第2話 生活記録「魔導研究所000」

 その日は一日中とても暗い日でした。もう寒い季節だというのに雨が降っていました。雨の中で外に行くわけにもいかず、私達はただ研究所内にいるだけでした。


「暇だねー」


 そうですね。と答えます。

 最近のアリスは、よく外を眺める日が増えました。外のことを気にする日が増えました。


 ここでいう外とは、アリスの知らない場所のことです。私が知らない場所でもあります。例えば、人が多く住む街や遠く離れた海、そびえたつ山などのことでした。それらはこの近くにはありません。

 彼女の成長とともに育った彼女の好奇心は、この辺境にある小さな研究所付近でとどめておけるほど小さくはないことは誰しもが分かっていることでした。


 けれど、こんなにも彼女の成長が早いとは思っていませんでした。最初にあったときは、少女型の私よりも小さかったはずの彼女は、この3年で私の身長を越しました。もう立派に一人前、というには早いでしょうが、独り立ちも考えられるぐらいの大きさです。


 でも私の創造主は、アリスがこの辺りから離れることを許しません。曰く、危ないからだと言っていました。それが彼女の中にある魔力と関係するものだと気づかないほど、私は鈍くはありません。


 私が目覚めてから3年ですけれど、創造主は私を完成形とすることに決めたようで、試作417号機という名称から、ただの1号機となりました。それでも私はシイナ呼ばれています。私もそう呼ばれることを望みました。

 完成形にすると決めたと言っても、私が完成しているわけではありません。いまだに調整不足や機構未実装により使用不能な兵装は多々あります。


 しかし資源があまり回ってこなくなり、私の完成は当分先になりそうです。その理由として資源が足らないとも考えられますが、創造主はアリスを匿っていることが発覚してしまったのではないかと心配していました。すでに研究所も数回移動をしました。


 今の私でも能力値だけを見比べるのなら、その辺りの兵器に負けることはありません。けれど、もしも天使が来るのであれば話は別です。十全な状態ですら怪しいでしょう。

 だからこそ私の完成が見込めない今、隠れ潜むことしかできないのですけれど、きっとそうはいかないのでしょう。この時からそれは感じていました。


「うっ……」


 突如彼女は胸を抑えて、しゃがみ込みます。

 それを見て、私はすぐに薬を取り出して渡します。大丈夫ですか?と聞いてはみますけれど、答えは分かっています。


「あ、ありがとう……大丈夫。大丈夫……」


 それがアリスの強がりだと気づかないわけではありませんでしたが、私に何が起きているかを話す気はないようでしたから、それ以上踏み込むこともありませんでした。兵器である私にそんなことはできませんでした。


 話してくれなくとも、推測することはできます。体内の魔力の流れを見れば、アリスの中の魔力が原因なのはわかります。きっと何かそれが良くないことを起こしているのでしょう。

 でも、何が起きるのかは分かりません。薬を飲まなければどうなるかも分かりません。薬がどんな効果なのかも知りません。


 まず、彼女の中にある魔力について私はほとんど知りません。いえ、何も知らないと言っていいでしょう。何も教えられていないのですから、当たり前ですけれど。

 でもきっと、教えられていないのなら私が特段気にすることではないと思っています。私が気にするべきことは、アリスを守ることだけでいいのです。それが私の使命なのですから。

 そう、それが私の使命だったのです。生み出された意味だったのです。


 その時、警報が鳴り響きます。

 視界の端で、アリスがびくりと身体を振るわせるのが見えました。


「え、な、なに!?」


 わかりません。そう答えながら、情報取得のために研究所との相互情報共有を開始します。いたるところに仕掛けられた監視装置から、現状を把握しようとします。


 敵です。周囲2キロほどはすべて魔導兵器により囲まれています。研究所内には女が1人侵入しています。いえ、これは1機というべきでしょう。見た目は人でも、中身は人ではなく魔導兵器であることは頭の上に浮かぶ輪っかを見ればわかりました。私と同じ輪っかを見れば分かりました。

 彼は天使の1種でした。私と同じ、天使が攻めてきたのです。


 それが得られた情報でした。

 そして絶望的な情報でした。


「ど、どうしよ……とりあえずベイルのとこにいこ!」


 はい。と答えようとして、気づきます。

 創造主の姿が見えません。この研究所内のどこにも。記録装置の過去情報をさかのぼれば、創造主が最後にいた場所は、すでに侵入した1機によって焼き払われていることを確認します。

 きっと、いえ、ほぼ確実に死んでしまったのでしょう。


「いない……? 嘘、じゃあ……でも、どうしたら……」


 怯え、動揺するアリスの手を取り、走りだします。

 一刻も早く、ここを離れなくてはいけないと考えたからです。


  天使が来たのであれば、この研究所に仕掛けられた防衛設備など簡単に突破されるでしょう。天使の基本情報は私の中にもありますから、それはわかります。

 籠城ができないのであれば、脱出しかありません。周囲を囲まれてはいますけれど、天使を相手にするぐらいなら、そこらの魔導兵器を相手にしたほうが何倍もましでしょう。


「どこいくの?」


 外です。そう短く答えます。

 急がなくてはいけません。こうなってしまった以上、研究所は放棄してどこかへと逃げるしかありません。私はそう考えました。


 硝煙の匂いのする研究所の秘密の裏口を通り、外へと出ます。外は相変わらずの雨で視界もぼやけていますが、魔力感知や磁気感知などは使えると思っていました。


「どうしたの?」


 使えません。何も機能しません。いえ、機能はしていますけれど、いつもより見えません。正常に機能していません。


 思えば、敵の接近にも気づくのはとても遅れました。本当ならもっと早くに気づけるはずでした。そのための装置は数多く研究所付近に設置されていました。けれど、それに気づけなかったのは、妨害されていたからなのでしょう。数々の観測装置も今の私のように。


