第三幕

第22話 裏切り者

「ぁああ……! ああああっ!」


 私は必死になって走った。

 左右に透明の壁がある長い通路を。


 横に逃げる道はない。もしも今、ミノタウロスが。

 ……怪物となったテセウスが。


 追いかけてきたなら終わりだ。私も殺されてしまう。

 中津アキトのように。そして、……北元武のように。


「ぁああああああああ……!!」


 武が。武が死んでしまった。

 彼に惹かれていた。付き合うつもりで居た。

 恋人になる約束さえ交わした。


 その武が。


 あっという間だった。本当に一瞬。何もかもが。

 彼と結ばれるまでに懸かった時間も。

 彼と恋人であった時間も。


 ……彼が死んでしまう時間も。


「……ああああああ!」


 私は泣けばいいのか。怯えればいいのか。

 吊り橋効果のようなものだと分かっている。


 だけど、それでも彼を好きになってしまった。

 彼と男女の仲になっていいと思えてしまった。


 短い。短過ぎて、自分の気持ちさえも分からない。

 愛しているだなんてとても言えないのに。


 それでも好きになった。その彼が死んだ……。


「あぁああぁあああぁ……!」


 分からない。分からなくて、ぐちゃぐちゃだ。

 己の死の恐怖よりも、彼を失った喪失感の方が大きくも感じる。

 だけど、やはり己の死が怖い。


 だって今、私は誰にも守られていない。

 繋いだ手を引っ張ってくれる彼がもういない。


 拠り所となる思い出さえもない。

 あるのは、このラビュリントスの中での記憶だけ。


 普段の彼は一体どんな人間だったのか。

 どんな事に笑って、どんな事に泣く人間だったのか。

 何も知らない。知らないのだ。


 何も重ねなかった。一日さえも一緒に過ごさなかった。


 ヒーローのように感じた彼が、ただの人間であった事さえも私の記憶には存在しない。



「あっ、ああぁ、あぁあぁぁあああ!」


 グチャグヤ。私が今、何の為に走っているのかさえ分からなくなる。

 だけど、すぐにその理由を突きつけられる事になった。



『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 怪物テセウスの咆哮が通路に響いた。


「なっ……!?」


 私は、思わず振り返る。そして武のスマホを掲げる。

 透明な壁に挟まれた通路。


 その透明の壁の中に現れたのは……間違いなく、あの迷宮の怪物。


 生贄を喰らう食人鬼となり果ててしまった英雄テセウス。


(……早い! 早過ぎる!)


 だってあの怪物は武を喰い殺した。

 ならば、それだけの時間、止まっていなければならないルールの筈なのに。


(まさか、ルールが変わった!?)


 ミノタウロスを暴く鍵。

 それを私は手に入れた。


 ミノタウロスは遥か昔、既にテセウスによって退治されていた。

 故にラビュリントスを根城にした怪物はミノタウロスにあらず。


 恋人であったテセウスに裏切られ、捨てられたアリアドネは……そのテセウスをラビュリントスに閉じ込めた。


 かつて伝説の上では運命の赤い糸で結ばれていた時と同じようにしたくて。


『ラビュリントスの中に居るテセウス』は、間違いなくアリアドネの恋人だ。

 だから、彼を永遠に迷宮の中に。


 そしてミノタウロスの為でなく、テセウスの為に生贄の少年少女を用意した。


 彼の食糧として。


 私達を閉じ込めた犯人はミノス王ではなく、アリアドネ。

 未来のアリアドネこそが……黒幕だった。


(……その事を暴いたから!?)


 今やアリアドネはサポートAIなんかじゃない。

 もう道案内もしてくれないだろう。


 ううん。道案内なんて、黒幕であるアリアドネに頼れるワケがない。

 だって彼女の目的は、生贄である私達を怪物テセウスに喰らわせる事なのだから。


(ルールは……私達を守らない? もう、どこに逃げても追ってくる?)


