第28話 恵

 ピーピーピー、という電子音。

 どうやらスマホから鳴っているアラームのようだ。


「ん……」


 私、西川恵は、寝ぼけながらも手を伸ばし、スマホを手に取ってアラームを止めた。


 また、自堕落な日常が始まる。平凡で平和な日常だ。


「んー……」

「武。起きて。朝よ」

「んぁ……」


 私は、横に眠っていた恋人、北元武の身体を揺すって起こした。


「ん。おはよう、恵」

「……おはよ、武」


 ここは武が借りているマンションの一室だ。

 私は、彼のベッドで目を覚ました。

 まぁ、その。そういう事・・・・・になる。

 不満なんてないし、武から求められたワケじゃない。

 お互いに望んで、愛し合った結果。どちからと言えば私の方が強く求めたかもしれない。

 彼は、流石に元カノが居るというだけあって、大学生というだけあって。

 ……その。色々と初めての私をリードしてくれて、優しく、情熱的だった。

 初体験やその後も、一人の女の子としては最上だと思う。

 愛している人と結ばれる事が出来て、それからも彼は思いを向けてくれて。


「よっ」


 武が身体を起こす。そして私の肩を抱き寄せてくれた。


「恵は、今日も可愛いな」

「……何言ってるのよ。もう」

「いや、こういうのは素直な方がいいかなって」

「ん。でも嬉しい」


 ……避妊はちゃんとしてる。私がまだ高校生だからと言うのもあるけれど。

 もしも子供が出来て、彼の気持ちが私よりも子供に移ったら。


『子供の事を考えてくれよ』なんて武の口から聞いてしまったら、私は壊れてしまう気がした。

 もっと長く、一人の女として愛されていたい。彼にすべてを委ねていたい。

 だから、まだ……うん。『まだ先でいい?』って武に聞いて。

 そうしたら『うん。いや、当たり前だから、ね?』と返された。


 ……まぁ、そうなんだけど。私、高校生だし。彼、大学生だし。


 武からどうしても、なんて迫られた行為じゃない。

 なんだったら身体の行為抜きでもお付き合いは上手くいっていたと思う。


 でも、私が欲しがった。もっと彼と深い繋がりを保っていたかったのだ。

 日を開けずに、こうして彼の部屋で朝を迎えて。

 彼自身も、その行為もとても甘美で、私にとっては幸福を感じさせてくれる。


(……依存、し始めてるかも)


 どこまでこの関係を保っていられるのだろう。私達には分からない。



「学校、まだ休みだったっけ?」

「うん。しばらく休校だって」

「そっか。ウチの大学もなんだよな」

「……どう誤魔化すのかと思っていたけど、長期間の休みを無理矢理に作るなんて、ね」

「……だな」


 おそらく『彼ら』の仕業なのだろう。

 私の高校も、武の大学も長期の休校期間に入った。

 休み明けに、誰が居なくなった・・・・・・・・のだとしても、きっとこれなら自然と様々な噂や出来事に流されていってしまうだろう。


「大学は特に、なぁ。誰かが来なくなった所で」

「高校はそこまでじゃないと思うけど。ただ、あの二人だから」

「駆け落ち扱い、か」

「たぶんね。そう噂されると思う」


 南条キサラとはまだ再会していない。彼女は高校に普通に出て来るのだろうか?


「恵」

「ん」

「……大丈夫か?」

「大丈夫。私は何ともないわ。武が居てくれるなら」

「そっか」



 ──あの後。私と武は、無事に外に出る事が出来た。


 ……悪趣味な事に、目を覚ました場所はラブホテル・・・・・の部屋の中だった。

 もちろん、私達はその時は何もしてなかったけど。

 あんな場所で目覚めさせられて、騒ぎを起こしたって白い目で見られるだけだろう事は容易に理解できた。


 警察に駆け込んだ所でバカにされるだけだって事も。


 それから、しばらく二人で居た。どうしていいか分からず。

 そうしたら……電話が掛かってきたの。


 いつの間にか新しいスマホがポケットに入れられていたわ。

 機種だけ同じで別の携帯。電話はお母さんからだった。

 ラビュリントスの中で使っていたスマホからは、予めSIMカードが抜かれていたんだと思う。


 つまり、いくら待っていたって外部からの連絡は来なかったのだ。

 あの時、誰もその事に気付かず、待つ選択を取っていたらと思うと。


 ……私は、お母さんと連絡を取って、それで。

 武と連絡先や住所を交換して、一度別れた。

 次の日には、すぐ再会したわ。怖かったから。まるですべてがなかった事みたいで。


 そして武とやり取りをしている間に私達に休校が知らされた。

 それからの日々は、ほとんど彼と過ごしている。


 お父さんやお母さんは、あの日の事を何も気付いてない。武の両親もだ。

 あの日が、たった半日程度の出来事でしかなかったのが今でも信じられなかった。



「これから、どうなるのかな……」

「……分からない」


 彼らからの連絡はない。ただし。口座にお金が振り込まれていた。

 金額にして百万円程度の額。そんなの心当たりは他にない。間違いなく彼らからだ。

 私達のすべての情報は把握されている。


「命懸けだったのに百万円だけって、ねぇ? 割に合わないバイト・・・だわ」

「……まったくだ」


 軽口を叩き合う。

 お金を前にすれば現金にも喜べるかと思ったが、そうはいかないようだ。


「もしも……」

「うん」

「……ううん。何でもない」

「そっか」


 またラビュリントスに呼ばれてしまったら。

 私は、そこで誰かを殺すのだろうか?

 直接的な殺人はまだしていなかった。

 だが、ほとんど私の意志で見殺しにした人間は居る。


 ……いつまで私は矜持きょうじを保てるだろう。

 いつか怪物テセウスに成り果ててしまうのか。


「武」

「うん」

「……愛してる」

「ああ。俺も愛してるよ、恵」

「ん」


 彼とキスをして情熱的に抱き合う。

 ……私は、意外とベタベタとするのが好きな性質たちのようだ。

 どれだけでも甘く、どれだけでも溶けてしまえる。


 依存するような、愛欲にまみれた恋人関係。

 ラビュリントスでの情熱が、今も私達をつないでいる。


 まるで運命の赤い糸にからられた恋人のように。

 そして。


 ──また、スマホが鳴った。

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