第16話 探索記録「地点836」

 地点836、第八十五魔導研究所に入るに際しては様々な問題がありました。


 まず私達が入れるのかという点です。

 元の作戦では、イリュミーヌに連れられて私も入るという作戦でしたが、この作戦は彼女が素直に地点836へと入ることを認められるという前提の元になりたっています。いくら父が勤務しているとはいえ一般人にすぎないイリュミーヌがそう簡単に入ることが許されるのかという問題です。


 そしてこの問題が解決されたとしても、天使である私を見逃してくれるのかという点もあります。魔導研究所と書いていますけれど、実態は軍事施設と同じようなものでしょうし、多種多様な観測機が置いてあるはずです。それらがいくら弱体化しているとはいえ、天使の魔力量を見逃すでしょうか。


 それに天使であることがばれなくても、魔導機械の同伴が許されるような場所なのかという問題もあります。情報機密の観点から、こういった外部の魔導機械入れないようにするのが定石のはずです。または厳重な審査があるでしょう。


 これらの問題をどうするかを考えていたのですけれど、結果から言えばそれらの悩みはすべて水疱に帰しました。


 第八十五魔導研究所はすでにまともには機能していないようでした。それは周囲の魔力灯が動いていないことや、魔導兵器や観測機による警備機能が動いていないことからわかります。

 けれど、誰もいないということはなく、入口には人が立っていました。


「待っていたぞ。イリュミーヌ」


 多少の警戒と共にに近づくと、男はそう語りかけてきました。

 少し前を歩いているイリュミーヌが、お父様と呟くのが聞こえます。


 その男はかなり若く見えました。イリュミーヌの父と言うのであれば、最低でももう少し歳を重ねている物かと思いましたけれど、そういうわけではないようです。


 いえ、歳は重ねているのでしょう。若く見えるのは、彼が機械人だからでしょう。保有魔力量が普通の人のそれではありません。それはイリュミーヌも同じなのですけれど、彼女とは違い、完全に全身が機械のようです。

 脳まで機械なのでしょうか。そこまではわかりませんけれど、4年前は脳の機械化は研究中であったはずです。完成まではまだ10年以上かかるというのが、4年前の通説ではありましたけれど、感性が早まったのでしょうか。


「ついてこい」


 彼は私を一目見はしましたけれど、すぐに後ろを見て、先に進んでしまいました。ついてこいと語ってはいましたけれど、罠かもしれません。そう思い、イリュミーヌを見ましたけれど、彼女はすでに歩き出していました。


 呼び止めようかと思いましたけれど、そんなことをできる雰囲気ではありませんでした。流石においていかれるわけにもいかず、私も2人の後を追います。


 魔導研究所の中はとても暗く、小さな非常灯がつくばかりで、汚れの溜まった掃除の行き届いていない通路は、この場所がすでに使われていないことを物語っていました。さらに言えば、人がいないことも。少なくともまともには。


「最近は、元気か? 不調ないか?」


 その言葉にイリュミーヌは、大丈夫と答えます。

 私に聞かれていないことは、声色からわかりましたから、私は何も言いません。というよりも、私の存在を認めていないように感じます。


「母さんやみんなはどうだ?」


 それも大丈夫と答えるのが聞こえます。

 会話の節々から、お父様が家族を思い図る様子が感じ取れます。態度は堅いですけれど、大切には思っているのでしょう。イリュミーヌもそれを感じてはいるようで、入口ではあった緊張が少しずつ減っていっているようです。


 これが家族、というやつなのでしょうか。

 私は今まで血のつながりのある家族というものを一度も見たことはありませんでしたから、どんなものかはわかりません。私の創造主であるベイルとアリスの関係というのもそれに近いのかもしれませんけれど、彼らに血のつながりはないはずです。


 一般的に家族の絆というのは、一番堅いものであると言われていますけれど、それはどのような感覚なのでしょうか。私に家族ができることはないでしょうから、それを実感することはないのでしょうけれど。