 まさか、ここから迷わずに『EXIT』の部屋まで走り抜けろと言うのか。

 このラビュリントスを。


 まったく同じような景色が続き、扉に閉ざされ、あちらこちらに出入口が分岐しているこの場所を。

 怪物テセウスに追われながら。追いつかれないように。


(……無理。無理よ。そんなの。出来るワケがない!)


 ここまでの道のりを覚えていられる筈がないのだ。

 マップもない。途中では、死に物狂いで走り抜け、進む先はアリアドネに委ねていた。


 モンスターに追われながらの、ナビゲーターなしの迷宮探索。

 それは、達成不可能な課題だった。



『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』


 怪物が追ってくる。私を狙って。


「武……!」


 では、私が捕まれば。武は無駄死にだと言うのか?


 彼は最後の瞬間まで私を庇おうとしてくれた!

 私の代わりに怪物に喰われたんだ!


(……死ねない。死ぬワケにはいかない)


 この命は武に貰った命だ。武に助けられた命だ。


(……こんな所で死んでたまるものか!)



 私は、怪物に背を向けて再び駆け出した。


 たとえ血反吐を吐こうとも走り抜けてやる。

 生き延びる。生き延びるんだ。そして、そして。


(……武のスマホ)


 彼のモノもデータは消去されてしまっている。

 でも、スマホそのものは、私の手にある。


 機種を調べれば、どこで買われたものか分かるかもしれない。

 それに彼の通っていた大学は近くにあるもの。


 ……調べれば、彼の事が分かる。彼の家族が分かる。


 伝えなければ。彼の事を。

 北元武が、どう死んだのかを。

 私が、私だけはそれを伝える為に生き残らなければ……!!


 歯を食いしばって、涙を零しながら、私は逃げる。



 一人で。一人。一人だ。

 もう生き残っているのは3人だけになってしまった。


 まだ生きている筈の東雲藍や南条キサラの姿はどこにもない。


「はぁ……はぁ!」


(……彼女達は、アリアドネが黒幕である事を知らないわ)


 ならば今も、彼女達の傍にはアリアドネが居るかもしれない。

 私達を生贄としか見ていない、そんな女が。


 この状況でアリアドネは一体、どのように動く?

 怪物に私達を喰わせたいにしても……何を望む?


「はぁ! はぁ! はぁ!!」


 死のゲームは続いている。武と共に予測を立てたように、脱出するまでは死の危険は決して去る事はない。


 観ている者が居るからだ。

 最後の瞬間まで、死の危険は常に隣り合わせ。


(……これ以上、何を望む?)


 脱出は本当に出来ないのか?

 そんな事があるだろうか。


 だって。だって。


 もし、そう諦めてしまったら。

 生贄が抵抗を止めた、この命懸けの鬼ごっこなど何の面白みもない。


 まやかしであろうとも希望という餌がなければ、走る事など止めてしまうだけだ。


 恐怖に屈して。命を諦めて。


 死の危険が最後の瞬間まであるのと同じように。

 生への希望もまた最後までなければ……デスゲームは成立しない筈。


 リアリティ・ショー。これが見世物である限り。


(……今、私に望まれているのは、ただ逃げる事だけ?)


 疲れ果てて、足を止めて。そうしたら『あーあ』と。

 走り続けていれば生き残れたかもしれないのにね、と。


「はぁ! はぁ! はぁ!!」


 ……理不尽。

 元から、それはそうだろう。だけど、そんなものか?

 それでいいと言うなら最初から、まだるっこしい謎解きもどきなどさせる必要はない。


 始めから怪物を解き放ち、追いかけ回せば良かった筈だ。



「はぁ! はぁ……! はぁ……!!」


 でも、連中は私達に選択させた。


 迷宮と出口。その二択を突きつけて、自ら怪物を解き放つように仕向けた。


 ……もしも、最初の選択で始めから『迷宮』を選んでいればどうだった?


 ほとんどありえないにしても『EXIT』が罠に違いないという考えは残っていた筈だ。


 つまり怪物という追手なしでラビュリントスの奥まで辿り着く事は可能だった。


 それが運営の嘲笑する所なのか?

