第30話 探索記録「天罰001後」

 世界を縛る柱の天罰は、強大な魔力爆発と共に、地脈の入口を破壊しました。それは大地を割る結果となり、裂け目が地表に引かれることになります。

 この大陸を二分するかのように、地脈に沿って割れた地面からは、止めどなく膨大な魔力が溢れ出すことになりました。後に誰となく魔力壁と呼ばれることになったそれは、人類を滅びへと誘いました。


 大規模な地脈露出と終わることのない膨大な魔力放出により、大気中の魔力濃度の急激な上昇が起こりました。魔力密度の低い人類はそれだけで窮地に立たされました。


 天罰の着弾より7日以内に、全人口の9割以上が死亡したと推測しています。生き残った一部の人類は、大抵地下へと逃げ込みました。避難用の地下都市の中で、隔壁を利用して生き延びていました。

 しかしそれも長くは続きません。魔力濃度の変化により、魔導機のほとんどが正常には起動しなくなっていました。それは現在の魔道文明では致命的なもので、空気浄化機構の停止、魔導兵器の暴走、食糧生産機構の故障が、人類をさらに滅亡に近づけました。


 この時点で人類は元の人口の10000分の1もいなかったでしょう。こうして滅亡の道を一直線に進むかに思われた人類でしたけれど、希望となったのは魔力に適応した人類の登場でした。高い魔力濃度の空気に晒されても、体内の魔力状態を崩されない新人類の登場は微かな希望となりました。


 それでもそれは僅かな数でしかなく、結局あまり意味のないことなのかもしれません。それにそんな人類が登場したところで、文明はほぼ完全に機能を停止していましたから、人類文明は滅んでしまったと言っても過言ではないでしょう。

 

 残ったのは命令主を失い徘徊と暴走を続ける魔導兵器と、魔法生物達です。特に魔法生物達にとって、この出来事は多少なりとも良い方向へと向かったと言っていいでしょう。


 魔法使い達はこの上昇した魔力濃度でも問題なく行動が可能でした。流石に魔力壁付近まで来れば、死んでしまいますけれど、ある程度離れれば、問題にはならなかったようでした。

 彼らはまるで人類がいなくなった場所に入り込むかのように、共同体を築き始めました。未だにそれは小さな者でしかないですが、今まで人類に支配され続けてきた彼らは主体的な行動能力を手に入れたことで、新たなる文化の構築を成し始めました。


 無論暴走する魔導兵器との遭遇や、管理者を失い放たれた魔法生物達との遭遇は、魔法使い達にとって大きな脅威でしたが、彼らは束になることでそれに対処しました。

 数を揃えてもどうにもならない存在がいない訳ではないですけれど、それは魔力壁の向こう側にいるか、もしくは竜により抑えつけられることになりました。


 竜は魔力壁の登場による恩恵を最も受けた種族の1つでしょう。人類が活動を辞め、あらゆる楔から解き放たれた竜という存在は、この地上で最強の存在として生態系の覇者になりました。個体数は多いとは言えませんが、無制限に等しい寿命と強力な適応能力でこの大陸中に生息域を広げました。


 問題があったとすれば、竜は個体生物だということです。彼らは協力という選択肢をあまり取りませんから、自らの縄張りに入った同族とは争いになります。最強の魔法生物である竜同士の争いは、大規模なものになり、散発的に各地で発生したこれによる被害もかなりのものになったと言われています。


 それは魔法使い達にも多少の被害を生みましたが、魔法使いは竜と戦うことを選びはしませんでした。竜という存在の強さを近くでよく知っていたからでしょう。

 また竜も魔法使い達の築いた国に攻め込もうとはしませんでした。そこまでいけば、魔法使い達とて戦わざる負えなくなることは明白でしたし、それは龍にとっても恐るべき事態だったからでしょう。


 こうして魔力壁より西側は魔法使いと竜によって支配されました。魔力壁より右側には、少数の魔法生物達と多くの暴走した魔導兵器、そして高魔力濃度に適応し生き延びた人類がかろうじて存在するというのが、魔力壁出現より1年が経過した今の情勢です。


 私が各地の観測魔導機との情報共有により獲得した情報を統合すればこのようになります。


 そして私はと言えば、私はまだ迷っていました。

 迷っているといよりは、彷徨っているというべきなのかもしれません。


 海。山。平原。森。川。湖。氷山。

 湯の湧き出る泉。溶岩が流れ続ける川。魔力の滞留する空洞。下の見えない崖。空に浮かぶ木々。高速移動し続ける岩。天高くまで凍り続ける空気。


 小集落。村。

 巨大な街。要塞都市。天空都市。地下都市。緊急避難都市。攻撃移動城。

 なお、人はほとんどいませんでした。魔力汚染の酷い死体ならたくさんありましたが。たまに少数の生き残りがいたとしても、私の姿を見て逃げていくか、もうすぐ死を待つだけの存在であることがほとんどでした。