「さて。お前の話を聞こうか」


 少し開けた明るい場所で、お父様は椅子に座り、イリュミーヌを見据えます。私のことは眼中にすらないようです。


「聞きたいことがあったのだろう。言ってみろ」


 彼はイリュミーヌにそう問い詰めます。言い方は少し厳しいように感じます。さきほどのような、家族を心配するような声ではありません。威圧的で、高圧的な声です。


「そう、ですわね。お父様は、何をなされているのですか?」


 彼女は声を震わせて、そう問いかけました。

 彼女も緊張しているのでしょう。いえ、気を引き締めなおしたというべきでしょうか。

 

「ふむ。それはどういう意図の質問だ?」

「私は、見ましたわ。研究の映像記録です。まだ子供の人たちを捉えて、様々な実験を行っている映像です。そしてその子らに実験と称して、あまり口には出したくないことをしていた映像ですわ。これが何かという質問です」


 イリュミーヌの言葉に、お父様はすこし顎をさすり、考えるような素振りを見せます。心当たりがないのでしょうか。それとも、どこから映像が流出したのかを考えているのでしょうか。


「それなら既に答えを得ているはずだ」

「……どういう意味ですか」

「実験だ。ただ実験を行っていたのだ」


 お父様は悪びれる様子もなく、ただそう答えました。

 認めたのです。彼女の言葉を。


 イリュミーヌは少し激昂しそうな雰囲気を出しましたけれど、すぐに冷静になり、次の言葉を繰り出します。


「お父様。私はお父様のことを尊敬しています。しかし、私は子供を犠牲にした上での技術は容認できませんわ。しかもあのような……下劣極まりない実験……私の正義では、全て許せない行為ですわ」


 彼女はそこで一呼吸置き、少し俯きます。

 そしてまた前を向き、お父様と目を合わせます。


「お父様も言っておられたはずではないですか? 人が何よりも大切なのだと。そうではなかったのですか?」


 彼女の言葉に、お父様はまた沈黙で返します。

 何かを考えているようです。

 言葉を出す前に、どう言うべきか考えているのでしょうか。


「その言葉は嘘ではない」

「ではなぜ!?」


 彼女は声を荒げ、強く問います。


「イリュミーヌ。少し誤解があるようだ。最初から説明しよう。

 ここで行われている実験というのは人類の最適化のための研究だ。機械への最適化のな。お前が下劣といった実験だが、人の魔力の流れ、反応、それらを観察し、理解しなくては、機械への完全な置き換えというものは難しい。特に脳は難易度が高い。

 いや、高かった。そう。すでに完成したのだよ。人類の全ての器官を、脆弱な肉体から機体への変更を可能としたのだ。


 この技術があれば、病気や事故で死にゆく人は大きく減るだろう。なにせ身体が頑強な機械になるのだからな。いや、病気や事故だけではない。天命すらも我々は超えることができる。なにせ、機械なのだからな。

 そういう存在に人類が進化する。そういう研究で、そのための実験だったのだ」


 彼は少し興奮した様子で、身振り手振りも添えて、私達にそう説明しました。


「で、でも、人を犠牲にしていいわけがありませんわ……」

「それも誤解だ。あれらは人ではない」

「人、じゃない……?」

「あれは人ではなく、魔法使い、またはそれに準ずるものに過ぎない。人類は大切な存在だと言っただろう。まさか本当に私が、人類を切り刻み、苦痛を与え、薬で身体を壊し、限界環境に閉じ込め、解剖し、さまざまな刺激を与えると思っていたのか? 私はそんなに冷酷な人間ではない」


 そう語るお父様の姿は私には狂気に映りました。

 魔法使いだからと言っても、ほとんど人と変わらないはずです。それに対して拷問と変わらないようなことをして、常人面しているのですから、狂人と言わずしてなんと言うのでしょうか。


「お父様」

 

