしたり、ステージに上がってポーズを決めて大きな身体を見せつけたりしていた。


「最後はみんなで飛びまくります!」


 お姉さんが言うと、最初の4頭とマイちゃんが戻って来て、早いテンポで順番に飛んでいった。改めて比較してみると、マイちゃんは誰よりも抜けて高く飛んでいた。ナホ先輩はちょっとしか飛べてなかったが、その黒くて大きな全身が見えるだけで迫力があった。


 流れる音楽が派手なフィナーレを終えると、激しく浮き沈みしていたプールが一気に静まった。


「以上でイルカショーは終わりになります! 最後までご観覧いただき、ありがとうございましたー! この後、隣のミニステージでウイちゃんとのふれあいイベントを行いますのでそちらの方もぜひぜひよろしくお願いいたします!」


 お姉さんがそう言うと、つよしは他の観客と同じように立ち上がり、ミニステージの方へと歩いて行った。


「早くしないとウイちゃんに触れないよ。ふれあいイベントが終わったらゆっくり話そうか」


 そして一瞬振り返り、僕たちにそう言った。


「そんならうちらも行きましょーかー。着替えたくもありますけど」

「そうだね」


 と言いつつあまり濡れてない委員長の言葉に僕も頷き、僕たちもミニステージの方へと向かった。グレーの服を濃く染めた白野さんも、くしゃみをしてから、他の客に流されないようにか僕の服の袖を掴んで、僕の隣を歩き始めた。

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