 幾人かにも話を聞きました。

 それはもう歩けないものであることがほとんどでした。なぜならその時の私の姿は、天罰による損傷を修復途中であり、まだ疑似皮膚装甲の修復には至っておらず、魔導兵器の姿でしかなかったからです。暴走した魔導兵器に追われ、避難都市に逃げこんだ彼らが、私から逃げ出すのは仕方のないことだったでしょう。


 もう歩けない人、それはつまり魔力汚染が進み、死が非常に近いものを指します。つまり、私が話した人は死の近い者達でした。どうしても助からないことがわかっている者達でした。殺すための兵器である私には助けられない人達でした。


「死にたくねぇ。当然だろ? 死にたいやつなんていない。でも、俺は死ぬ。ここでな。諦めるしかねぇ。悔しい。悔しいだろ。わけもわからず、ここまで逃げて、挙句このざまだ。くそが」


 まだ青年の彼は私にそう言いました。

 私はそれに何も答えることができませんでした。どうすればいいのかわかりませんでした。何も言う資格などない気がしていました。


 そして彼は死にました。


「概ね満足じゃな。孫の顔も見れたし、それなりの人間関係を積み上げてきたつもりじゃ。いつか死ぬことはわかっておったしな。こんなに突然とは思わなんだが……ま、人生なんていうのはこんなもんじゃろ。しかし、死神さんが出てくるとは思わなんだ。良い土産話ができたわい」


 老人はそう言いました。

 彼は満足そうでした。身体は強烈な痛みを訴えているはずなのに、その素振りすら見せません。後悔はないのですか、そう問います。


「さてね。ない、と言えば嘘になるのだろうさ。だが、こんなもんじゃろ。そういう意味では、ないじゃろうな。な、死神さんよ。あんたこそ、なにか思いの丈があるんじゃないのかい? 顔見ればわかることじゃ」


 私のその時の顔は、到底人には見えない者であったはずですが、彼はそう言いました。実際何かしらの感情はずっと私の中にはあったのですが、それを言語化できませんでした。端的に言えば、何を言えばいいのかわからなかったのです。


 そして彼は死にました。


「死にたくない……! 死にたくないよ……! 痛いし、怖いし、1人だし……ねぇ、なんでこんなことになってるの? 助けてよ。誰か助けてよ! なんで。なんでみんな死んでいくの……! なんでみんな私をいじめるの。なんで私を、置いていくの。もうおかしい。おかしいよ。こんなの」


 少女は苦しそうに呻きました。

 でも私にはどうすることもできません。彼女は話すことはできても、会話をまともにするのは難しいと思われる容態でしたから、ただ私は近くにいることしかできませんでしたし、しませんでした。


「1人にしないで……」


 そして彼女は死にました。


「私は、嬉しいわ。少し嬉しい。この時を待ち望んでいた。もう22年も生きてきてしまったけれど……私が生きている資格なんてないと思っていたから。死にたいわけじゃなかったのよ。……いいえ、違うわね。死ぬ勇気がなかったのね。だから少し嬉しいのよ。こうして死がやってきて。そして、こうしてあなたに看取られるのだから、これほど良いことはないわね。誰かを苦しめてばかりの人生だったけれど、ようやく終わるのね」


 疲れ切った顔の女はそう語りました。

 彼女は苦しそうでした。魔力汚染のことだけではなく、こう言うとおかしいかもしれませんが、心が苦しんでいるように見えました。何に苦しんでいるのかと問えば、彼女は少しの返答を返しました。


「罰のない後悔だらけの罪ね」


 彼女は他の3人とは少し違いました。彼女はまだ動くことができたのです。確かに左腕から腹にかけての魔力侵食は酷く、助かる見込みは少ない状態でしたが、動こうと思えば動ける状態であったはずです。

 つまり彼女は私から逃げようと思えば逃げることができたはずです。それなのに明らかに魔導兵器である私から逃げるそぶりすら見せません。


「殺してくれないのかしら?」


 彼女は死を待ち望んでいたのでしょう。だから私から逃げることはしなかった。私という魔導兵器に殺してもらおうとしたのでしょう。

 しかし私はそんなことはしたくありませんでした。もう誰も殺したくはなかったのです。アリスとウニミカを刺殺した時の感触が今も残っています。それがたとえ身体の3割以上を魔力浸食にやられ、もうすぐ死んでしまう者だったとしても。


「そう。それなら仕方ないわね。まぁいいわ。どうせもうすぐ私は死ぬのだし。なら、少し話を聞いてくれないかしら。そう。ありがとう。それにしても、あなたは……随分と変な魔導兵器ね。どうしてここに来たのかしら。壊れている、というわけではないようだけれど、壊れていないのなら、どうしてこんな場所にいるのかという疑問になるわね。まぁいいわ。どうでもいいわ。そうね。どこから話そうかしら。あなた、この世界をどう思うかしら?」