 イリュミーヌの目にも同じように映ったはずです。

 私はそう思いました。


「それなら、仕方ないですわね。そういうことは早く言ってください」


 そう穏やかな声でそう言ったのです。

 今までの緊張はどこへ行ったのでしょうか。

 イリュミーヌは、お父様に駆け寄り、先ほど話していた研究についての話を始めました。


 混乱が私を包みます。

 人に酷いことをしているのが嫌であると、イリュミーヌは言っていたはずです。そして、お父様は人に酷いことをしていると自白し、一度もそれを否定していません。重要な研究に使われたことは理解しましたけれど、それが人を傷つけて良い理由だとは思えません。


「それは今も行われているのですか」


 小さな声でそう呟きます。

 その瞬間、お父様の鋭い眼光が私を貫きます。初めてです。ようやく初めて、彼が私を真正面から捉えました。やっと私という存在に気づいたようです。

 

「機械。話せたのか」

「はい。それで、その実験は今も行われているのですか」

「あぁ。実証実験はいくつか成功させたが、まだ課題は多い。他の研究者どもは、私を見限り他の場所へと行ったが、まだ行うべきことはたくさんある。そのためには魔法使いでの実験が必要だからな。今日は休みだが、明日からはまた実験だ」


 嫌な。本当に嫌な感覚が、思考回路を巡っていくのを感じます。

 それを抑え、私は次の質問へと移ります。


「魔法使い達はどこに、何人いるのですか?」

「地下の実験用生物保管室に、2体ほどだ。前はもう少し多かったんだが、事故で失ってな……どうしてそんなことを聞く。イリュミーヌ、こいつはどんな魔導機械なんだ」

「私にもわかりませんわ。私の魔導機械ではないですもの」

「何?」


 嫌な感覚の正体。

 それは私の中に表れた大きな矛盾でした。

 私は囚われている魔法使い達を助けたいのです。けれど、それは目の前のお父様の望みを妨害することでもあります。それは人を助けたい私にとって、強烈な矛盾でした。


「シイナ? どうしてそんなに怖い顔をしているのかしら?」

「魔法使いの解放、それはできませんか?」

「できんな。お前がどこの誰かは知らんが、それだけはだれにもさせん。まだデータを取り切ってないし、貴重な実験体もいる。そやつらのために、魔力もろくに供給されないこの研究所に私は残っているのだ。そして解放権限を持つのはこの私だけだ」


 考えます。

 どうするべきなのでしょう。

 ここにアリスがいるかは結局のところわかりません。

 けれど、彼の言う囚われた魔法使いの中に彼女がいる可能性は高いでしょう。


「本当にどうしたのかしら? あぁ、そうね。探し人は見つからなかったものね。それは悲しいことね。大丈夫よ。私は一緒に探してあげるわ」


 イリュミーヌが何か的外れなことを言っています。

 そうではないのです。ここにも人はいるのです。


「その魔法使いの中に、人との混血はいますか?」

「いる。と言ったらどうする?」


 魔力を解放し、腕を変形させ、彼の方へとむけます。いつでも攻撃を行えるように。


「魔法使いを解放しなさい。これは命令です」


 これは自己矛盾の中での最大限の行動ではありました。

 脅しをすることで、人を傷つけずに魔法使いを解放し、その後、彼らの研究の手助けをする。それが私の最大限の行動でした。だから、この変形させた砲身から何かが放たれることはありません。


「シイナ、落ち着きなさい! 魔法使いは人ではないのよ!? 人のために造られたと言っていたあなたが、どうして私達ではなく魔法使いのために」

「私にとっては、どちらも人です」


 私に砲身を向けられ焦った様子のイリュミーヌに対し、お父様はまだまだ余裕がある様子でした。この砲身から何も放たれないことを見抜いているのでしょうか。


「機械風情が人類に命令するか。しかし、そんな魔導兵器1機の脅しに屈すると思っているのか?」


 その瞬間、部屋の壁が動き、大量の魔導兵器が現れます。

 それらが全て、私へと照準を向けていました。

 私の脅しは効果が出ず、交渉が決裂したことを悟りました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る