 私達がした『愚かな行為』『間違った選択』だったと?


(……ありえない! ヒントがなさ過ぎた)


 中津アキトは、必然の死じゃなかった。

 選択を誤った事による自業自得の死とは到底言い難い。


 だってあの時点でルールを説明されていなかった!


 奇しくも東雲さんが言っていたじゃないか。


 先に説明していないのはおかしい、と!


 アンフェアで、ルールなど無用で、ただの虐殺が目的?

 だから脱出の糸口など始めから……ない?



「はぁ! ……はぁ! はぁ……!!」


 違う。違う。違う。


 アリアドネがわざわざ自分を『未来の』と名乗ったように。

 彼等は、嘘を吐いていない部分がある。


 真実は伝えずとも、嘘は吐いていない。そういう部分があるんだ。


 だから。


「はぁ、はぁ……! はぁ、はぁ……! ……、──『EXIT出口』!」


 そう、EXIT。


 AR上に描写されたネームプレートには、嘘が書かれていた事はない。


 たとえアリアドネという『人間』が嘘を吐く事があったとしても。



「はぁ、はぁ……! 出口、なのよ……!」


 そこに嘘はないんだ。

 出口の部屋の天井にあると推測できる、脱出への道。


 その道が繋がる条件は誰も口にしていない。

 アリアドネだって、明確に条件を言っていない。


 ならば、逆に『どんな条件であっても出口は開く可能性がある』筈だ。



 例えば……それは、時間経過・・・・などであっても。


 私達は、アリアドネに導かれてラビュリントスを彷徨った。


 でも、それらを嘲笑うように運営は言うのだ。


『ここの扉に出口って書いてあったでしょう? 親切にね』と。


 だというのに、わざわざ迷宮へ入り込んだ愚か者達だから死んでしまうんだ、と。


 すぐそこに生き残る道はあったのにね、と。


 アリアドネは悪意の案内人。

 運営は最初から、出口を教えてくれていた親切な者達。


 ……そういう構図だ。


 そして。であるならば。


「中津くんは……!」


 事故による死なのか? 運営は、そんな事はどうでもいいと?


 違う。違う。

 それではゲームが成り立たない。


 彼の死は偶然じゃない。限りなく偶然に近く、事故のようなものであったとしても。


 それは誰かの悪意によって成立していなければならない。


 残された鍵はどこにある。

 ヒント。ヒントはどこだ。


 悪意は誰が持っている?



「…………はぁ! はぁ! はぁ、はぁ!」


 私達はラビュリントスに閉じ込められた。

 ミノタウロス伝説をモチーフにして作られた、この令和の迷宮に。


 最初は8人居た。すぐに中津アキトが死んでしまったけれど、8人だ。


 だけど。



「はぁ……! はぁ! 生贄の、少年・少女は……7人・・ッ!!」


 ──紛れている。誰かが、一人。


 8人の内の誰かは生贄じゃなかった。

 生贄なのは7人だけだったから。


 東雲藍は、私を裏切り者だと疑ったけれど……裏切り者は、たしかに『居た』んだ。


 そして、それは大学生グループの中には居ない。


 1人目の犠牲者。

 中津アキトを死に導いた、悪意ある者・・・・・でなければならない。


 そうして、すべての辻褄が合う。


 このラビュリントスの教訓はこうだ。


『誰の事も簡単に信じるのは良くない事だよ』と。


 それが、それが、例えば。


 ──美しい女だから・・・・・・・といって。



「裏切り者は──!」


 そう。私達をこのラビュリントスへと誘い、死のゲームへと導いたは。



「──裏切り者はお前・・だよ、西川めぐみ


「……え?」


 その声は、東雲さんの声。扉が開いて、すぐ横、私の意識の外から。


 バキィッ!!


「がぶっ!?」


 ……そこで。私は頭に受けた強い衝撃と共に……気を失った。

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