第18斤

「ここでわっちんが配信してるのか……」


 6畳ほどの広さの一室に、白野さん――黒和わわが配信している場所はあった。白い壁の前には黒い吸音材が全面に並べられていて、大きい机の上にはそれほど大きくないモニターが2台、虹色に光っているキーボードやワイヤレスマウス、アームで固定されているマイクなどが所狭しと置かれていた。


「今から……準備するから……」


 白野さんは簡素なゲーミングチェアに座り、机の下にあるパソコン本体の電源を入れた。


「ところで何のホラゲやるつもりなの?」

「『ある日の田舎の人形屋敷』ってゲームだよ。私はやったことないけど、田舎にある謎の人形屋敷の噂を解明しようとするやつなんだって。今から買ってインストールする」

「そ、そっか」


 わっちんだ。白野さんからわっちんの声がする。僕は心の中で改めて再認識した。

 

 白野さんはゲーミングチェアに座った途端、おどおどした表情からさっぱりした顔になり、いきなり流暢に喋り始めた。もしかしてわっちんの正体は白野さんじゃなくてその椅子なんじゃなかろうか。それはないか。


「今、Twitterで配信の告知したよ」


 そう言われたのでスマホからわっちんのTwitterを見ると「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした! 今から準備でき次第『ある日の田舎の人形屋敷』の配信を開始します! ゲリラっぽくなっちゃったけどみんな見に来てね!」とツイートされていた。


「あれからずっと考えてたんだけど、やっぱり私、これからもわっちんでいたい。だからさ、ずっと見ててよ。私の配信」

「白野さん」

「なに? インストールまではまだ時間が――」


 僕は彼女の頬を両手で摘んだ。やっぱりもちもちだ。変わらない素晴らしい手触りだ。


「ふぁ……ふぁふぇふぇえ……」


 手を離す。


「や……やめて……それ……なんか恥ずかしい……」

「別人格とかにはなってないみたいだね。急にわっちんっぽいけど白野さんっぽくないこと言いだすからびっくりしたよ」

「やあふぁふぁ……それで……?」


 白野さんがさっきのように頬を紅く染めて(僕がむにむにし過ぎたせいかもしれないし、照れてるのかもしれない)、泣きそうな声で呟いた。


「えっと……この椅子に座るとね……白野知晴じゃなくて、黒和わわにならないとって思って。だからなのかな?」

「そういうことか……」

「私が他の子とコラボをしないのも……それが理由……。ひとりでゲームやってるだけならまだわっちんを演じ続けられるけど……誰かと一緒だったら……白野知晴が出てくるんじゃないかって……それが怖い……舞原くんもなんでしょ?」

「それは、そうだけど」

「キャラの設定に囚われずにどんどん素の自分を出していって人気になってる人もいっぱいいる。それは私もわかってるんだけど……怖いの……実はこんなビビりでつまらない人間だったっていうのが……バレるのが……」

「つまらなくない」

「え?」

「君はつまらなくなんてないよ。泣いて、怒って、喜んで、照れて、笑って、殴って、ツッコんで、変なことを言う子が、つまらない訳ないよ」


 僕の言葉に白野さんは目を丸くした。それから僅かに身震いした後、僕の胸を俯きながら力がこもっていない手でぺちぺちと叩き始めた。


「わけ……わかんない……」

「君が思ってる以上に、君は凄い人間だよ。この僕を恋に落としたんだ。第一つまらない人間はぱんぶれのVTuberにはなれないよ」


『ぱんどらぶれっど』所属のVTuberとしてデビューするには、不定期に行われるオーディションに参加して合格しなければならないという話を聞いたことがある。ちなみにリムリムは会場でアクロバットをし続けて合格を勝ち取ったらしい。Vじゃ何の意味もないじゃんというツッコミが話のオチである。わっちんは――どうしたんだろう。すると白野さんが、ゆっくりと口を開き始めた。


「中学の頃……弱い自分を変えようと思って……試しに受けてみたの……オーディションでもそれを必死に伝えて……でも受かるなんて思ってなくて……」

「でも受かった。それが事実だ」

「その言い方だと不合格だったみたいなんだけど!」


 白野さんは勢いよく顔を上げた。ジト目になっていて、ぺちぺちがちょっと強くなった。


「それに、1年半も活動を続けるってことは、簡単じゃない」

「それはまい――」


 白野さんが何かを言おうとしたところで、僕は彼女の頬――ではなく頭を撫でた。


「わわああああ」


 少し茶髪っぽいさらさらでセミロングの髪を触る。艶やかで引っ掛かりが一切なく、ずっと指を通していたくなる。白野さんはぺちぺちを止めて両手を宙に上げてぷるぷるさせ始めた。


「ビビりで陰キャな子が好きだって人も絶対いるだろうし、そこまで心配する必要はないと思うよ」

「むじゃうううううああ……」


 白野さんは立ち上がって僕をぐいぐい壁まで押して壁ドンの構図を作り出す。吸音材があるからあんまり見栄えはしないけど。


「いいからそこでちゃんと見ててよ!」


 それから白野さんはゲーミングチェアに座り直し、配信の準備を始めていった。


「わっちん……?」

「はいはいわっちんですよー! 陰キャでごめんねー!」

「あ、いや、なんでもない。こっちこそごめんね白野さん」

「なにそれ!?」


 白野さんを困惑させてしまったが、僕には一瞬、白野さんではなく――わっちん――黒和わわが、椅子に座っているように見えた。今のが幻視、というやつなのだろうか。


「配信開始するから! 絶対喋んないでね!」


 一体何だったんだろうと思っていると、どうやら配信する準備が完了したらしく、白野さんは僕にそう言った後、マイクに向かってこう言った。


「くろわわ、わわわわ、わわわわわ~。クロワッサン系VTuber、黒和わわで~す!」


 スピーカーやイヤホン越しではない生のわっちんの声が、耳に届いた。

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