第2斤
「海水の主成分は一体何でしょうか? では……そこの……舞原くん」
1時間目からこれだ。想像はしていたけどやっぱりめんどくさいな。
眠気に負けたら怒られそうだし、生物担当の白髪の先生とはよく目が合うし。何かあればこうやってすぐに色々尋ねられるし。後方から2列目の前の席が懐かしいし。自分のくじ運の無さを恨む。
「塩化ナトリウムですかね」
とりあえず聞かれてしまったからには答えておくけど。
「その通りです。ちなみに海水1L中78%ほどが塩化ナトリウムで他には塩化マグネシウムや硫酸マグネシウムが含まれています。ではそのまま聞きますが海水に金や銀は含まれていると思いますか?」
「砂には含まれているんじゃないですかね」
「はい。海水には金や銀を含む50種類以上の多様な微量元素が含まれているんですね」
今の「はい」には惜しくもなかったからどう言えばいいのかわからなかったけどまあとりあえずはいって言っておくかという考えが込められている、ような気がした。
その後も白髪先生は執拗に「リュウグウノツカイの生息地は?」「ヨウスコウカワイルカが絶滅した理由は?」などと僕に質問を続け、その流れのまま授業は終わった。何故僕の前の席とか隣の席とかじゃなくて僕をただひたすらに集中砲火したのか僕に質問した分そのまま問い詰めたいところだ。というよりよりにもよって僕がそんなことを知っているとでも思っているのだろうか。知ってたけど。
「はぁ……」
思わずため息をつきながら机に突っ伏してしまった。机は思いのほかよく冷えていて気持ち良かった。出来ればずっとこうしていたいので次の授業は永遠に訪れないことを希望したい。そして目を閉じ、現実逃避を始める。
「うぇーい!」
すると右側から妙に聞き覚えのある声がしたので反射的に身体を起こして声の正体を確かめた。声を発したのは、僕の右隣の席の女子生徒であった。左手を中途半端に挙げ、僕を見ている。
名前はまだ覚えていない。髪はちょっと茶色がかった肩を覆うくらいのセミロング。顔はパーツが整っていて可愛いと感じるけれども、アイドルのような華やかさは感じない。でもだからといって磨けばよくなるんじゃないかっていう芋っぽさも感じない。それ以上でもそれ以下でもない、普通の可愛い女の子だった。
「ん?」
「あ……いや……その……」
僕と目が合うとその子は挙げていた腕を下げ、顔を赤くしながら頭を抱えてもじもじし始めた。この仕草はちょっと可愛い。いやそれよりもうぇーいって何だ。もしかしてこの子は普通な見た目に反して大分パリピってる子なのだろうか。でももじもじしてるってことはそうじゃない気もする。
「今のは一体?」
気になったので聞いてみる。
「あ……えっと……あの……間違えました……ごめんなさい……」
間違えたって何とだ。何と何をどう間違えたらうぇーいに変換されるのだろうか。よくわからない子だ。
まぁ……初対面だし、とりあえず挨拶くらいはしておくべきだろう。それにこの子の声は、なんだか気になる。出来ればもう少し、話をしてみたい。
「僕は舞原麦也、よろしく」
「あ、えっと、
白野さんか。てっきり僕は黒――ちょっと待て。
僕は今、どうしてそう思ったんだ?
頭に浮かんだ靄を払おうと、口を動かし続ける。
「あの、白野さん」
「え……? な、なに……?」
――――声?