 すぐに原因を解析すれば、それが長く振り続けるこの雨であるということはわかりました。雨だと思っていたものは、微弱な妨害魔力の込められた天候兵器の一種でした。ここまで大規模な兵器運用を可能にするには通常の方法では不可能です。

 あの天使が動かしているのでしょう。天使の輪にはそれだけの力があります。


「それじゃあ、追われていても気づけないってこと?」


 そうです。とても危険です。

 そこまで言って気づきます。


 これをうまく利用できるかもしれません。こちらから見えないということは、相手からも見えていないはずです。今から私達が姿をくらませれば、もう追ってくることはないでしょう。


 そう考えて、ぬかるんだ土の上を走りました。

 私はこの程度で歩行能力に変化はありませんけれど、アリスは大変そうでした。なので、途中からは私から背負って走りました。私の膂力ならそれぐらいのことは簡単にできました。


 急いでいましたが、短距離転移や魔力推進は控えました。魔力残滓を残す方がまずいと思ったからです。偽の痕跡を残す方法がないわけではないですが、そのための時間もありません。


 なるべく最速で、けれど魔力はほとんど使わずに研究所から距離をとります。丘を抜け、川を越え、森を進みました。そして雨を避けるように、近くの岩陰へと入りました。


 本当はもっと先まで行った方が良いのでしょうけれど、アリスの体力が限界でした。休んでおかなければ、アリスが死んでしまうと思い、休憩を取ることにしたのです。幸い多少の距離は確保できていましたから、すぐに追いつかれることはないでしょう。


「ベイルは、死んじゃった?」


 暗い岩陰で彼女は私にそう問います。

 その可能性が高いと答えます。私も実際に死体を見たわけではないですが、あの状況では生き延びることができていたとは思えません。


「そ、か……そっか……なんだか、実感わかないや。多分今、大変なことになってるんだよね? それはわかってる。わかってるはずなんだけど、なんだろう。ただシイナと外に遊びに来ただけみたいな感じがする」


 乾いた笑いとともにそう語るアリスに、私は何と言えばいいのかわかりませんでした。そして彼女の目は、いつになく悲しそうでした。


「でも、私のせいなんだ。私を狙ってきたんだよ」


 アリスのせいではありません。そう言っても、彼女は首をゆっくりと横に振ります。


「私のせいだよ。私が魔法使いの子だから、みんな死んじゃった。驚いた? 話したこと、なかったよね。お父さんは魔法使いだったんだって。お母さんは普通の人だったらしいけれど。でも、私が生まれてからすぐに2人とも死んじゃった。私を守るために」


 彼女が語ったのは、彼女の過去でした。彼女自身も私の創造主から聞いた話でしかないようでしたけれど、それは彼女自身の秘密のことでした。彼女の中の魔力の話でした。


「魔法使いと人の子の成功例だから、研究素体としての価値が高いんだって。よくわかんないけど。だから狙われるって。今まではずっとベイルが匿ってくれてたけど、それももう今日で限界を迎えたみたい」


 実際、その特異性は計り知れません。

 これまでそれなりの数の魔法使いが捕獲されてきたようですけれど、その中で人と子を成したものなんてなかったはずです。それが急に現れれば、お互いの国はアリスを欲すことでしょう。


「あーあ。みんな死んじゃった。お母さんもお父さんも、ベイルも……私の、私のせいで……死んじゃったよぉ……!」


 アリスが涙をこぼします。

 私はどうすれば良いか分かりませんでしたけれど、ただアリスを抱きしめました。頭を撫でてみました。悲しんでいる人にはこうするのが良いとアリスと読んだ物語の中に出てきましたから。


「シイナ……しいなぁ……!」


 けれど、アリスは泣き止むどころかさらに大きく泣き出すばかりで泣き止むことはありませんでした。やはり創作は参考にならないと思いながら離れようとしましたけれど、シイナはいつの間にか私にしがみついていましたので、それは叶いませんでした。


「ずっと生きていてくれる?」


 もちろんです。それがアリスの望みなら。

 そう優しく答えます。


「感動的だね。笑ってしまうよ」


 その時、無機質な声が雨音をかき分けて届きます。聞いたことのない声でした。けれど、無感情で印象的な声でした。

 咄嗟に立ち上がり、周囲の警戒体制に入ります。


「おいおい。そんな警戒するなよ。同じ仲間じゃないか」


 そう言いながら、姿を現したのはとても赤い天使でした。


「天使仲間だろ? オレたち」

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