 そう問われても、私にはなんと答えればいいのかわかりませんでした。


「私達は生きている意味があると思う? 私には、どうにもわからなかったわ。私が生きている理由が。私の存在は害悪でしかなかったのよ。何があったのかは言わないけれどね。言ってしまえば、あなたはきっと私のことを嫌いになるでしょうから。最後くらい好かれていたいのよ。多少はね。

 でも、これも私の醜い部分ではあるでしょう? 私は何も成すことはなかった……というか、減らしてきたのよ。傷つけてきたのよ。色々なものを。つまり、世界にとって私は良くないものであったといえるわ。それなのに、私はここまで生き延びた。生き延びてしまったのよ。どうして。何度問いかけても、答えはなかったわ。

 いいえ、きっと答えなんてないのよ。あなたも悩んでいるのでしょう? そんなこと見ればわかるわ。私と同じでしょうとは言わないわ。きっと、全然違うものなんでしょう。でも、形質は似ているはずよ。今はまだあなたは霧の中のようだけれど、それはきっと世界を暗黒に包むものでしょう。霧は暗闇に変わるのよ。そう、光には変わらない。永遠に閉ざされる闇の中へと誘うの。自らの生存への疑問というものは、どうしたところで、深い闇に落ちる以外に道はないのよ。

 けれど、もしもあなたが……私にはついぞ無理だったことだけれど、もしもあなたが、その深い闇の中でも光があると信じられるのなら、小さな灯程度であれば手に入れることができるかもしれないわね。でも、きっと私は暗闇の中にいすぎてしまったのね。暗闇に慣れて、暗闇でも前が見えるようになった……と錯覚してしまったのよ。だから、私は闇の中で行動して、闇雲に全てを壊してしまったのよ。

 そして私には罰は下らなかった。とても酷いことをしたのに、私には天罰は下らなかったのよ。つまり私には許される資格はないということよ。そうでしょう? 罰というのはつまり、罪を認め、贖罪を成すための第一歩なのだから、それすら私にはゆるされなかったわ。

 でも、いつか罰が下るのはわかっていたわ。恐ろしいことが起こることはわかっていたわ。だって、そうじゃなくてはおかしいもの。私だけが何もないなんておかしいもの。いつかくる罰、それ自体が恐怖の対象で、それ自体が罰なのかもしれないと考えたこともあったわね。

 けれど、そうではなかった。ちゃんと罰はきたのよ。この魔力浸食が私に苦しみを与え、死をもたらしたのよ。これが私の罰。こんなことで私の後悔が禊、清められるわけではないけれど。でも、罰は下ったのよ。

 あなたは、どうなのかしら。罰が下るほど酷いことをしたのかしら。でも、もしも罰が来ると思っているのなら、それはいつかくるはずよ。それに抗うのも受け入れるのもあなた次第だけれど、でも確実にくるわ。とても恐ろしい罰が。

 でももしもあなたが、私と違って暗闇の中で光を見つけられたのなら、また新しい道を見つけることができるかもしれないわね。そうなることを祈っているわ」


 そして彼女は死にました。


 会話らしい会話ができたのはその4人だけでした。

 その後、高魔力濃度に適応した人類の集落の場所の情報を入手しましたが、訪れることはありませんでした。訪れれば、また魔導兵器が攻めてきたと思われるでしょうから。


 そして魔法使い達の国にもいきました。

 彼らは危機に晒され、寄せ集められただけの集団とは思えないほど急速に発展しています。既に支配系統が形になり、政治形態が決まろうとしています。魔法使いの立場も変化し、元々同じ戦闘用魔法生物だったはずの魔法使いは今や格差ができてきています。

 強力な指導者がいただけでは説明がつかない速度です。おそらく前々から準備していたのでしょう。流石に魔力壁の出現を予知していたわけではないでしょうが、こういう、人類が滅びに瀕し、文明を奪取できる事態に備えていたというのであればあり得る話です。


 魔法使い達が元居たはずの管理施設は今は無人になっていました。

 無数の杖が転がっていました。それは魔法使い達がたくさん死んだことを示していました。

 魔力汚染の被害を喰らったのでしょうか。いえ、それはないでしょう。魔法使いの魔力密度では多少影響を受けることはあれど、死ぬことはほぼないはずです。

 だからと言って、何が起きたのかはわかりませんが。


 私は廊下に散らばる杖を各部屋へと運びました。共に戦った魔法使い達から、管理施設の話を聞いていたからかもしれません。メキも言っていました。施設に友達がいて、助けたい人がいたと。

 

 そんな場所でたくさん死んだ魔法使い達を悼んだのです。

 私は、祈りました。彼らの死が穏やかであったことを。

 すでに終わってしまったどうしようもない事象に対して、私ができることはそれだけした。

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