何か、何かないか。もっと彼女の声を聞けるような話題は。考えろ。くそっ、こんなことなら僕も会話術を…………暑い。もう少し冷房を強く出来ないのだろうか。麦茶が飲みたい。登校中通学路にあるコンビニで買ったやつが鞄に刺さっている。それを手に取ろうとしたところで声が聞こえた。
「あの……本当に……その……間違えちゃったんです……普通に挨拶しようとしたのに……いざ口を開こうとすると心臓バクバクしちゃうし何話せばいいんだろうって思ってごちゃごちゃになっちゃって……」
「そうじゃないんだ。僕は別にそれを追及したい訳じゃな――」
暑さに耐えかねた僕が喋りながら手早く麦茶のペットボトルの蓋を外したところで、他の生徒が僕の前を早歩きで通過した。それで一瞬バランスを崩して――。
「あ」
開け放たれたペットボトルの中身が、彼女の制服と太ももに飛んだ。
「あああああああ!!」
僕は叫んだ。彼女は突然飛んできた液体に呆然としている。
「夏服はまだ新品なのにごめん! 今服拭くから!」
慌ててスラックスのポケットからハンカチを手に取ったところで、一瞬思考が停止した。しかしすぐに再生させ、乾かないうちに彼女の制服を拭いていく。
「ほんとごめん。君の声が聞きたくてちょっと注意散漫になってた」
「え……あ、あうぅ」
「シミにならなきゃいいけど……なっちゃったら教えてね」
「ひゃあう!」
突然彼女が色っぽい声を上げた。もしかしたら変なところにハンカチを当ててしまったのかもしれない。ごめんごめんと言いつつ周囲を見たけど、休み時間なのが幸いして、がやがやとした話し声がかき消してくれたようで、他の人には聞こえなかったみたいで安心する。
「あの……も、もういいから……! 気にしないで……! 元はといえば私が変なこと言ったせいで……」
「う、うん……。えっと、お詫びにこれ、どうぞ……」
拭けそうな部分を拭いた後、僕は彼女にお詫びの気持ちも込めつつ、麦茶と一緒に買っていたメロンパンを差し出した。
「え!? い、いいよ別に!」
「でも、受け取ってくれないと示しがつかないというか」
「ほんとに気にしなくていいから……! メロンパンとかもらってもだし……」
「メロンパンじゃ……足りないのか……?」
「そ、そうじゃなくって! えっと……あの……ほんとに大丈夫だから!」
「うーん……」
メロンパンを渡したい僕と、受け取ってくれない彼女。
まさか数十分前までこんな関係になるとは思ってなかった。僕だって自分が食べたいからこのメロンパンを買ったのだからこのまま僕が食べてもいいんだけど、ていうか僕が食べるべきなんだろうけど、最早これは「コンビニで買ってきたメロンパン」ではなく「白野さんに渡そうとしたけど受け取ってもらえなかったメロンパン」になってしまった訳であり、もうただのメロンパンではなくなってしまっている。
つまりどういうことかというと、隣の席の女の子の白野知晴さんとの今後の命運はこのメロンパンが握っているのである。こいつをどうするかで、彼女と友達になれるかどうかが決まるといっても過言ではない。
やっぱり過言かもしれない。しかしどちらにせよ、僕はこいつをどうしたいのかと言われれば、彼女に受け取って欲しいと思っている。
だから僕は。
「メロンパンあげるので、僕と友達になってください」
自分で言っておいて何だけど、どこかのシミュレーションゲームで似たようなセリフ聞いたな。確か恋人になって欲しいという告白のやつだったと思う。しかし僕の今の言葉はパクリでも何でもなく、純粋に願っていることだ。
「もっと君の声を、聴きたいんだ」
頭のどこかで、いつかの誰かの声が響く。
『もう少し、友達作っておくように!』
目の前にいる彼女を見る。僕が彼女に向けたメロンパンと、僕の顔を交互に覗き込んで、逡巡しているようだった。そして2時間目の授業開始のチャイムが鳴ろうとしたとき、彼女の手が、メロンパンを掴んだ。
「そういうことなら…………えっと……よろしくね……舞原、くん……!」
「うん、よろしく。白野さん」
メロンパンを両手に持ち、彼女は少しだけ、笑みを浮かべた。
それはそれとして。僕はその後も6時間目終了まで異なる先生に代わる代わる何度も質問をされ続けた。異口同音とはこのことか。違うか。
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